行定勲の名言集
僕の年になっても何で青春映画が見ていられるのかっていうと、みんなが通った経験値が基にあるから。根本に見え隠れする想いとか、恋心とか、失意とか、絶望とか、そういうみんなの想いが小説になっているというか
行定勲
暗闇に一筋の灯りを入れることの大切さを常に感じています
僕らクリエイターは常に現状に対して怒りを抱えているんですよ。現状に満足していないという状況のもとで、映画人として成り立っているんです
言葉が違うだけで、顔の色、顔、風景や背景も似ているし、アジアの映画人達とお互いに影響を受けあって、喜びとか悲しみみたいなものを共有できたら、もう少し映画の幅は広がると思う
映画という基本を叩き込まれていない観客たちが、間違ったものを映画だと思っている状況がある
日本はどちらかというと、日本のテーマという風にはならず、アメリカやフランスみたいな、誰にでもわかるような普遍的なテーマ。それはなぜかと言うと、それぞれの国がそれぞれの観客で回っている国なんですよ。ただ、そういうところでは、逃げ道がないと思ったんです。影響された映画を、日本で真似をしたところで観客はいない
アジアの監督たちっていうのは、アジアの問題や自分の国の問題を、映画を通して映し出すことで、「わが国はこういう状況にあるんだ」ということを、背景に見せてくる。映画を見ればその国のことがわかるんですよね
日本人は映画を作るという行為のステータスがものすごく低い
結局自分のモチ ベーションが一番沸くのは、やっぱり映画人と触れ合っている時なんですよね
日本の映画監督たちはみんな、日本国内に向けて映画を作るということに疲弊してるんですよね
作り手は評価にひるんでしまうものだけど、釜山国際映画祭で観客に見せること、選ばれること、評価されることは正当な感じがするし、映画祭が観客を育てているというのが明確であり、そこが釜山国際映画祭を信用できる点ですね
僕は韓国、台湾の映画人と性が合うっていうか
小説としてはすごくセンセーショナルなことが、そのまま映画として描いてもその人物に花が見えないこともあります
原作小説がある場合、そこで生まれた登場人物に映画としての生き方をさせることが大事なんです
すごく志が低いところから始まりました。低いながらも、映画を見上げている感じでしたね
『影武者』は、とても印象に残ったリアルな怖い映画でした。それで、最後にエンドロールが出てきた時、すごくたくさんの人たちの名前が上がっていて。映画1本に、こんなに多くの人が関わっているのであれば、いつか俺もこのなかの誰かになれるのかもしれないと思ったんです
この世界に入りたいと思ったきっかけは黒澤明監督の『影武者』の撮影現場を見に行ったことでした
100人 中100人が良いと言うものって、絶対忘れてしまうから、30人くらいが熱く「いいよ」と言ってくれるものを狙っていきます
いつも言っているのは、僕が助監督の時の先輩助監督の言葉で、「自分で評価をするな」というものです。結局それなんですよね
見やすいカットなだけではなく、ハプニングですごくカメラが揺れたけど、逆に面白い、新しいカットが生まれたね、ということもあるわけです
建築家だったら100点じゃないとだめでしょう。でも、映画ではちょっと建て付けの悪い戸の方が味になったりするんです
まずやってもらったのを見て、どうしようもなかったら指示をする、良かったら採用してみる、という感じです。特に若い俳優とやるときは、自分で考えさせないと
僕は将来もずっと映画監督をやっていたいし、作家という言葉があまり好きではないのです。映画は自分ひとりでやっているんじゃなくて、人と人の力を得て、何か表現しているわけですよね。人の力を最大限に生かして、それをどういう塩梅でさじ加減をやれるかというのが監督なわけで
プロデューサーが僕の顔色を伺っていてはだめなので。一緒に心中してもらわないと(笑)
僕の場合は、キャスティングをプロデューサーに任せておけば、描き方はこちらに任せてもらえる。僕は俳優に上手い下手はないと思っているんです。その人の持っているものをいかに十二分に引き出せるか
観客が求めているものが、映画本来ではなくなってきているからではないしょうか。作品自体というよりも、誰が出ているとかのほうが、重要になっている
先入観もあるでしょうが、自分の意見を持つべきです
映画は映画でしかやれない、映画の中の空間、ある種不可解さというかね。観客がそれを持ち帰って、何を生み出すか。生み出すのは作り手側だけじゃでなくて、観客なのですね
僕が映画の業界に入り始めた頃、お金が儲からなくて当たり前だったのに、そのうち、低予算の自主作品でも、少しでも観客動員 を増やさなくては、と思っている野心的な連中も増えてきた。その中で僕はインディーズの助監督をずっとやっていたんだけど、どこかで、インディーズがメジャーをひっくり返さなくてはいけないという意識でやって来た
今の日本の映画業界は数字の世界になってしまってますね
嫌悪感を抱くものに関しては、空気に染まらない努力をすることってすごく大事。抜け出す勇気を持つことです
人間そんな強くないから迎合したくもなるんだけど、我慢して門を叩かない。それを繰り返すと、「個性」というものができてきます
僕が大切にしてきたことは、「嫌悪感を感じるものは避ける」ってことなんです。「こういう風になりたくないな」と感じるものって、結構あるんですよ。僕の場合で言うと、日本映画界の悪しき空気とか、演劇の批評性とかね。そうすると、そういうものを大切にしている人 から阻害されます。でも、いいんですよ。自分が嫌悪感を感じる人から、阻害されてるわけですから、それは成功なんです
つまんないことを言う人とは徹底して関わらないようにしています。それが、面白いものを作るコツ
むしろ、作っていく過程で、自分を曲げることもあります。プロとしてね
自分自身で「できる」とか「向いている」と考えていることって狭いんです
仕事には2種類あると思います。他人から与えられるものと、自分で私財を投げ打ってでもどうしてもやりたいもの。評価されるのは前者です
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