僕はむしろ文学というものを、他のものでは代替不可能な、とくべつなメディア・ツールとして、積極的に使って攻めていきたいというふうに考えるんです。だって文学っていうのは最古のメディアのひとつですからね
村上春樹
僕はアートに対して献身的であるということなんだ。 僕は全てのアートは、究極の目標としてあるのが、物質的なものと精神的なものの融合、人間と神的なものの融合だと信じているんだ。 それこそがアートの存在理由なんだと信じているんだ
マイケルジャクソン
たぶん、わたしが考えて実行してきたことのなかのごく一部であっても、「ここを取りだしたら、誰かがちょっぴり役にたったりするかもしれない」という要素がきっとあると思うんです。糸井さんがかつてわたしにそうしてくださったようにね
岩田聡
わたしが見つけた天才の定義があります。人が嫌がるかもしれないことや、人が疲れて続 けられないような事を、延々と続けられる人、それが「天才」だとわたしは思うんです
音楽のためだけに音楽を書いていると、音楽という様式の中での洗練へと向かわざるをえない、それはひとつの完成に向かうこと、生命が死んでゆくことですよね。面白くも何ともないのね
坂本龍一
ぼくは今、自分が詩とか文学、あるいは絵や彫刻など、ある意味で自分だけの孤独な作業で自分を表現しているのならば信じられると思うんです。でも現実に、今皆さんの前で踊ったり、芝居をしたりしているなんて信じられない。実感がない。こんなことを言うと 、信じてくれないかもしれないけれど、本当なんです
坂東玉三郎
アジアの監督たちっていうのは、アジアの問題や自分の国の問題を、映画を通して映し出すことで、「わが国はこういう状況にあるんだ」ということを、背景に見せてくる。映画を見ればその国のことがわかるんですよね
行定勲
所謂社会的なテーマやなんかっていうのは、一応措いちゃうんですけれども、お話を面白く伝えるっていうことが、今の映画には殊に足りないと思うんですよ。だから、ずっとそれを心がけて来たんですよ
瀬川昌治
主観と客観の間が食なんです。客観的な意見は社会的に認められる力が強いわけだけれど、一見客観的な意見を言ってるようでじつは主観でしか意見をいってないのが食なんです
石黒浩
私はコンクリートにこだわり続けてきました。ひとつの素材を突き詰めていくことで、自分の想像力の限界に挑戦し続けられるからです
安藤忠雄
絶対に消極的な言葉は使わないこと。否定的な言葉は口から出さないこと。悲観的な言葉なんか、断然もう自分の言葉の中にはないんだと考えるぐらいな厳格さを、持っていなければだめなんですよ
中村天風
僕は、会社はもちろん、友人や仕事相手との人間関係にも依存したくないし、もっと大きなことをいえば、国や社会にも依存したくないと考えている。だから自由に生きられるのです
家入一真
私が私がという。世の中が「私が」を主張するようになってきたという事は、そういう事をしないと自分がいることが確かめられないという心もとなさなのかなと思う
樹木希林
僕の生きている現代美術の世界も、キレイ事の部分は紛うことなき“お芸術”そのものなんですが、投資やエゴ、金への執着もまた現実にはまとわりついてます。僕はそういうドロドロした人間の姿の中に塗れてゆくことを欲しています
村上隆
いま、文学の世界で、ともかく民主主義をみがいてゆこうじゃないか、ヒロシマの記憶を語り続けようじゃないかという代表は、井上ひさしだと思いますね。あの人がいるということは、こころ強い
大江健三郎
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