アジアの監督たちっていうのは、アジアの問題や自分の国の問題を、映画を通して映し出すことで、「わが国はこういう状況にあるんだ」ということを、背景に見せてくる。映画を見ればその国のことがわかるんですよね
行定勲
(張り込みをしていると)われわれがこんな辛い思いをしているのはすべてアイツのせいなんだと、なんの根拠もなく、対象の人物を生理的に憎むようになってくるんですよ。その現象を仲間内で「フライデー・シンドローム」と呼んでいました
宮嶋茂樹
どっかに僕は刺を持っている。どんなきれいなメロディでも刺がある。その刺が、その世界中のそういう人たちに、何か悲しみを持っている人たちに刺さるんじゃないかとは思ったりもします
YOSHIKI
本来、日々の出来事すべてが、その人自身をかたち作っていくもの。ゆえに、役者は芝居で、いろんな役を演じているものの、どうしたって一人の人間としての生き様、人柄など本質の部分が芝居に出てしまいます
中村獅童
「うちでもこんなことがあった」とかですね。そういう問題を(渡鬼の)ここの家族たちがひとつの解決を出すと言うことで、身近に感じてくださっているんじゃないでしょうか
橋田壽賀子
別れるというものがどんなに大切なものであるか。人間というのは、「別れということほど悲しいことはない」というけれども、別れがなければ人生は深まらない、と思っています
石川洋
所謂社会的なテーマやなんかっていうのは、一応措いちゃうんですけれども、お話を面白く伝えるっていうことが、今の映画には殊に足りないと思うんですよ。だから、ずっとそれを心がけて来たんですよ
瀬川昌治
僕は「ファン」という言い方が嫌いで、「仲間」と呼んでいるんですが、仲間に支えられて作ってきた自分のエネルギーをすべて使い果たして死ぬことが、今までたくさんの仲間を引き連れてきた僕にとっての礼儀だと思っています。60歳も目前にして、体力的にも厳しいけど、朽ち果てないように努力をしなきゃいけないと思います。だから、仲間には「絶対に観に来いよ」と言いたいです
長渕剛
マイケル・ムーアさんというのは、世界にいっぱいいる映画監督の中でも、たった1人のユニークな存在だと思います。というのは、ま、ドキュメンタリー作家ですから、現実を映すのはもちろんなんですが、その現実を映画の中に入れるだけじゃなくて、ご本人も映画の中に入っていて、突撃インタビューも含めて、もうその、自分の身体全身で現実を表現する人なんですね
青山繁晴
私は毎年十回以上海外旅行をしますが、そのたびに寸暇を惜しんで建築物を見に行きます。パリのルーブル美術館やサント・シャペルなど、もう何度訪れたかわかりません。日本にいるときは、同じように東大寺や法隆寺に何度も通っています。なぜそんなことをするかというと、それら先人の作品を間近に見ることで、「まだまだ自分は足元にも及ばない」という謙虚な気持ちになり、同時に「自分にはやることがたくさん残されている」「いつかこれを超えるものを創りたい」という気力がみなぎってくるからです
安藤忠雄
僕はむしろ文学というものを、他のものでは代替不可能な、とくべつなメディア・ツールとして、積極的に使って攻めていきたいというふうに考えるんです。だって文学っていうのは最古のメディアのひとつですからね
村上春樹
私が私がという。世の中が「私が」を主張するようになってきたという事は、そういう事をしないと自分がいることが確かめられないという心もとなさなのかなと思う
樹木希林
経営とはいろいろな人が集まって、自分の一番の強みを活かすことだと考えています。うちの社員にもよく言っているのですが、いまできるとか、できないということではなく、「自分としてこうありたい」「これがしたい」ということを思い描かなければいけない。人は高い目標があるほど頑張ろうと努力します。ですから、私の役割は目指すべき理想の会社とか、理想の商売を描くことだと考えています
柳井正
ぼくはね、広告というのは、社会に向かって、〝僕たちはこういうことを考えているんですよ〟とわれわれの考え方を、社会に訴えてゆく。また、社会が何を求めているか、それを探し、それに応えてゆく。そんなものだと思うんですよ。ぼくはね、PRとは、社会への語り掛けだと思うんです。〝われわれは、こんなふうに、社会に貢献したいと思っているのです〟そういうふうにね
佐治敬三
僕の生きている現代美術の世界も、キレイ事の部分は紛うことなき“お芸術”そのものなんですが、投資やエゴ、金への執着もまた現実にはまとわりついてます。僕はそういうドロドロした人間の姿の中に塗れてゆくことを欲しています
村上隆
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