西田敏行の名言集
玉山くんは、本当に今回、青年の孤独感をすごくきっちり演じてくれたなって感謝しています。原作にはいなかった(川島)海荷ちゃん演じる、有希という明日への希望のような存在の女の子と旅をしながら、変化していく様子をきちんと表現している姿にすごく好感を持ちました
西田敏行
2人で青函トンネル通ったり、駅で立ち食いそば食べたり、思い出いっぱいだよね
時系列では僕が訪れた場所を玉山くんがたどるわけなんですが、撮影場所は同じなので、僕がオフのときは玉山くんたちが撮影して、玉山くんたちがオフのときは僕らが撮影していました。でも、夜は一緒だったもんね。一緒にご飯食べたよね!
一生懸命に生きているのに、報われない。でも、本当に報われなかったかといったらそうじゃない。愛は必ず返ってくるということを、役を通して静かに伝えたいと思いました
(「マエストロ」は誰ですか?)フランシス・フォード・コッポラ監督ですね。ただし演技の上では、師と仰いでいるジャック・レモンです。コメディーからシリアスまで全作品を「ジャック・レモンになりたい」と思いながら、いつも観ています。特に『アパートの鍵貸します』を観ると、「俺もああいう企画の映画ができたらいいな」と思いますね
劇映画としても、コンサートとしても楽しめる。2倍楽しめるんだね
佐渡さんのご指導と同時に、あまねや香坂たちプレーヤー一人一人の表情がモチベーションになりました。わたしの指揮棒の動きをじっと待っているときの表情に胸がキュンとしますよ。これは僕だけしか味わえないことですから
(佐渡さんの熱血指導はいかがでしたか)すごかったです。具体的な言葉じゃなく、身ぶりで示してくださる。長嶋茂雄さんの野球指導と同じかもしれませんね。「(ボールが)スーッと来たらポーンと打つんだよ」という感じでした
役者としては表情に頼っちゃうところがあるけれど、プレーヤーに伝える手の動き、表情や視線、全て体と目力みたいなもので表現しようとする指揮者のすごさ。それは指揮者とい うマエストロにならないとできないんだということが、ご指導いただいた佐渡裕さんの指揮ぶりから垣間見えた気がしました
ソングライターとして活躍しているだけに、アンテナの張り方が俳優さんとちょっと違うんです。独特のアンテナで目の前の出来事をちゃんと捉えている。あまねという役に、miwaさんの感性がそのまま投影されているようでした
桃李くんは(エンディングテーマを担当した)辻井伸行さんと同い年なんです。この世代には才たけている人が多いなと思いました。役者を地層に例えると、桃李くんの世代から新しい層に変わっていく気がします
こんな時代ですから、何にも考えずに三谷さんの世界に浸って心を動かしていただいて、気持ちを豊かにしていただけたらうれしいです
どうにかして笑わそうと思ったんだけど、手ごわかったなあ。笑いをこらえている中井さんの顔がなんともチャーミングでした(笑)
僕は重量感もありますからね(笑)
撮影が終わってカツラを外すと頭から湯気が出ているんですけど、とても心地良い解放感があって、撮影後のビールはうまかった!
落ち武者の格好って夏だとキツイし暑いんですけど、全然苦じゃなかったです
「上杉謙信と同い年です!」というセリフだけで、ワクワクしました。謙信と友人だったなら、「謙ちゃん!六ちゃん!」って呼び合っていたのかな?とか、想像するだけで楽しい
六兵衛は、とにかく楽しい役でしたね。フィクションの役はどんなうそでもつけるから、イメージを膨らますことができるんです
僕は、三谷さんの世界観が大好きなんです。現場にいるだけで、いろんな楽しいアトラクションがあるテーマパークを、グルグル回っている少年のような気持ちになるんですよ。役者としての魂を躍らせてくれる監督なので、今回もすごく楽しみでした
20年前に阪神大震災が起きました。4年前が東日本大震災です。その間にも、新潟や鳥取、いろんなところで大きな地震が起きています。日本全国どこに住んでいてもひとごとではありません
「車は左、人は右。それで本当に良いのか」と先生は尋ねました。「心臓は左にある。心臓が車に近くならないよう、左を歩いた方が安全だ」と言うのです。私は「人は右」というルールにそれまで何の疑問も持ちませんでした。難しい言葉で言えば、既成概念を打破することに未来があるのではありませんか
ハワイアンズのある福島県いわき市と、事故を起こした原発との間にある広野町に今春、「ふたば未来学園」という県立高校が新設されます。応募が募集定員を上回ったことを知った県教育委員会は定員を増やしたそうですね。私は縁あって、この学園の応援団の一員になっています
自ら立ち直る人たちもいます。私にとっては「常磐ハワイアンセンター」と呼んだ方がしっくり来るのですが、スパリゾートハワイアンズのフラガールのみなさんは震災後、全国キャラバンをやってお客さんを呼び戻しましたよね。つらい時期に、よくがんばってくれたと思います
故郷にはかつて、「前の戦争ではえらい目にあった」と、太平洋戦争ではなくて戊辰戦争のことを指して言うお年寄りがいました。2年前の大河ドラマ「八重の桜」で私が演じた会津藩家老の西郷頼母(たのも)も、そうした「えらい目」にあった一人です
「死体ではない。ご遺体なんですよ」というセリフも強調しました。小さいころ、親戚の通夜で、母親がずっと遺体に語りかけていた様子を思い出したからです
本当の仮安置所では破傷風の危険もあるので裸足はダメらしいのですが、演技とはいえ遺体の枕元を土足でずかずか歩いて良いのかと思い、靴を脱いで裸足になりました
「震災を体験していない人たちに見て欲しい」という使命感で引き受けたのですが、撮影に入ってからも悩み続けました
出演依頼に最初は「人の命は厳粛なもの。そんなことを商業映画にしていいのか」と疑問を持ちました
まずは、子どもと同じ夢を持ってみてください。子どもは夢に向かって歩き出すわけだから、親も親なりの努力をしなければいけない。そのときには、子どもと同じ立場で肩を組んで歩くんじゃなくて、親は一歩下がって、子どもの行く末を見てやるということが大事ではないか
子どもが夢を持って語るとき、大人は『自分の子どもがとんでもないことを言っている』と思うだろう。それで良い。でも、そのときには、きちんと子どもの目を見て話してほしい。メール や手紙で話すのではだめ。子どもの目がきらきらしていて、親の勘で『やれるかもしれない』と思える目だと感じたら、受け止めてあげてください。100個考えて無理だと思っても、101個目に何かあるかもしれないと思ってください
生活するために、飯を食うために何とかする―というのではなくて、『そんなことしたら生活はできないよ』と言われるぐらいの大きな夢を持っていい。ぼくは、お金は後からついてくると言ってあげたい。何を言われても夢を捨てないことだ