興味を持ったものにはとことんのめり込んでいました。それは学問でも同じです。幼少時代から生命の進化や宇宙に関心があり、小学5年生で学級文庫にあった『大宇宙の旅』を読み込んでいましたから
松本零士
私が気に入っているオランダ版の表紙もそうだったけど、日本版もハリーの顔を描いてないのがいいですね。それにとても雰囲気がある。イラストもいいですね。絵を描いてくれたダンに、とてもいいと伝えて下さい
jkローリング
裏でガタガタ言わないこと。練習が終わってから、あの子はどうこうって、女性特有の陰口あるでしょう。あれは絶対しない
井村雅代
教科書より講談本のほうがよっぽど面白かった。ただ、聞いているだけではだんだん物足りなくなって、自分でも読みたくなる。そこで、母親に『本、買うて』とねだると、母にしてみれば講談本でも何でも子供が“本”を読んでくれるのが嬉しいものだから、すぐに買ってくれました。塙団右衛門直之なんていう名前も覚え ていますよ
橋本武
ボクシングは中学校1年生のときに始めました。小さいときの夢というのは実は特になかったんですが、ちょっとだけやんちゃな時期があって、中学校の担任の先生が「お前、何かほかにやりたいことないんか」というので、「ボクシング」って言ったらその週末に近くの高校につれていってくださって。練習は何回も逃げ出しましたけど、なんとか、いい出会いにも恵まれて今に至っています
村田諒太
小さい頃、戦争中で部屋を暗くしなきゃいけない時期がありました。部屋は真っ暗だったんだけど本を読むのが大好きだったので、小学生 の頃から懐中電灯で本を読むようになって近眼になりました。そのメガネも今ではトレンドマークです
仲本工事
(小学生時代)自分で音楽をやりたくて、映画を観た帰りに映画の音楽をスペリオパイプ(リコーダー)で吹いたりしていました。この頃に聴いた音楽は、やはりどこか自分のルーツにあるように思います
宇崎竜童
子供のころ、僕のうちは貧乏で、洋服はもちろん、学校で使う習字道具から絵具箱に至るまで兄貴のお古でした。玩具を買い与えられたわけでなく、おやつもあるわけでなし。食卓で牛肉にありついた記憶は、ほとんどありません
工藤公康
私の父親は、あと数カ月で100歳になりますが、今年白寿でモンブランでのスキー滑走をやってのけた。98歳から99歳の二年間で本も三冊書いています。その姿を間近に見ていたら、自分もまだまだと思わずにはいられません。エベレスト登頂を前にして、私の体力が、30代後半の水準まで戻ったのは、父親に負けてはいられないという思いが、それだけ強かったからかもしれません
三浦雄一郎
とにかく、自分の仕事でギリギリまで追い込まれる必要があります。それぞれの仕事を四六時中考える。昔の人は、寝る直前まで仕事のことを考えたし、朝起きた直後から仕事のことを考えていましたよ。でも最近の若い人は、職場の机を離れたら仕事のことなど忘れてしまう。大手企業ならいいかもしれませんが、中小企業はボスが倒れたら全員失業です。にもかかわらず、仕事のことを考えない。残念です……
安藤忠雄
(子育てについて)ばあさんが過保護にしてるから、僕は厳しく育てようと思っています。しかし、男もガキができるとおしまいですよ。冒険できなくなるしね
渡哲也
私の実家も農家。母は腰が悪いのに今も朝市に。父と一緒に作った野菜や果物を食べた人から「おいしかった」と言ってもらえる時がいちばんうれしいみたいです
増田明美
戦争中ではありましたけれども、家には父親の趣味で35ミリの映写機がありましてね。うちの父親は陸軍で、ちょうどその頃はフィリピンのネグロス島でアメリカと空中戦でやり合ってましたが、一方、我々は兵庫県明石から母の実家のある愛媛に疎開をして、よく『ミッキーマウス』やら『ポパイ』やらのアメリカのアニメーション映画を兄とよく観ていましたね
酒とか飲んでたまに昔の話することもあるけど、私は昔はこうだったなんて誇りに思わないね。だって今のほうがいいに決まってるもん。昔のほうが良かった人は悲しいよね。そういう人は昔を忘れなきゃ。それが嫌ならもう死んじゃえばいいんだもん
所ジョージ
「死体ではない。ご遺体なんですよ」というセリフも強調しました。小さいころ、親戚の通夜で、母親がずっと遺体に語りかけていた様子を思い出したからです
西田敏行
閲覧履 歴
なし