樹木希林の名言集
今なら自信を持ってこう言えます。今日までね人生、上出来でございました。これにて、おいとま致します
樹木希林
(肉体を)借りていたものをお返しするんだと考えると、すごく楽
見本になるのも一つの生き方
言葉ってものは、傷つけもするし、幸せにもする単純な文法です
(手相を鑑定した。人生の中で困難を乗り越えてきた人にできる“障害線”が沢山あると言われて)それを障害と見るか、自分が乗り越えて人間として豊かになると見るか...ですよね
内田裕也の全てが、好きです。全てが
もし生まれ変わったら、内田とはもう逢いたくない。もし次逢ったら、また好きになってしまってまた大変な人生を送ってしまうから
期待されないっていうのが一番いいものができるの
内田がね、ここ最近、会うたびに「体調が悪い」ってうるさいの。でも私が「それは辛いわねぇ、分かるわよ、私なんか全身がんだもの」って言うと、ピタっと黙る
死ぬまでの間に、残したくない気持ちを整理しておく
人として生まれたからには善も悪も欲も全部ひっくるめて、ちょっと削ぎ落としたところで着地したい
(やり残した事は?)私は別にないわよって。でも、じゃああると言えば果てしなくあるんですよ
私は20代の頃、人生に飽きちゃった事がありました
60歳を過ぎたら60歳を過ぎたなりの、何かいい意味での人間の美しさっていうのがあるような気がする
「もっと、もっと」という気持ちをなくす
宗教とは関係なく、これからの世の中は目に見えるものしか信じないか、目に見えないものを受け入れるかで、随分歩いていく道が違ってくると思う
子どもの時に他人と比較する無意味さを知った
私なんて、家族でいる時が一番緊張するんだから
無傷だったら人間として生まれてくる意味がない
覚悟っていうのをすると気楽ですよ
私は何でも面白がれるの
やっぱり世の家族が崩壊しないのは女の粘り強さですよ
若い事に私は非日常だったけれども、今は死ぬ側にいるということを嘘っぽくなく思える
あの夫(内田裕也さん)でなければこの人生、面白がれなかった
病気をすると分かるんですよ、人生ってそんなに長くないんだなぁって
やり残したことなんて死んでみないと分からない
誰かに添って生きるって人間が成熟していく為に必要な事だと思うの
彼(内田裕也さん)と一緒にいると自分は意外とまともなんじゃないかと楽な気持ちになれた
人間の裏側を見ちゃう、そういうところが人と和を保っていけないところ
モノを作るっていうのは、モノを壊して作っていくことなのね
(乳がんになってから)月に一度くらい一緒にご飯を食べに行ったりして、「離婚しなくて良かったなぁ」と言ってもらえましたし※内田裕也さんとの会話
自分にとって不都合なもの、邪魔になるものを全て悪としてしまったら病気を悪と決めつけるのと同じで、そこに何も生まれてこなくなる
(主人は)なかなか出会える人ではありません。向こうも、これだけ、へこたれない女はいないっあ。お互いに中毒なんです
人生が全て必然のように、私のガンも全く必然だと思います
私は弱い人間だから自分で命を絶つ事だけはやめようと生きてきた
(年齢を重ねると)終わりが見えてくるという安心感があります
不幸な思いをしちゃった時に反省して自分が憂鬱になっちゃったらマズイ
私が今、一番面白いなぁと思ってるのは、自分が歳をとっていってるということ
人間ってのは怠け者で逆境に遭わないと成長しないものだと確信していた
(癌になって)ケンカする体力がなくなって、随分、腰が低くなった
どの夫婦も、夫婦となる縁があったということは、相手のマイナス部分が必ず自 分の中にもあるんですよ
自分の身の丈にあったレベルで、そのくらいで良しとするのも人生
年をとってパワーがなくなる、病気になる。これは神の賜物、贈り物
豊かな時代に生きていると、どうしても死というものを忌み嫌うみたいなものがある
ある朝起きたら、片目がパタっと見えなくなっていたんです。ガンの時より、こっちの方がガックリきましたね(後に目が見えるようになった)
宇宙の流れに順応していないものが悪なのです
男を良くするのは女の期待も必要
騙すより騙された方がいいっ言う人いるでしょ、私はそんなことないと思う
今まで生きてた人が死んでいく。死っていうものは日常なんですよね
老衰で亡くなっていくというのは最高のもの
長生きしたいと思うわけでもないし、年を取るのはちっとも苦ではない
こういう理想の家庭を欲しいといった欲が全くない
女は強くていいんです。強くないと一家を支えられない
ガンがなかったら私自身がつまらなく生きて、つまらなく死んでいったでしょう
不自由なのを何とか自由にしようとするなんて思わないのよ
(内田裕也さんについて)みんな俺から逃げていくんだと。結局居なくならなかっだのは私だけっていう感じ
私が今日まで生きてきて、自分で得したなと思うのはね、言葉で言うと不器量というか、不細工だったこと
人のせいにしていると、なかなか成熟しない
死に向けて行う作業はお詫びですね
見誤らないように、生きていきたい、生きていかなきゃという感じ
色んな修羅場があっても人の責任にしないのは女としての潔さっていうのかな、母親とはそういうものじゃないか
男っていいなぁと思うことがあります。それは男に色気を感じた時
死をどう思いますかって死んだことないから分からないのよ
マイナスの出来事も含めて自分の栄養かな
若い時には「当たり前」だったことができなくなる。それが不幸だとは思わない
人間ってそんなに清廉潔白にいられない
自分を当たり前のところへ置くという作業をできるだけやってるわけです
自分を犠牲にしても家族を守るとか、会いたくても矢も楯もたまらないような深い深い愛情が自分の中にあるとは思えない
ガンになって死ぬのが一番幸せだと思います。畳の上で死ねるし用意ができます
女として当たり前のことやらなきゃ死ぬないと思う
女が台となって「始」って漢字になる。全ての始まりの土台を作るのが女
年を取ったら、みんなもっと楽に生きたらいいんじゃないですか
さて人間としてどう終了するか
自由に生きていいのに自分で生きにくくしている
(欠点は)あって当たり前
(若い頃の自分自身は)本当に偉そうだった
男にとって女というのは、なんかとっても必要ないもの、絶対にいなくちゃいけないような気がするけれども、女から見て男は、それほどでもなくなってる人があちこちにいる(笑)
幸せというのは、常にあるものではなくて、自分で見つけるもの
私は全てのものに対して、絶対こうでなければいけないという鉄則はないと思ってる
何でもない日常や、とるに足らないように思える人生も面白がってみる
抱えられるものには限界があって、それ以上、抱えようとしても抱えきれない
楽しむのではなく面白がることよ
謝るならちゃんと謝る。謝らないなら謝らない
真実を見極めるんですよ。本物を見つけるんです。自分の中に常に「本物を見たいな」という思いさえあれば、例えば病院だって、あるいは出会いだって本物に出会える
これだけ長くガンと付き合ってるとね「いつかは死ぬ」じゃなくて、「いつでも死ぬ」という感覚
もっと人間はこう、自然の中で、あっという間に死ぬかもしれない
(ガン告白後)女優業に執着も未練もありません
子ども産んで、女優がつまんなくなるんだとしたら、私には最初から、その程度の才能しかなかったんだろうと思ってる
ガンになるからにはガンになるだけの生活があってね、その資質が私にはあったのよ
何で夫と別れないのとよく聞かれますが、夫が私にとっては有り難い存在だからなんですよ
己の汚れ、他人の汚れに涙を流し、その汚れの荷をおろす べく、その七転八倒は必ず世を動かし、人を動かす
私は年を取る事に対して、一切ストップかける気持ちがない。だから私は「老いる」ということに対して、恐怖もなければ、嫌だなぁという嫌悪感もない
人間としての尊厳をきちっと保って映画を作るというのは、非常に大事
私は全然、いい人じゃないのよ。すごいひねくれててね、人をこうやって「斜めから)見る人間
人の人生に、人の命にどれだけ自分が多く添えるか
自分の好きなことやって生きていられるというのは、大変な感謝のこと
私は人のこと嫌いなんです。煩わしいから。だから友達もいない
基本はね、皆さんが先生。世の中にいる人間、皆さんが先生
不安定さからくる「かわゆさ」も、身軽さからくる悲しさも、不自然さからくる迫力もみんな、女優としての魅力になる
私、役を選ばないのよ。何でも演っちゃうの
不自然な姿をした人間を見るのが嫌
私は私の中の「悪」というものはあって当たり前だと思っている
上昇志向が全くないんです、私の場合
人間は自分の不自由さに仕えていくの