スポーツ界の名言集
全速力で通り抜けないと悪者に捕まってしまうんだ
ズラタン
3週間、スイッチが入ったままだったんだよ。そうだ、俺はコントローラーを放り投げ、そのまま家を飛び出していたんだ
俺はエックスボックスにさらにのめり込み、全神経をゲームに集中させた。俺の指はコントローラーの上を踊り、熱病にかかったかのように入り込んでいた。すべてのフラストレーションをゲームにぶつけた
俺はイライラしていた。そんなときはテレビゲームだ。自宅の2階の部屋に座りこんで、エックスボックスを始めた。「エボルーション」や「コール・オブ・デューティー」はどちらも強烈なゲームだから嫌なことを忘れるにはもってこいだ
俺のゲームへのハマり方はちょっと病的だった。明け方4時や5時までゲームして、2,3時間だけ眠ってから練習に行っていた時期もある
モウリーニョがスペシャル・ワンだということは知っていた
この玉なし野郎! モウリーニョの前じゃおもらしかよ。地獄に落ちちまえ!
言っておくが、俺は自ら衝突を起こすような人間じゃない。確かに俺はこれまであらゆる種類の悪事をしでかしてきた。それは認める。ピッチ上で何度か頭突きもしたよ。だが俺から先に仕掛けたことはない。いいか、ひと度、俺を怒らせたら怖いぜ。ブチギレて見境がなくなる。そんなときはそばに寄らないほうが身のためだぜ
あいつは、強烈な個性をもつ選手を指導できないのだろう。品行方正な小学生だけを相手にしたいんだ
俺が何したってんだ? あいつの頭髪について何か言っちまったのか?
見たか、グアルディオラのクソ野郎! 俺はこうやって決める男なんだ。文句あるか!
ついに以前のズラタンに戻った。俺は思ったね。なぜこんな生活を続けないといけないんだ? 金がないわけじゃない。あのバカ野郎な監督のために何で苦労しなきゃならねえんだよ
グアルディオラは俺を、ありふれた選手、いやへっぽこ選手に変えちまったんだからな
誰が見ても俺はもはやズラタンではなかった
俺はあらゆるレベルで違いを出せる男だ
高校時代、ラルフ・ローレンのセーターを着たイカした女たちを誘うとき、俺はチビリそうになった
時速325キロ出してパトカーを巻きながら、ポルシェをぶっとばした
俺は自分が乗りたい車に乗る。まぬけなヤツらを挑発するためにもな
俺は車が好きなんだ。車は俺の情熱なのさ
俺はキレたプレーをするために怒り狂ってないといけない
他の人と違っていいんだ。自分を信じ続けるといい。世の中いろいろあるけれど、俺だって何とかなったぜ
サポーターには忍耐を求めたい。批判ではなく応援をしてほしい
ネイマール
結果が出ない時もあるんだ。それもサッカーの一部
(2016年リオオリンピックの金メダル後)俺たちはサッカーで証明した
ネイマ ール
(2016年リオオリンピックの金メダル後)言葉が見つからない。今の気持ちはとても言葉にできない。
全ての勝者には傷がある。それでもポジティブな姿勢を持ち、明確な目標を掲げている人を止めるものなんて世の中にはほとんど存在しない
中断はしたけど、夢は続くんだ
幸せなときは物事は自然に上手くいくんだ。逆に悲しいときは物事は決してうまく行かないからね
ずっとこの(優勝する)夢を見てきた。多くの人にとっては実現不可能な夢だったけど、神様にとって不可能なんてないんだ
代表に確保された席なんてない。有名かどうかじゃなくて、(代表では)全選手頑張らないといけないし、最大限の力を発揮しなければならないんだ
もうお小遣いはもらってない。お金の使い方はちゃんと分かっている。昔は知らなかったけど、今は大丈夫
みんな自分の外見を気にするものだと思う。格好を付けて香水を使ったりしてね。誰にでもうぬぼれはあると思う。ただ、みんななぜか僕の髪型には敏感なんだ。でもそれもいいけど
(ファンの女の子の)アプローチはすごいものがある。いつもグランドにはある種のタイプの女の子 たちが来ている。でもそういうものだと思っている
自分を他の選手より優れているとは思っていない。ただ、チームを優勝に導いた他の選手同様重要な選手だと思っている
もし神を信じてればいいことは自然に起こるはず。神が僕に全てを与えてくれた。才能、そして成功も
メッシは世界一の選手。ネイマールはまだ始まったばかり(の選手)
向こう(欧州)のサッカーもここ(ブラジル)のと同じ。ボールだって丸いんだし
ペレが 王様だとしたら、ネイマールは(王室の)財務官だよ
自分が知っているネイマールはみんながいつも見ているネイマールとは違って、ただのジュニーニョ(子供の頃からのあだ名、特に家族からそう呼ばれている)なんだ
サントスは第2のマイホームだ。僕はいつもここにいるし、自分の家よりここにいる時間のほうが長いくらいだ
僕らは敗北からたくさんのことを学んだんだ、勝者になるためにね
女が一番
バルセロナはサッカーの仕方を教えてくれた
世界一の選手になるためにプレーしているわけじゃない
メッシとクリスティアーノ・ロナウドが僕のアイドルさ。もし少しでも二人の才能がもらえたらすごく幸せなのに
僕はサッカーをほんのちょっとだけ面白くする、ただの一選手にすぎない
ここでキャリアの最後までプレーできたら、それは(自分への)素敵なプレゼントだよ。だって僕はサントスのファンだから
日々プレーするのが困難になっている。みんな僕のポテンシャルを知っているからさ
日によっては(シュートしたら)ボールがすねに当たるときもある。たとえ一日中試合をしたとしてもゴールが決まらないこともあるんだ。あるときは天国にいるようだし、またあるときは地獄にいるようだ
つらいときは誰にでもある。それはサッカーでも同じ。ボールが丸いように(いいときも悪いときも)サイクルなんだ。あるときはいいし、またあるときは悪いんだ
ボールは世界一嫉妬深い女だ。優しく接しないと害を与えてくる。僕がボールを愛してるから、彼女(ボール)がお返ししてくれたのさ
スーパースターになれなくてもいい。優勝することだけをずっと夢見て来たんだ
僕にはスタイルがある。人の真似はしない。誰かに似ようとも思わない
スポーツとは政治の外にあるべきもの。こうした制裁は大きな間違いだ※2022年ロシアがウクライナへの軍事侵攻を行った影響で北京パラリンピックでロシア選手が出場停止となったことを受けての発言
プルシェンコ
強いアスリートというのは、壊れないアスリートのことだ
カロリーナは偉大なスケーターで、氷上のプリンセスです。少なくと もソチまでは継続しなければならないと思うし、できればその後もつづけてほしい。体のムーヴメントが素晴らしいし、美しいジャンプを飛ぶ上に、表現力も優れたものがあります
ユベントスも、あと二年プレイをする機会を与えるべきだったのではないでしょうか。オーストラリアでは彼のチームがやっと勝利を収めたそうですが。天才的なプレーヤーで、頭がよく、人当たりも良くて、まだまだチームに貢献する力があったと思うのですが。彼の能力はまだユーべにとって戦力になるものだったと思います
イタリアのサッカ ーが大好きで、もちろんユベントスが私の応援しているチームです。今でも「アレ」とはコンタクトを取っていますが、トリノに残るべきだったと思っています。チームの伝説的存在になっているのですから
まず自分自身の務めを優先し、自分の競技に集中するようにします。それから、時間があれば、間違いなくホッケーやその他の競技を見に行くでしょうね
今後自分にとって必要だと思われるのは、ミスなく滑ることと自分の実力を出し切ることです。表彰台に上れれば、それだけで幸せです。ソチでメダルを首にかけることは、それだけで勝利だと言えるでしょう
フィギュアスケートは大きく変わりました。現在ではトランジションやスピン、そしてもちろんジャンプに大きな比重がかかります。自分たちのスポーツがこのように変遷したのを好ましく思います
バンクーバー後に決めました。というのも自分のキャ リアをロシアの大会で締めくくるのが正当だと思うからです。それが自分にとって全てです。あの地で出発し、その同じ地で最後の競技に参加する
常に自分の最善を尽くすよう努力してきたのは、競技が大好きだからです。挑戦が好きなので、ショーとは大きな違いを感じます。だからといってショーが嫌いというわけではないのですが、ショーだけだと充分なアドレナリン分泌を感じられないのです。(この二つでは)雰囲気は全く違い、自分は競技のために生まれてきたと思っています
将来の計画はイタリアに移住することで、今週はパドヴァに赴きアパートをいくつか見に行く予定です。 パドヴァには良いアイスリンクがあり、オーナーとは既に話をしていて、あそこに移住したいと思っています
トリノだけではなく、イタリアは僕にとって第二の故郷です。とてもリラックスしていられるし、人のあり方も好きだし、食べ物も。この国で感じる雰囲気の全てがすきなんです
僕は誇りに思っています、全体的に僕が今シーズンを通過したことを誇りに思います。それは信じられないほど困難でした。でも僕は2度のオリンピックチャンピオンとして 競技を去ろうとしています、二つのオリンピック銀メダルを4回のオリンピックで持ち、そして僕の意見では、僕たちの世界で近代ではこれ以上という人はいません
キャリアを終えるのは残念ですが、とても幸せです。 チームと共に金メダルを受け取って、とても幸せです
ウラジミール・ジリノフスキーには、僕はこう言いたい。公の活動家は一般に何かを表明する権利がありません。スポーツに近い人物ではなく、反対に、スポーツからとても遠い…
今僕に何か表明してほしい人たちは、僕の立場に立ってこう考えるようにすることを提案します。“それで自分はそうしようとするだろうか?”。4回転ジャンプをやること。 オリンピックに出て、世界中の目の前でフィギュアスケートに挑戦すること
僕は誰にもこの運命を望みません、とりわけ手術に関して、とりわけ最後のものはとても大変でした
大部分の人は僕の側にいます。でも他の人たちはただ心が狭く…そして彼らは僕に今教えようとしています。“それはこういう方法やああいう方法でやる必要があった…”
僕は確かな行いをしたと思いますし、もし誰かが生き続けること、仕事を愛すること、腕を垂れないことをそれによって鼓舞されたなら嬉しく思います。どんな場合でも!僕はそうしてきたと思います
プ ルシェンコ
僕は4度目のオリンピックでもう一つ金メダルを獲ったという実例によって、僕は若い人たち含め、示したいんです、どんな場合でも腕を下げてしまうことはできない、もし何か困難な瞬間があっても…
“若い人に道を”
僕は挑戦しました。僕は国のためにベストを尽くそうとし、スポーツのために、フィギュアスケートのために、ファンのために、可能なことすべてをやろうとしました。 でも、残念なことに、それは実現しませんでした
(マキシム・コフトゥンについて)すぐには見つかりませんでした。それから彼が病気だと明らかになりました。僕には提案されました。“君はこれからも滑ることができる”