人に忘却という能力を与えられたのは、神の恩龍であろうか、業罰であろうか
瀬戸内寂聴
虚栄という、つまらない恐怖に苛まれ過剰消費に走った結果、大量の資源とエネルギーが必要となり、搾取、奴隷、公害、原発、戦争、殺される生き物の悲しみが生み出されているのではないでしょうか?
紀里谷和明
恐怖の克服がないと世界平和はないのか? しかし恐怖の克服とは生の否定に繋がりはしないのか? 生きる意欲と共に死んでいるという事、武士道に通する境地なのかもね
宗教の堕落は、宗教が理論そのものに堕することに始まるのではあるまいか
林語堂
これでは正義と不義との区別を知っていると言えようか
墨子
何かを達成した時の幸福って非日常なので、人生に何度あるか
本田圭佑
騙される能力が残されているということは、何かの恩寵ではないでしょうか
瀬戸内寂聴(夫婦)
笑うということは、意識しないものではあるけれど、笑うという行為なしに、人間は生きていけ ないのではないでしょうか
野村萬斎
働かないといけないという古い倫理観は残り、実は社会全体の富を増やす労働ではなく、社会全体の富を食いつぶしている負の労働があるのではないか
堀江貴文
欲望を無くそうとする欲こそ、もっとも大きい欲だということに何故気づかんのか
中村天風
自分の死ぬ日が分からないというのが、仏の罰か、慈悲か、不問のところが、やはり仏の慈悲なのであろうか
もし人間が持てる能力のすべてを発揮したとしたら、人間は自分自身に対して文字どおりびっくり仰天してしまうだろう
エジソン
法律をやぶったことについてのつぐないは、死罪になるにせよ、罪に服することによってできるが、もし人間道徳の根本義をやぶれば、誰に向かってつぐないえるか、つぐないようがないではありませぬか
吉田松陰
神は人間に耐えきれない苦しみを与えはしないと言うから、九分九厘まで耐えれば、あとの一厘で希望や夢は達成されるように人生は出来ているかもしれない
鈴木健二
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