瀬戸内寂聴の名言集
人間は今も昔も執着の心に悩まされている
瀬戸内寂聴
祈りは答えを求めるものではありません。自分を投げ出し、自分を無にして、生まれたままの自分に戻ること
逃げることも勇気ですよ
人間の苦しみは、全て自分の心身から発したもの
死にたくないと、うろたえて泣く人間臭さを、誰に恥ずかしがる必要もありません
自分の命が惜しく大切なように、人の命もその持ち主にとっては大切な宝
すべての宗教の究極は、許すことを学ぶことに尽きるの
自分で老いを自 分で感じた時、その年になる
近寄ってくる人の中には私を利用したい人が、たまにいるのよ。私はそれが分かっても利用させてあげているの
ただの一度も、一瞬も出 家したことを後悔したことはない
いつ来るか分からない死の影に怯えきって暮らすより、取り返しのつかない愛する人との死別にいつまでも悲しみ嘆くより、たった今、自分の生きている今日、この時を精一杯生きるしかないのではないでしょうか
あなたがもし我が身の安全を願うならば、まず世界の平和を願うべき
わだかまりを捨てると、心に風が吹きます
尼さんで食べていくのは難しい、私はお寺では全く儲けていないから、書くことで何とかやっていける
仏教は人に勝とうとする煩悩を信仰で調節せよと教えるのである
言葉というものには力がある
老いることに誇りを持ちましょう
人間はどんな辛い経験からも、心の傷からも立ち直ることができる
小説というのは、計算してできるも のではありません
この正月で数え年なら私は九十九歳である。長く生きたものだと、我ながら呆れている
神仏を祈らなくても、正直な心がそのまま神仏である
自分で選んだことには自分で責任をとれ
人間に生まれることを有難いとか大切だと思う気持ちが、近頃では薄らいでいる
自分で自分を認めてあげなければ 、他人にも認めてもらえません
やっぱり生きているということは、つまらないことをふっと口にして、それを聞いてもらえる相手がいるということかもしれません
人間は、息を吐くたびに嘘を吐いて暮らしている存在なのかもしれません
自分が死にたくないように、人も死にたくない
ボケるというのは、仏様になること
家族の仲が裂かれる理不尽な戦争や拉致など、非人道的な不幸があって欲しくないと切に祈るばかりである
人に忘却という能力を与えられたのは、神の恩龍であろうか、業罰であろうか
死者を忘れないということとは、自分の原点を忘れないということ
悪いことをしたなと思ったら、寝る前に仏様にお詫びをしましょう
私のように長く生きると、さまざまな坂を越えますが、「まさか」の坂もその一つ
この世の形あるものはすべて滅び、一寸先は闇なのです
仏教では人間の胸の奥に無明という闇があって、そこから全ての煩悩が起こると説いている
自分の死ぬ日が分からないというのが、仏の罰か、慈悲か、不問のところが、やはり仏の慈悲なのであろうか
人間の無力さに気づいたとき、わたしは出家しました
小説を書き続けるのは自分のしてきたことに対する懺悔
人間は、人も自分をも裏切ってしまうもの
長生きして良かったことは、多くの「面白い人たち」に逢えたこと
人を怨み憎むのも、欲しいものが手に入らないのも、執着というものから起こります
物事は変わる、時間は移ります
人間は生きている以上、自由で あるべきよね
簡単に自分を見限ってはいけません
煩悩の起こる心を自分の理性と智慧で制御していくことが大切
出家とは感傷的な甘い気持ちで衝動的にするものではありません
苦を苦として長く持っていることがさらに苦痛
若い人と付き合うことが若さを保つことといわれますが、それは全く常識的なことです
今の若い人たちは自分の心を伝える言葉がありません
少なくとも一日五回は笑うこと
どうやら、自分の体は自分のものとはいえないようです
死ぬまで欲望というのはあるんじゃないかしらね
勝負の世界は好きでは無い。勝敗であまりにもクッキリと選手の運が示されるので、見ていて辛い
暗い気持ちでいれば、不幸や不運が集まってくる
信じる能力は文明の進化とは逆行する
財産が多いと、かえって自分をダメにしてしまう
耐え難い苦しみを受けることを「代受苦」といいます
誰かの犠牲になる義務などない
人は誰しも自分の心を守る権利があります
私は日記が続かない
自分だけ幸せであれば他人はどうでもいいという自我心だけが、戦後の日本を支配して以来、日本は実に情けない国に成り下がってしまった
人間はホントに懲りない凡夫である凡夫(ぼんぷ、ぼんぶ)… 煩悩にとらわれて、悟りの境地に至れない人
小説というものは、作者が意図したものとまったく違う、とんでもない方向に進むことがあります
自分がいい思いをしたければ、当然、それなりの報いを受けるのは覚悟の上でなければなりません
運が来たなと勘が働かなきゃダメ。これは運だなと思ったら逃さない
愛する事は許す事、自分も許されて生きてる事を忘れないで
自分が幸運な時、運が向いてる時は、必ず悪口を言われる
チャンスは人の一生に何度も来ない
女性でもね、男性でもね、自分が幸運な時ね、運が向いている時はね、必ず悪口を言われるの。悪口を言われるということはね、悪口を言いたくなるほどね、その人が幸運なのよね
独りでいる覚悟を決めている人は、誰かに期待しない分、寂しくないわよ
そういう時(落ち込み時)は楽しいことを一生懸命考える努力をした方がいい。嫌なことが多い世の中に負けてはダメ
持って生まれた才能だけでは、もはや文学の理想を究めることはできません。バックボーンというのでしょうか、確固たる信念と哲学がなければ、本当に書きたいものは書けない。何か、人間よりも大きな存在に助けてもらいたいという気持ちが非常に強くなったのです
小説を書くことは私にとって快楽なのです。この快楽を手放したくないという欲望が、私にはあります。煩悩は捨てなくてはなりませんが、私はいい小説を書きたいという煩悩だけは、いまも捨て去ることができません。死ぬまで煩悩を抱えて生きるのが、人間というものです。煩悩を完全になくせばブッダ(悟った人)ですが、世の中はブッダばかりになってしまったら、ちょっと困るでしょう。だから私は、そんなに立派なお坊さんではないのです
人間はみんな死にます。川端康成さんも、三島由紀夫さんも、遠藤周作さんも、つい最近は北杜夫さんも、みんな死んでしまった。私のように90まで生きてごらんなさい。親しい人間は全部死んだということが、よくわかります。だからもう、私は死ぬことも怖くないし、病気も気にしません
60歳ぐらいのころ、ちょっと心臓の存在を感じるようになって、東京で3本指に入るという心臓のお医者さんに診てもらったことがあります。お医者さんが、「講演旅行などとんでもない。年寄りらしく庭で草むしりでもしてなさい」とおっしゃるので、「どうせ心臓が悪くて死ぬのなら、もっと仕事をしてやれ」と思って、仕事を倍に増やしたことがありました。そうしたら、私は死ななかったのに、そのお医者さんが亡くなってしまいました
お釈迦様は「この世は苦だ」とおっしゃいました。お釈迦様は国が戦争するのも、自分の国が滅ぼされるのも見ました。人間の嫌なところを見て、自分が可愛がっていた弟子がどんどん死んで孤独を味わいました。それでも、最後の遊行の旅に出られたとき「この世は美しい。人の命は甘美なるものだ」とおっしゃいました。この世に対する全肯定、人に対する全肯定です。お釈迦様がこうおっしゃったのだから、この世は美しく、人の命は甘美なのだと私は信じます。私たちはもっともっと楽観的に生きていい。私はそう思っています
私は、いい母になる才能、いい妻である才能、そうした才能をひとつひとつ摘み取ってきました。そして、小説を書く才能だけを残したのだから、これだけたくさんの才能を犠牲にしたのだから、せめて小説を書く才能だけはちゃんとしてくださいとお釈迦様にお願いしています
世の中は常に変化し、人生には予期せぬことが起こり、そして、人間は必ず死ぬ。こう覚悟しておけば、度胸が据わります。大変な災害に遭おうと、会社をリストラされようと、「ああ、これこそ世の習い」と感じることができれば、慌てふためくことはありません
大きな椿の花を咲かせるには、どうすると思いますか?まだ、つぼみが小さいうちに、ひとつだけを残してみな摘んでしまうのです。そうすれば、大輪の花を咲かせることができるのです
自分の愛情をどんどん相手にプレゼントすれば、増えたの減ったので悩むことはありません。
同床異夢(どうしょういむ)とは、同じ布団で寝ていても同じ夢は見られないことです。愛の情熱は三年位しか続きません。夫婦は苦楽を共にして愛情を持ち続けるのです
男女の恋の決算書はあくまでフィフティ・フィフティ