スポーツ界の名言集
1日終わると大好きだよおやすみと言う。最初はとてもケンカをした。ずっとケンカをしていた。どっちとも何かにイライラしていた。仕事がお互い違うことですれ違いがあった。今はお互いを理解して全くケンカをしない
清水邦広
(試合前のリラックス法はありますか?)自分は結構緊張しがちなので、音楽を聴いたりしますね。あとは福澤としゃべると、だいぶ気持ち的に楽になります(笑)それが一番です!
ブラジル、ロシア、イタリアの世界のトップチームとは、どれだけ 日本が戦っていけるかが勝負なので、少しでもつけ入るところを見つけて、頑張りたいです
どのチームも強豪ですが、その中でもやっぱりアジア勢だけには絶対に負けたくないです。アジアチームに負けてしまったら、今大会以降も苦手意識を持ってしまいそうなので、絶対に負けないようにしたい
日本独自の速さや精密さに磨きをかけてワールドカップに臨みたいです
高さがない分、スパイクやサーブをターゲットに狙って打つことが鍵になるので、しっかりと究めていきたいですね
サーブで崩して、少しでも多くブロックにかけ、切り返して点を取るというのが日本の形です
練習中に左膝靭帯を損傷してしまったんですけれども、約1カ月間リハビリやトレーニングを繰り返して、8割9割は回復しているので、課題としていた二段トスからのスパイクやサーブを重点的に練習して、より磨きをかけられたらと思っています
小さい頃サントリーの試合が福井でありジルソン選手を生で見て、僕もあんな選手になるってずっと思い描いてました。明日みんなに夢を与えれるように頑張ります
苦しんだ分だけ喜びが待ってるのであとは突っ走るだけ!
北京五輪のときは、自分がダメでも他の人がやってくれる、自分は思いきりやればいいという感じで、何も背負うものはなかった。でも世界選手権は、自分ができなかったら負ける、という責任や重圧がありました
私がプロとしてやり遂げられたら、障がい者スポーツに携わる多くの方々に夢を与えられる。障害を持っている子供たちに『車いすテニスプレーヤーになりたい』と夢を持ってもらえる
国枝慎吾
車いすテニスって面白いと感じてもらいたい。だから、勝つだけでなく、魅せながら勝つテニスをしていきたい
テニス一本で生活するのは厳しい道と覚悟している
北京での金メダル以来、テレビで大きく取り上げられるようになり、車いすテニスがスポーツとして多くの人の目に触れるようになったことで、車いすテニスや障がい者スポーツの普及と発展のため、プロ転向を決意した
賞金の差以上に、一般のテニス人口と車いすテニス人口の差もすごいですし、しょうがないかなと思います。Gスラムに車いすテニスが入り出したのも最近ですし。歴史は浅いですからね。賞金に関しては、 徐々に増えていけばと思っています
家に帰ると妻がいるので(当たり前ですが)、それがなんとなく不思議な感じ
一球に全力をこめる
やはり毎日の練習は自分を支えてくれる糧ですね。あれだけ頑張って練習してきたじゃないか!絶対に勝つ
チャンピオン、金メダリストとしての存在感を磨きながら、あえて挑戦者でいることが必要かなと思います。守りに入るのが一番危ないので、自分自身に対しても挑戦者であること。その意識を大切にしていきたいと思っています
壁にぶち当たったり、一進一退を繰り返したときも『絶対に乗り越えられる!』と自分を信じれば、いい方向に行けると思うんです
世界を目指す人たちは誰もが負けず嫌いですが、その中でもさらに負けず嫌いじゃないと勝てないんですよ
ただではコートに戻りたくなかったので、ボールを打てない分、体を鍛えた。体の強さは過去にないくらいのレベル。あとはプレーの感覚が戻れば。一歩ずつ進んでいると思う
何万本も打ってきた
両親に不幸を嘆いた記憶はない。そのまま一生、車いす生活になるという意識がなかったのか も
(プロ契約した時の言葉)厳しいことはわかっている。しかし、それを成し遂げられたら障がい者スポーツ界に携わる方々に夢を与えられるのではないかと思っている
メンタルの安定性とか、技術がひとつ優れているとか、そういった小さいことの積み重ねで勝ってきたと思ってるんです
パラリンピックで金メダルを獲っているという経験は、何事にも変えられないと思うんです。たとえ調子が悪くても、勢いある奴がいたとしても、ディフェンディングチャンピオンというだけで相手にとっては脅威になると思いますから
迫ってくる選手への危機感はもちろんあります。今年の全米も、相当アグレッシブなプレイをすることになると思います。実際、(彼らとプレイして)試合のスコア上では大きな差がついていても、内容としてはほとんど差なんてないんです
すごく基本的なことなんですが、まずは一球に全力をかけてプレイすることが勝利への近道だと改めて気づきました。それをフレンチオープンで心がけた結果、新境地が開けたと言っていいくらいの会心のプレイができました。とくに決勝のシェファーズ戦で勝ったのが大きかったですね。一度負けたあとの試合は、とても大事ですから
いつも負けを覚悟していますよ。そうでないと、練習にも身が入らないし、もっと伸ばそうと思えないですから
詰め切れないのは、まだやらなきゃいけないことがあるということ
やっぱり地位を守ろうとしすぎているのかな、という感覚が自分のなかでありました。もちろん、自分のテニスを改善することには挑戦してるんですが、試合のなかでは挑戦者ではないような気がしました。そういう意味では、良いタイミングで負けたなと思います
(敗戦の直後の言葉)自分の納得できるプレーややりたいプレーではなく、最近は “負けないテニス” をしていた
(好きな言葉「挑戦」について)これに尽きます。常にチャレンジを意識し、決断、行動してきたし、これからもしていく
世間の目が僕に向いているうちにプロとして活躍することで、僕の後に続く世代に道ができる
目標はリオパラリンピックで金メダル。もちろん東京パラリンピックでも活躍することです。そして東京では車いすテニスをもっと盛り上げ、魅力を感じてもらい有明のコートを1万人 の大観衆で埋め尽くし、プレーで魅せたいですね
例えば僕の活動がメディアにたくさん取り上げられれば、やってみたいという人が増えて車いすテニスを盛り上げることができますし、選手も活動に集中できる環境が整うことにつながっていくと思うんです。その分、ぼくは成績を出し続けていかないといけないし、勝利を重ねることが使命だと意識しています
(日本人初のプロ車いすテニスプレーヤーになったことについて)なんでも挑戦してみようというよりは、後に続く人の目標をつくりたいという想いが強かったですね
車いすテニスを通して学んでいることはとても大きいと思います。それは「人間やってみないとわからない」ということ。最初、世界トップのプレーを観たとき「これはかなわないな」と思いました。でも今振り返れば、当時の努力は生温いものだったと思います。着実に練習を続けることでトップの差を少しずつ縮め、始めは1ゲームもとれなかったのが、次は3ゲーム、1セット、そしていつしか勝つことができるようになり、世界一につながっています
ぼくは9歳の時、脊髄腫瘍で車いすでの生活になりましたが、その前まで野球やバスケットボールをやっていました。実はテニスにはそれほど興味もなく、バスケットボール部だったことと漫画が流行っていて、車いすになってもバスケットボールをしようと思っていたのですが、家の近くにチームがなかったんです。そんなときにテニス好きの母が家の近くで車いすテニスのレッスンをやっていることを見つけてきて、なんとなく行ってみたのが始まりでした
ぼくが試合中に『幸せだなあ』と実感するのは、観客のみなさんから声援をもらったとき。自分のプレイの一つ一つに歓声が起きると力がわいてきて、選手にとってこんなに気持ちよいことはないですよ。『よし、もっといいプレイをしよう!』と励まされます
気づいたことを書きとめると、自分が今何をすべきかが見えてきて、自分自身と対話しながら練習することができます。それ に試合前に読み返すと、自分なりに成長していることが実感できるんですよ
気持ち的に以前と違うのは、試合で〈勝つこと〉への執念ですね。 『自分は勝ちへの執念が世界で一番強い』と思っていましたが、もっと強くなりました(笑)。プロとして自 立するには自分を追い込んでいかないといけないし、今は勝ちに対する執念がプラスに作用していると思います
壁にぶち当たったり、一進一退を繰り返したときも『絶対に乗り越えられる!』と自分を信じれば、いい方向に行けると思うんで す。気持ちのうえでダメだと思ってしまうと結果にも影響するので、いい方向に進んでいくためにも、 〈プラスのイメージ〉を積み重ねることを大切にしています
(苦しい場面にあった時について語った言葉)北京のパラリンピックを乗り越えるときのほうが苦しかった