スポーツ界の名言集
日本がヘタなプレーをすると私は責任を感じる。私が日本でしてきたことは無駄だったのかと思ってしまう
オシム
代表選手というのは、代表だけではなく各クラブでもプレーするわけで、人生を二倍生きているようなものだ。Jという人生、代表という人生を二つ生きているわけだ
選手も人間であることを前提にメディアは扱ってほしい。人間はミスをするし、心が傷つくこともある
厳しい状況に追い込まれるほど、選手は問題を解決しようと努力し、発想が豊かになるものだ。ゆえに悪条件下では、メンタルフィットネスの準備がとても重要になってくる
敗北は最良の教師である、と言われる通りだ。だが、「だから明日の試合で負けたい」とは私は言えない
日本中の何百万人が、代表監督を一度はやってみたいと思っているだろうが、責任あるプロとして、楽しいことよりは苦しいことの方が多い。代表監督を要請されたことは名誉に思うが、割に合う仕事ではないのだ
一番大事なのは指導者が自分のチームの選手を尊敬すること。それから相手選手を尊敬することを選手に教えることだ
オランダが怖がるような攻撃ができなかった。日本にかけていたのは殺し屋の本能。チャンスは絶対にものにするという気迫がないから勝てなかった
すべてのチャレンジに応じられるように、フィジカルとフィットネスを万全に準備し、しっかりとディシプリンを正した状態でいることが肝心だろう
前に出ること-。それだけでサッカーは即座に美しくなる。少しリスキーではあるが美しい
あまりにエレガントなプレーヤーは難しいかもしれない...美のために死を選ぶという選択はあるが、死んだ者はサッカーができない
国が生きて、フットボールが呼吸をし続けている限り。人は、これを経験しなければならないのだから
俺が走らせたいから走らせているわけではない。試合では相手が走らないといけないという状況をを作ってくるからその準備をしているだけ
ポジティブシンキングに客観性が加わるときに、平常心は生まれる。逆に何も信じるものがなくなったときに、あらゆる可能性が泡となってその姿を消すのだ
選手が監督と同じ考えでプレーし、同じ野心をもつようになれば、もうその時点で大成功ではないか。そのためには、まず監督が選手を覚醒させて何が可能であるかを示さねばならない
今日の試合は序章、第2章と、まったく違う展開のサッカーの本を書いてしまったようだ。ただしその本は、行間を読まなければならない本である
ただ大量の水を運べばいいわけではない。おいしい水でなければならない。泉からわいたばかりの、冷たい水だ。日本にもワサビを栽培する泉があるだろう。ああいうところの水だ
日本人は批判されることをネガティブに捉える傾向がある。日本人は、本音をグサリと言われることが好きではないように思えた
オレの現役時代のようなプレーをする奴は即時追放だ。監督になって短い間に哲学が変わった。最初に監督として選手に接して気がついた。それではチームプレーはできないと
身体が大きく、フィジカルに強い選手に対する問題についての回答は簡単なものだ。重要なことは、こちらには機動力のある選手がいるということ。小さくても常に動き回る選手、積極的で素早くて、早く走る選手たちがいる
(2010南アW杯、岡田ジャパンのベスト4という目標に対し)いったん掲げたら堂々とそれをめざせ。戦いの前から負け犬になるな
監督にとっては、毎回のトレーニングが選手にとっての試合に相当する
日本ではスタジアムにファンが溢れたとしても、彼らは礼儀正しく、ピッチ外もとても平和だ。...フーリガンのいないスポーツ国家は理想ではないか。日本人はそのことに誇りをもっていい
私は「4-4-2」「4-3-3」などのシステム論を議論することが好きではない。いや、むしろ、そこに何の発展的な意味も感じない
若い選手にはミスする権利がある
戦術は、自分たちで決めるものではなく、相手に対して作るもの。相手がどうくるかによって、戦術を変えている
相手をリスペクトするのが負けない秘訣だ
サッカーにおける「スピード」とは何か。それは、相手選手より速く走ることだけを意味し てはいない。スター選手の中には足の遅い選手もいる
人間的にポジティブで信頼され、チームの方向性を示すのが、本物のリーダである。そして、そのリーダーは、チームによって選ばれなければならない
私にとって重要なのは、代表に選ばれていることを(選手に)自覚してほしいということ。その一員であることに誇りを持つことが大事だ
自分がそうではないのに、選手にだけ100パーセントを要求することはできない。(中略)ただし、私は少々長生きしすぎたので、自分の経験を自分の息子たちだけでなく、他の子供たちにも伝えたい
日本は監督の輸出国を目指すべきだし、選手より、監督に「海外組」が現れる方がよほど私はうれしい。日本サッカーが本物になった証しにもなる
視聴者がおそらく見えていないであろうことに、注意を喚起するコメントを意識した
「リスクを負わない者は勝利を手にすることができない」が私の原則論である
優勝候補とか、ビッグスターのいる国とか、それは実はメディアが作り上げた虚像に過ぎなかったということ
(誤審対策としてのビデオ判定導入について)人間の目に限界があるならば、テクノロジー(科学技術)に頼ることも悪くない。どこで使うかという議論を入念にすれば、問題はないはずだ
システムそのものより、チームとしてのインテリジェンスが問題だ。基礎は個人個人のインテリジェンスだが、サッカーは11対11人のスポーツだ
(バーにあたる)いいシュートだ、もう少し幸運に恵まれていればゴールだった。繰り返せ。今度はファーポストの角を狙うんだ
二本足で日本に来たが、杖をついて三本足で帰ることになるかも。それだけ多く足跡を残したということなら、私の財産はその杖だ
他人に責任を押し付けているならば、サッカーという仕事をすることはできない
監督が現役のときはこうしたものだという話を聞くのを現役の選手は嫌がる。そんな戦争前の昔話でしょ、と。・・・選手は昔話は嫌いなものだ
スカパー!の1ヶ月は悪くなかった。しかし、ナマ放送で、試合後に何か気の利いた面白いコメントをというプレッシャーがかかると、ゲームに集中できない
日本は、ベスト8、ベスト4に進むべき絶好の機会を逃した。日本のサッカーが新たな一歩どころか2キロほど先にまで進むチャンスを自ら放棄したのだ。日本は、リスクを冒す準備を怠っていたと言わざるをえない
私は本来ならもう一回監督としてワールドカップに出場する予定だった。だから第三者として冷静に見るわけにはいかない
リスクを負わないチャレンジはない。そういう日本人に欠けている哲学の部分を埋めたいと考えていた
古い井戸に水があるのに新しい井戸を掘るのはやめた方がいい。チームを作るならば経験のある選手たちを中心にして作らねばならない
Jリーグで鍛えなければならない。Jリーグでリスクを冒さねばならない。Jリーグのスタジアムに観客を集めなければならない
Jリーグにおけるサッカーは、まだまだ未完成だ。厳しい意見を言うようだが、まず第一にスタジアムに殺気がないのだ。(中略)雰囲気が、まるでぬるま湯のようであれば、そこで何かビッグなことを成し遂げるのは難しい
イミテーションを繰り返しても、彼らを超えることはできない。日本はコンプレックスから開放されて、自分たちのストロングポイントを自覚するべきだ
岡田監督は、大切な何かを日本代表へと持ち込んだ。そして、ためらいなく中村俊を外した。おそらく岡田監督以外なら誰も彼をスタートのメンバーから外すことはできなかっただろう
エゴイズムはプレッシャーへの強さでもある。エゴイストだから外す、では監督として単純すぎる
自由を与えられた選手は、いつどこでどのようにプレーするか自分で判断しなければならない。・・・自由を与えられて何かできる選手と、何もできなくなる選手がいる
選手はデリケートな存在で、ギターの弦のように少し触っただけで大きな音を出す。すぐに影響を受ける。傷つきやすい生き物なのだ。どんな変化にも敏感だ。ちょっとした変化がもとですぐに自信を失ってしまうものだ
現代サッカーは責任感に基づいていると言っても過言ではない。責任感のある選手だけが、プレーできるのだ
結局、オランダは決勝まで進んだ。彼らは、相手を破壊するような汚いサッカーをすることもできる。オランダは、すべてを知っているチームだったのだ
もしパラグアイに勝ちベスト8に進んでいたならば、日本のサッカーは、世界的ステイタスを手にして一歩前進どころか、2キロ先に前進していただろう
オランダ人は長身ではあるが、肉体的な特徴や長所を含めて日本人に近い。日本のモデルとなるべきである
負ける覚悟も含めて、すべてにおいて、完全な準備をしなければならない。準備に「やり過ぎ」などという言葉はないのだ
日本とザッケローニという哲学の合体には、素晴らしい混合物を創造する可能性がある
リスクを冒して失敗したらそれは褒めてやった。その代わり、同じ失敗は繰り返すなよ、と言った。そうすると選手は成長する
美しいサッカーとは何なのか。(中略)文章で表現するのは簡単だが、ピッチ上で、そのサッカーを実現することは難しい
美しさと効率性は両立しない。それが両立できているのはバルセロナぐらいのものだ
ある意味、チェスのように敵の最初の動きを見て対処、対応するのだ。サッカーはチェスと同じではないが、非常に似ている競技である
偽物は、いつまでたっても偽物。模倣はどこまでいっても模倣なのである
監督というものは心理学者であり、教育者でなければならない。それにときどきは上手にウソもつかなければならない
「リスクを冒し勇気を奮い立たせろ」と、何度も繰り返し提言してきた私自身が、リスクを負わないで日本代表を語れるだろうか。私を支えたのは、そういうメンタリティだった
50年後に今日のサッカーが、どう見えるかは、1960年代のサッカーと現代のサッカーを比較するようなものに違いない。サッカーは、きっと、それほどの進歩を永遠に遂げるのである
(南アフリカの祈禱師が画面に映ったのを見て)そんなに効き目があるならおれも南アにいきたい
規律を守ることとリスクを冒すことは矛盾することではない。規律を守りながら、いつ、どこでリスクを冒すかアイディアがなければならない
サッカーは技術だけではなく、何かを感じる感覚-遠くを見たり、位置関係やタイミングを計る目、チャンスやピンチになりそうだと嗅ぎつける鼻-そういうものが大事だ。それを育てるためにはまわりの援助が必要だ。その上で、才能が努力によって開くのだ
サッカーは段階を踏んで進歩していかないといけない。走ること、戦術、すべての面でそうだ
ご存知かもしれないが、監督時代の私は、PK戦になるとロッカーへ引っ込んでいた
ピッチで指示を待ち続けていたら、試合には負けてしまう。私が望んだのは、対戦相手のことを考え、敵にとって危険な地帯へ進入していくプレーだ
いいチームとは、実は、大きな集合体(ビッグユニット)における、小さな集合体(スモールユニット)が、やるべき仕事を確実にミスなく成し遂げているチームなのだ
ピクシーことドラガン・ストイコビッチから、「名古屋グランパスの選手が、敗戦の後や満足のいく仕事をできなかった後でも、まるで何もなかったような態度でいることが理解できない」という感想を聞いたこと がある
お金もあるし、家族もできた。でも私はテニスプレーヤー。これだけじゃ物語は完結できない
シャラポワ
悩みのない人なんていない。テニスをせずに大学生になっていても、テスト前には悩んでいたはず
いろいろなことを学び、適応し、好きなことは受け入れ、そうでないことは忘れて次へ進む
努力し続けているし、上手くなりたい部分が沢山ある、その姿勢が1位をキープすることにつながる
コートに待っているのは新しい試合だけ。スコアは0−0から始まる
いつも終わり方が大事だと思っている
2~3時間続く試合の中でもっとも重要なのは自分のレベルを保つこと
今日の最後に、まさか、バナナの話で私の人生を語るなんて思ってもみなかったわ
ベストのシナリオなんてない。いい選手と当たれば、戦い方を探し、勝機を見いだすだけ
まずはアグレッシブでいること。でも我慢すべきときは多めに動いて、正しい選択ができるように 心がけた
テニス人生のこの時点で、初めて決勝の舞台に立てるというのは素晴らしいことね
目標にする選手? いないわ。だって、私は自分自身が強くなった姿しか、イメージしていないから
リオデジャネイロにはぜひ行きたいと思っています。ロンドン五輪では決勝でセリーナ・ウィリアムズに負けて、銀メダルに終わりました。次は絶対に金メダルを取りたいです。なので2016年まで引退を考えることはないでしょう
(2005年)お金を稼ぐのがいかに大変なことか、せっかく稼いだお金がいかに簡単になくなってしまうか、私はよく知っている。でも私はまだ18歳。人生はこれから。いろんなことに挑戦していきたい
人々が私のことを騒ぐのは、テニスだけのためじゃない。だから醜くならないよう気をつけなきゃ
テニスをやるのは世界のナンバーワンであり続けたいから。もしナンバーワンを目指すのじゃなければ、初めからやらないほうがましだわ
(精神的な緊張を和らげるために、どのようなことをしますか?という質問への答え)そのときの気分にもよるが、音楽を聴いたり、風呂に入ったりはしない。普段、チームと一緒に過ごし、試合のことやいろいろなことについておしゃべりをします
(フロリダのニック・ボロテリー・アカデミーに入った当時を振り返っての発言)最初は簡単ではありませんでした。ずっと年上の2人の女の子と同じ部屋で生活しましたが、年齢が離れすぎていて友だちにはなれませんでした。あと言葉の壁もありましたし
時間は限られていますが、私のビジネスを進めてくれる良いチームがあります。ただ管理しているのは私で、すべてのことを把握しています。ワインガム市場を自分で勉強したところ、ここにはプレミアム・クラスがないことに気づいたので、大人向けの質の高い高級品をつくりました
(勝利者インタビュー)本当に厳しかった。コート上で何をしたらいいのか、考えることすら大変だった。こんなにも暑すぎると、頭が正常に働かない。こんな暑さの中で、3時間もプレーするのは非人間的だったわ。私たちの体は、こんなことをするために出来ているわけではないと思う。だけど暑いのは、私にとっても、相手にとっても同じ。ただどちらが勝てるのか、肝心なのはそれだけだった
まだまだタフな対戦相手たちが待っている
隣に誰かがいてくれるのを見るのは素晴らしい事。特にその人が自分自身の人生をしっかり築いていて、一人の大人として成長していて、私がしている事を尊敬してくれながらも、その私の人生の大きな一部でいてくれる。それはどんな関係であろうととても難しいバランスなの。でも今こうしてそんな関係を持てる人がいてくれる事に感謝しているわ
(コーチとして招いたジミー・コナーズ氏との契約終了に関して述べた言葉)ジミーは、単に悪いタイミングで悪い状況の時に来てしまったの。彼が来たウィンブルドンの後は、どのコーチが来てもあの時の自分の気持ちの状態で上手く行った人はいなかったでしょう
尊敬できる事は尊敬する。自分の試合や自分自身が酷ければ、素直にそう言うしね。とても正直者なの
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