漫画家の名言集
教育は大事だし、本を読むことも、映画を観ることも、多くの人に接して表現を学ぶことも、本当に大事。言葉は生きていく上での大事な武器だから
小池一夫
悪い人優しくない人の周りには、悪い人優しくない人が集まってくる。吸い寄せられてくる
「怒り」をコントロールできない人は、他のあらゆる事もコントロールできない。怒り方の下手な人は、やはり人づきあいも下手で、トラブルが多い
時間は使え、時間に使われるな
好きな人や好きなことには、自然とやさしい大らかな態度になるけれど、嫌いな人や嫌いなことに、「攻撃してもいい」「失礼な態度をとってもいい」と言うことではないんだよ。僕は、後者には、なるべく考えない、関心を持たないことで対処します。短く言うと、「ほっとけ」
大きなことを毎日はできないし、一度に大きなことを済ませてしまおうというのも大変。毎日の小さな進歩は、ある程度時間がたって見返せば、大きな収穫になっている
心配するな。泣きたいくらいの辛い経験が、泣きたいぐらいの幸せに繋がった事が何回もあった
何でも自分でやろうとするのも、一見強い人に見えるけれど、人を信頼できない己の弱さ。調度よい人への頼み方が分かると、人生がグッと楽になります
誰に嫌われようが、自分の価値は何も変わらない
今、自分が惚れた事があるのなら、ためらうな。翔べ
人として弱っているときに、休養だと言ってただ寝ているだけではストレスやスランプから脱出できない。それでは、もっと弱る
あまりにも今の自分の人生が辛いのなら、それは、今いる自分の居場所が間違っているんじゃないのかなあ
ため息をつきそうになったら、息を吐くんじゃなくて、より深く息を吸って深呼吸に変えると、ため息をつきたい気持ちがちょっと落ち着きます
今日、あなたはあなた自身を大切に扱いましたか?
もし、あなたに何か困難なことが起きても、「私のところに来ればいいよ」と言ってくれる人や場所があるということは、生きていく上でとても大事なこと
近いうちに命を失うことをつらつらと考えるに、まだまだ時間のある皆さんへ。死ぬぐらいなら学校に行くことはない。死ぬぐらいなら会社へ行くことはない。死ぬぐらいなら何者かになろうとしなくてもよい。死ぬぐらいなら何かを我慢することはない。好きなように生きれば良い、死ななければそれでよし
死ぬまで誰かを心の底から愛せるということは本当に幸せなこと
成功の反対は失敗ではない。何もしないことだ。そして成功は、自分の好きな事でしか成功できない
絶望は、時間の流れでどうにかなる。「今」の絶望は未来では絶望ではなくなっていることも多い
生まれてからずっと、誰かの影響を受け続けて生きる。だから、誰の影響を受けて生きるのか、一瞬一瞬選ばなくてはならない。影響を受けたくない者と一緒にいなくてはならないときは反面教師にすればいい。そして、良い影響を与えてくれる者からは貪欲に学ぶ
目の前には時間と宝物がある
松本零士
泣いたことのない人など一人もいないはず
人はみんな何かを成し遂げる為に生まれてくる
自分は何の為に生まれてきたのか、それは今分からなくてもいい。必ず分かる時がくる
どんなに大きな夢でも恥ずかしがることはない
年を取れば取るほど夢は縮んでいく
あなた の体の中には、ものすごい数の先祖代々の思いと夢が詰まっている
みんな生涯に一度、自分はどうするかという瞬間が来てるはずなんですよ。その瞬間に自らの意思で旅立つかどうか、それで運命が変わる。それぞれの旗のもとに、あなたの夢を果たしてほしい
人は本来、生きるために生まれてくる。死ぬために生まれてくる命はひとつもない。ハーロックは最後まで歯を食いしばって生き抜いていく。何と言われようと自らの道を貫く。ハーロックは永遠に変わらない。決して大げさなことではなく、そういう思いを描きたかった。だ から、ハーロックは自分自身を力づける作品でもあるんです
ドクロマークは『骨となっても私は戦うぞ』という意志の表明。人を威嚇したり、驚かすためのものじゃない。誰が使おうと自由な旗印で、世界中共通して何の敵意もない印
お互い誠心誠意打算のない友情が築きあげれれば、それは自分という木を支えてくれている巨大な根っこになります。これが最も人生における大事な物だと、今でもかたくなに信じています
人は生きるために産まれてきた物です。無意味に生まれてきた人はいません
食べることが体力を養う、体力が気力を支える、気力が夢を支える
若者の日々はそれ自体がユートピア、アルカディアである
世界中の読者あるいは、同年代にも伝えたいのは、私は世界中がお互いに理解し合い、仲良く暮らしていきたい。そのためにも、思想、宗教、信条、民族感情、これに土足で絶対に踏み込んではならない。お互いに敬意を払いながら楽しく仕事を続けていきたいし、またそう言う物を描きたい
漫画の世界だけが、唯一、全くお互いに確執が無く、世界中を共に駆けめぐることの出来る ジャンル。だから、いつまでも大事にしたい。海外の少年少女達が読んだ感想を言われるだけで、漫画家で良かったと生き甲斐をかんじますね
戦後落城の坩堝(るつぼ)の中で過ごした日々は後の創作者になる勉強になりました
(「ヤマト」で訴えたかった テーマはという質問への発言)地球を救うために、生きるために飛ぶ-です。生存のために飛ぶのであって、死ぬために飛ぶんじゃない。胸の中には、戦場で倒れていった地球上のすべての人たちへの思いがあるわけです。いつの日か殺し合いのない世界に。そんな思いを込めました
人類皆兄弟。ケンカすることもあるけれど、長い歴史で見たら同じ地球人
アニメの制作に参加することになったときには、「よりによって戦艦大和か」というのが正直な思いでした。僕は飛行機マニア、戦艦マニアだったんですが、ヤマトは扱いにくいテーマなんです
ヤマトの沖田十三艦長は顔もセリフも父がモデルです。たとえば、最初の方で出てくる「きょうの屈辱に耐えて明日のために生きろ。死ぬな古代」というセリフ。そういった意味の言葉はいやというほど聞きました
海賊が旗を掲げていると言うのは、人を威嚇する為じゃなくて、孤独でしょ? どこで倒れても悔いはない、"俺の旗のもと" それと、"骨となっても自 分は戦う" 生涯自分の信念を貫くぞ!という意味が強烈にこのドクロマークにはあるわけです
自らの志で生きろ、そのかわり後悔はするな。後悔をするなら最初からやるなと(笑)。これが一番大事なところです。ずっと一貫して同じです。これからも変わりません
あろうがなかろうが、失敗しようが成功しようが、自分の責任。人のせいにはできない。志というのはそういうものですよね。だから人の志で動いてはいけません。自分の志、信念で動けと。そうでないと、あいつのせいでこうなったという言い訳になる。言い訳はしたくない。\"俺の旗のもとに、俺は自由に生きる\" ということです
やっぱり、友人というものがいかに大事か。人は生涯孤独では生きられません。親友がいて、ともに助け合い、それで成り立つわけです。ひとりぼっちではダメだよと。私にも親友がいます。もうこの世を去りましたけど、それでも生涯を共にした親友というのは、懐かしくかつ力強いものですよ
宇宙は将来人類が自由に駆け回る広大な新世界だと思ったものですから。そこにはあらゆる目的の人物がいていい。自由に生きるハーロックも、その一人とし存在している わけです。弱いものを傷つけることは許さない、という断固たる思いを持ち、私利私欲のために飛んでいるのではない。志を全うしようとする人を助ける海賊、義賊なんです
戦後の混乱期に子ども時代を過ごした私たちは、海や山で自由に遊び回り、思い切りけんかもできた最後の世代といえるかもしれません。今の子どもは規制され過ぎて、不満のはけ口が陰湿ないじめになっている。子どもをもっと自由にさせて、一線を越えそうな時だけ全力で止める。そうした大人たちの見守りの姿勢が、何より必要だと思います
昔は弱い者いじ めは恥だった。そんなことをしたらバカにされた。喧嘩はしょっちゅうでしたが、引きずらない。教壇の上でガキ大将と取っ組み合いの喧嘩をした時、彼の鼻血が私の服についたことがあります。彼はすぐに『ごめん』と謝り、自分の服で血をふき取ってくれました。殴り合いで仲良くなることも多かったのです
いつの時代も、若者は無限の可能性を持っています。他人に押しつけられたり、簡単にかなったりする夢ではなく、もっと大きな、夢を持って欲しい。失敗してもあきらめないこと。夢をじっくりかなえるために時間は流れているのですから
テロリストと間違われたことさえあります。ヒゲを生やして、怪しげな恰好をしてるもんで、ペルーとかインドとかアフリカ、オランダでも御用になりました。ところがマンガ家、カートゥニストだと答えると、がらりと待遇が変わりましてね。撮影禁止だけど、あなたは撮っていいよとか、博物館のバックヤードまで全部、見せてくれました。そうするとマンガというのは世界共通で、心の広い穏やかな世界だと言うのが、お互いによくわかるわけですよね
私は個人的には世界中ありとあらゆるところをうろつき回りましたんで、あと行ってないのは、南北両極くらいのものです
アフリカの大地に立って、レオパードロックという名の小高い丘の上から、彼方にキリマンジャロを臨んで。全天周ですね、空と大地が接しているのを見て、悟りを開いたんです。オレが生まれる前から、これはここにあった。オレが死んだ後も、これはここにあると。視聴率が何だ。人気がどうした。そんな細かいことはもう、どうでもいいとね
南北戦争の時の、アメリカの重騎兵隊が持っていたコルトドラグーンという銃が、コスモドラグーンという宇宙銃の元になっていたり、実物を参考にマンガを描いている
銃器についてですが、私は歴史にまつわるいろんなものが好きで、自分自身も銃器のコレクション、西部劇時代や南北戦争の頃のクラシックな拳銃やライフルとか、ウインチェスター銃、もっと古い時代の火縄銃、ロシアのパーカッション式まで、世界中あらゆる国の、古い銃ならひとしきり持っている
『銀河鉄道物語』というのも、枝葉としてはありますが、どこまで行っても根幹は、あくまでも999です。999とは未完成、青春という意味です。1000になると完成になる。1000年女王というのはメーテルのお母さんですが、1000は完成で、大人を意味 します
作品の中の「言葉(台詞)」、ストーリーは、より真実に近くなくてはいけないと考えている。脚本を書くにあたり、より歴史を理解し、戦闘シーンであればよりリアルな表現にするために「命令伝達様式」「戦闘ルール」を理解した台詞でなくてはいけない
日本の漫画の歴史というのは古いんですよ。樺島勝一、田河水泡、横山隆一、横井福次郎、福島鉄次。こういう人たちが土台を作ってくれたんです。それから戦後の第一期ブームを作ったのが手塚治虫さん
すべての責任は自分にあって、第三者のせいにはできないから、その自分の目的に向かって進むその瞬間を自分で判断して、それで旅立てということです
我々の時代は、雑誌の変遷 ー 月刊誌から少年誌、少女誌に分かれ、それから今度は週刊誌に分かれ、週刊誌から青年誌という漫画ジャンルに分かれ、さらにアニメーションに分かれていったわけです。アニメーションは、映画館用の劇場用アニメとテレビ用のアニメのふたつの道に分かれていった。私は、それを全部体験してきています
人によっていろいろあっていいんですよ、何を考えようとね。人間みな自由。 自分の生涯は自分が作る
平面の写真資料と、自分の両目で見た実景は違います。自分とのスケール感があるでしょ? 見る角度を変えて、いろいろ立体的に見ていけば自由に表現できるわけです。だから、自分の体験が必要なんですよ
まだ「999」です。「1000」になってないんです。私はこれまで出てきた全部の登場人物の物語を最終的にはひとつになるように、若い時から念頭に置いて描いています。ただ、これを描いてしまうとエンディング、ですよね。カーテンコールになっちゃう。まだイヤだから、合体させません
作品、作家としての全体の能力を今試されてる最中です。これからですよ。まだ60年でへたばりたくないから。これからもうひとつやって、終わりにしたいんです。21世紀も進んでいけば、もっとおもしろいものができるだろうと思いますよ
今は猛烈な変遷期なんですよ。表現形態も、発表の場も、技術的にも。平面から立体に至るまで、歴史上、最大の変遷期です。だから、これを見極める必要がありますね。どういう媒体で作品を発表できる世界が生じるか
基本的に絵というものは、人間が手で描くもの。デジタルであろうと何であろうと、自分の目で見ながら自分の手で描くのがやっぱり絵なんです。第三者に任せると、それは自分の絵ではない。情感、心が違いますからね。だから自分でやらなきゃいけない。体験と同じです
私は世界中を自分の目で見てきました
私はね、あんなに宇宙をいっぱい描いて、地球もいっぱい描いてるけど、現実には地球を見たことがないんですよね。地球を実際に見ることができたら、もっと絵の印象が変わると思う
絵を描く場合に平面の参考資料は必要だけれど、それだけではリアルなものは描けない。私は絵を見れば、その作家が裏側も知って描いているかどうかわかるんです
創作のためには、幼少の頃からの自分の描く能力を培う時間が必要です
ガキの頃からの全部の体験というのが大いにものを言うから、自分の心の中に取り込む体験をなるべく多くしておくことが大事なんです
インターネットで見てわかったような気になっても何もならない。部屋にじっと閉じこもって本をいくら読んでいても、それはあくまでも参考資料の一部分でしかないんですよ
私が最初に描いた漫画は『潜水艦13号』というもので、6歳のときのこと。なぜ「13号」かというと、昭和13年生まれだから
戦争中ではありましたけれども、家には父親の趣味で35ミリの映写機がありましてね。うちの父親は陸軍で、ちょうどその頃はフィ リピンのネグロス島でアメリカと空中戦でやり合ってましたが、一方、我々は兵庫県明石から母の実家のある愛媛に疎開をして、よく『ミッキーマウス』やら『ポパイ』やらのアメリカのアニメーション映画を兄とよく観ていましたね
オーストラリアの東にあるバヌアツ(共和国)のコンビニに立ち寄ったら、近くのレストランの店先でハーロックの看板にバッタリ出くわして、不思議な気分でした。それ以降は世界中旅して、自分の作品の各国語版を色々買い集めるようになりました
国の内外を問わず、私の作品を愛するあまり、その 続編だとかを、私のキャラクターを使って展開して、私の世界を引き継ぎたいという熱心な方も時折います。しかし私はマンガ家協会の著作権部長もやってますから、個々の作品にオーケーを出すかどうかは、実際に作品を見てみないと、なんとも言えません
回り舞台で、その時期、その時代で、がんばってくれる作品があると、いずれ自分にも出番が回ってくる
好きな映画の最たるものは『風と共に去りぬ』で、あの映画の中でスカーレットが、地面からなんか抜いて、かじって、"I'll never go hungry again!" というセリフを言いますが、全く同感で、俺も二度と飢えないと言う気持ちでした。本当に腹減りましたんでね
(SFとそれ以外の作品は、どこら辺がどのように違うのかという質問への発言)自分の中では同じなんですが、アニメになりやすい題材が、たまたまSFだったというだけのことです
実は私は、動物ものとか少女マンガとか、ファンタジックなものもいっぱい書いてる。『銀の谷のマリア』だとか『火の森のコーシカ』だとか。コーシカというのはロシア語でネコですが、実は日本橋にあるお店の名前で、店主のロシア人のおばさんに、コーシ カって何なのと、意味を教えてもらいました
世界中の映画に慣れ親しんだので、アメリカ映画、フランス映画、ドイツ映画で、国による表現力の違いに気がつきます。『我が青春のマリアンヌ』では、「私はあなたが来るのがわかっていた」「自分はアルゼンチンから帰ってきました」というやり取りの後、「私がこの世で、一番遠いと思っているところ」は、フランス語版の場合は「ギャラクシー(galaxie)」、ドイツ語版では、「時間と空間の彼方」なんです。ここに表現の差がある
『若草物語』(1949)では、家が破産する少女がい て、その妹が、「しかし、私には小説がある」というセリフを聞いて、「ああ、俺にはマンガがある」と思いました
上京時は24時間の旅だったんですが、あのときの思い出が銀河鉄道999のモチーフになっています。自分が体験したことはリアリティをもって描けるんですよ
そうそう小倉の北九州モノレール 。以前は小倉駅の手前が終点になってたんだけど、同級生に北九州の建設局のやつがいたんで、「なんであんなとこで止めるんだ。なんで駅ビルに突っ込ませない」と言ってやったんです。そしたら突っ込むようになった
最近の仕事はラクですねぇ。小さな原稿を描けば、拡大コピーして電車に貼ってくれますからねえ
片道でいいから俺を宇宙に行かせてくれ
漫画家は、刀をペンに持ち替えた永遠の浪人だ。頼れるのは自分独り。 自立してクリエーターと名乗れるようになるまでが、いかにすさまじい道のりか。 退職金も年金もない。いつ奈落に落ちるかもしれない
若者には時間という無限大の可能性が残っているのです!うらやましいなあ
私が創る作品は、多少時間がかかったとしてもより「真実に近く」「誰もが納得する」そんな作品を創らなければいけないと意識しています
作品を創るにあたり、私の信念としては、どの国も名誉と国が滅びるようなストーリーで、国の威厳を傷つけてはいけないということ。尊厳をまもり「夢」を創出するということです
人のせいにしたり言いなりになったりせず、想像力と信念を持って取り組めば、自分自身を確立することは難しくないはずですよ
劇場版999でハーロックが『男なら危険を顧みず、死ぬと分かっていても行動しなければならないときがある』と言いますが、これは九州男児としての志。武士道ですね。武士道とは世界中の青年に共通する思いだと感じています
私は観光客が絶対に立ち寄らないような場所にもどんどん入っていきます。危険と言われているところでも意外に街の人は気さくだったりするものです
自分で志を立てた以上、曲げずに貫く。それは人それぞれの運命でもあります。しかも自分がなさんとしたことの責任はすべて自分にある。誰のせいにもできません。この自覚をいつ何時でも持っていないと、いまは良くてもどこかで足元をすくわれてしまうでしょう
ハーロックの『俺の旗のもとに俺は自由に生きる』という志は私と同じです。人がなんと言おうと責任はすべて自分にある。いかなる運命が待っていようとも誰も恨まないというのもね
なにかがあったときにすぐ引き下がるのではなく、言うべきことをきちんと言うのは大切ですよ。それさえできればどこにだって行くことができる
私は自由に世界を旅し、物体に手を触れ、税関を堂々と通過し持ち帰ることのできた最後の世代なのです
ロシアでは大男の酔っ払いと格闘になったこともあります。足払いで倒してやったらそばにいたアラン・ドロンのような美男子が目に涙を浮かべながら『俺の国の男がみんなこんなやつだと思わないでくれ』と言ってね。大男も謝ってくれて最後は全員で乾杯ですよ
ケニアではライフルを肩に担いで草原を歩いていました。このときはまだワシントン条約が結ばれる前 。ケニア政府から自分の生命が危機に陥ったら撃ってもいいと言われたんです。私はライオンでも象でもサイでも見つけたら決闘する覚悟でしたがダメでした
興味を持ったものにはとことんのめり込んでいました。それは学問でも同じです。幼少時代から生命の進化や宇宙に関心があり、小学5年生で学級文庫にあった『大宇宙の旅』を読み込んでいましたから
(少年時代について)丹下左膳を気取って片目を隠しながらチャンバラをして塀から落ちたり、登った栗の木の枝が折れて“いが”の上に落ちたり……。とにかく生傷が絶えませんでした。スズメバチに追われたことも二度ありますよ。ハチノコを焼いて食べるとうまくてね。後先考えずにスズメバチの巣を襲ったら逆に追われてしまったんです。イチかバチかでハチめがけて石を投げたら運よく撃退することができました。そのときは本当に嬉しかったですね
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