虚栄という、つまらない恐怖に苛まれ過剰消費に走った結果、大量の資源とエネルギーが必要となり、搾取、奴隷、公害、原発、戦争、殺される生き物の悲しみが生み出されているのではないでしょうか?
紀里谷和明
心のままにまっすぐ砂漠へ踏み込んでいって、飢えるか狂うか、生きられぬ段階に至るまでの、生きられぬことの葛藤のプロセスこそ、生きるということではあるまいか
色川武大
人はどうやったら「認められたい」という欲求から開放されるのだろうか? 諸問題の根源はこれのような気がする
恐怖の克服がないと世界平和はないのか? しかし恐怖の克服とは生の否定に繋がりはしないのか? 生きる意欲と共に死んでいるという事、武士道に通する境地なのかもね
怒りや恨みや悪意など、誤った思考や感情をそのままにしておきながら幸せを求められるはずがありません
ダライラマ14世
自分のことばかり考えては いないだろうか? 奪う人、支配する人、逃げる人、これらの人は幸せになることができないだろう
アドラー
笑うということは、意識しないものではあるけれど、笑うという行為なしに、人間は生きていけないのではないでしょうか
野村萬斎
絶望のどん底にいると想像し、泣き言をいって絶望しているのは、自分の成功を妨げ、そのうえ、心の平安を乱すばか りだ
野口英世
働かないといけないという古い倫理観は残り、実は社会全体の富を増やす労働ではなく、社会全体の富を食いつぶしている負の労働があるのではないか
堀江貴文
欲望を無くそうとする欲こそ、もっとも大きい欲だということに何故気づかんのか
中村天風
残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
ホセ・ムヒカ
西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?
苛烈な競争で成り立つ消費主義社会で、『みんなの世界を良くしていこう』というような共存共栄な議論が、果たしてできるのでしょうか?
私たちは、持っている価値のないものにしがみついて、自分から人生を苦しいものにしてしまう
加藤諦三
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