長渕剛の名言集
自分が関わった人たちを根こそぎ愛していく
長渕剛
明日死んでもいい今日を、いくつ創れるか
とにかく戦わないと、いいもんはできない
温もりこそが人間の財産
死ぬほど今を生きるんだ
叫べよ、叫べよ、吠えろ、泣け、笑え、怒れよ
歌とは元来、祈りだ
人間って強くなったり弱くなったりする
ステージが自分の生きる場所
真実を見抜く感性をみんな持ってる
一分一秒、自分が生きているその時を、唄にしなきゃもったいねぇ
僕の唄はね、全て弱さなんです
人生はオレたちが考えているほど長くない
無理だと言われた瞬間に、やろうと思った
真実を唄え
上に行けば行くほど、しんどくなる
一度や二度、ぶちのめされても恥じゃない。やられっぱなしが恥だ
何かにいつも感動していたい
すごい!って言わせたい。ただそれだけよ。ただそれだけで頑張ってる
自分が少年時代に憧れたもの、それを全て手に入れたいんだよ
俺もお前も何も変わりねぇ。同じ一個の魂だ
人間の幸せって誰かと共鳴し合うことだ
どれだけ本気で生きて死ぬか、それだけのこと
この人のために自分はいるっていう気持ちで生きられる場所を探したい
大勢の仲間と何かをやりたいと思う気持ちの裏側にあるのは孤独なんだよ
落ち込むなら徹底的に落ち込め
人間、怒りがなくなったらおしまいだよ。そしてそこから悲しみを知るんだ
負けて、そしてまた負けて、そうやって強くなってきた男っていうのは、死ぬ気で向かっていくから恐ろしいんだよ
大切なん人が死ぬと、人はなかなか悲しみの渦中から抜け出せないもんだけど、僕は逆に母の死から力のようなものを感じ取ることができた
男である以上、死ぬまで男にこだわって、しっかり生きていきたい
殴られたら痛い、撃たれたら痛い、心を折られたら痛い。そういった本当の痛みみたいなものを感じないと
オレは人一倍、怖いという感情を持っているんだと思うよ。怖いから、それをねじ伏せる為に前を向く
どんだけ今を精一杯生きても、後悔からは逃げられない
恥をかかない人間は成長という自身の宝物を放棄しているのと同じことだ
オレと関わる人間たちが、オレと同じくらいのボルテージを持っていないと、オレは許せなくなっちゃうのよ
癒しとか優しさとかが続くと、もう自分が潰れそうになる
自分をどこへ突き動かされているんだろうって考えると、結局戻っていくのは自分の少年時代
生きるとは明日を信じられることだ
まだまだ優しくなる為に、弱さをくじき、強く生き続ける
革命というのは、必ずしもすごいことをやるとかじゃなくて、大いなる素人が本当に精魂込めて、一生懸命やるということが、何の世界でも革命を起こすんだ
悩みは神様がくれた成功へのチャンス
一番大事なのは、自分の中の10代の魂をいつも刺激させ、肉体を研ぎ澄ませておくことだ
汗をかかない人間は恥もかけない
自分が倒れた時に立ち上がる為の音楽を、オレはやる
オレと姉ちゃんの仲間が悪くなったのも、親父とお袋の仲が悪くなったのも、銭であり学歴であり、それを煽り立てるこの社会であると、そういう幼児体験がオレの原型になってる
家から逃げ出したかった。何をすりゃいいんだ、どこに行きゃいいんだ、そんな憤りでいっぱいだった
自分も含めて人間ってそんなに強くないからね。オレは弱き者の為に歌いたい
一人の人間の可能性というか、未知なるもの、秘めているものを、あまり過小評価しないほうがいいぞ
いつまで少年の瞳のまんまでいい
人を愛し抜く事を怖がるな
もっともっと人の為、時代の為、国の為、世の中の為にはなる歌を作って届けたい
自分を守るというのは、やりたいことを我慢するんじゃない。もっともっと邁進することなんだよ
肉体を練り上げるということは、人生を高く高く切り開いていくことと同じだ
色々悔しい思いもしたけど、悔しさのツケは全部、歌にしてきた
生きる力がない奴が、いくら頭で考えても誰も幸せにならない
社会は君が想っているほどキレイなんかじゃないぞ
ツアーが無事終わると、自分へのご褒美で大好きなソフトクリームを食べる
今だ、今だよ! 今、動け
オレの場合、肉体改造と音楽は直結している
外でワガママやればやるほど、家族ってものが愛おしくなる
愛情というより、愛憎をぶつけ合うくらいの激しい関係じゃなきゃ意味がない
もちろん男女平等さ。けど勝ち負けの問題じゃない。男である意味、女である意味、その役割が分かっていると男も女ももっと輝く気がするね
摩擦はあって当然なの。お互いの中に苦しい摩擦があってこそ、初めて理解できるんだから
人に嫌われたい奴なんていないよ
人を愛する時は、もうこれ以上愛したら爆破するんじゃないかと思うくらい愛するよ
優しい男たちに聞きたいね。体力ない、持久力もない、ケンカ弱い。そんなんでイザッて時に好きな女、守れんのかい?
これは俺にしかできねぇって男を張らなきゃ、いつ張るんだよ!それが男の見栄ってもんだよ
幸せは誰も与えてくれない
ボチボチしてらんねぇ。生きることに全力投球だ
オレは無関心っていうのが、現代のこの国の戦争だと思ってる
死ぬ気で通さねばいけない時があるんだよ
バカな大人になると、自分の自尊ばかりが先に立って教えを乞えなくなる
影響力を持ち続ける為に自分が影響を受けるものを探し続ける
ダメと言われたら、なおさらやりたくなる
限界までやるのではなく、限界を超えて自分がどうなるのか
孤独の裏側には無視がある
愛するって大変なことだよ。覚悟がいる
心の中に自分は何のために歌うのかとか信念がないと生きててつまらない
裕福だった家庭よりも貧しかったことに対しての感謝がある
長渕剛って男は、特定のカテゴリーの中には決して収まらない男だから。テレビの世界にいったらテレビ画面からはみ出し、映画の世界にいけばスクリーンからはみ出てくる男だから
死んでからだね、父母が。恥ずかしい話だけど。俺、これでようやく自立なのかって思って(笑)。それまでずっと心のどこかに、父ちゃんに抱っこされたいっていう思いがあったんだと思う
別に下手くそでも、つたなくてもいいんだよ。大切なのは、俺の気持ちをお前に伝えたい!この純粋な想いのみだ
男は、意地のためには、プライドは捨てる。恥をかいても目的に向かっていくことを諦めちゃだめだ
俺はやりたかったんだ。だからやった。それでいいんじゃないかな。失敗したら、また前を向けばいいだけだ
どちらかというと俺は親父にもお袋にも優しくしてこなかったかなって思ってたんで、せめて親父には何かしてあげたかったんですよ
俺はいつだって俺の中にある本質を伝えたいんだ。だから根本は変わらない。どうしたって
派手な照明もなければ、凝った演出もない。何もないステージだ。そこにギターケースをぶら下げて出て来るんだからさ(笑)。つまり、これでいいんだよって言いたいんだ、特に若い世代のやつらにさ
まず、自分をとりまく環境を変える。居場所を変える。簡単なことだ。心の痛みをしょい込むより、肉体の痛みを毎日実感しながら、昨日よりも強い精神を宿らせろ
幸い、ここまで人よりも多くの歓びや悲しみを経験してきていますから、そのぶん感情の振り幅も大きく、人生を楽しむための引き出しも多いんじゃないかと思う
歌の世界には歌詞とメロディの2つがあるんだけど、俺自身は『詩』に根ざして、そのときの自分を射止めようとして作ってきた
オレの場合、肉体改造と音楽は直結している。その時その時の人生をなすりつけたのが、オレの音楽だ
人間の『生き死に』さえも銭に換えるこの国だから、ありったけの命をたたいて今、叫ぶのだ
君が愛にしがみつくより、まずは君が強くなれ
オレの周りには、グウタラとかヘタレといわれるヤツはいない
基本的に僕らの歌は大衆の中に流れていってるものですから、自分も大衆の中の一人としてどうなんだということを客観視しないと、ついつい自分は凄いことやってると思いがちなんですね
長渕剛って男は、またきっと何かやるんだろうなって気はしてる
時代の流れに乗っかって消えていく歌の組に入るのか、それとも自分の名前はいずれ風化されようとも、歌だけは残りたい組に入るのか、その勝負をしなきゃ!!生まれてきた意味がないだろ
(歌う為に上京する際)親父に殴られた、母には(成功するまで)帰ってくるなって言われましたね
ガキの頃の純粋さや一途さ、そういったものを持ち続けることの大切さを再確認したんだ
今、残っていただいている、好きになっていただいている仲間というのは、「そうだ」と思ってくれている連中だと思ってます。だからこそ、「そうじゃないんじゃないか」と問いかける自分と「そうだろ」と同調する自分を常に持っていなければいけません。「これなのだ」と言い放った瞬間には「そうじゃない」という歌を作っていかなければならない責任があります。そのレスポンスを表現として、生涯貫いて生きていきたいんです
有頂天だったころは、現場で力ずくで自分の筋を通したこともあった。おい!こら!とね。それは、オレの心が弱かったんだ。不安だったんだ
自分の心の中から歌いたいこと、いま言いたくてたまらないこと、そういったことが作品にならなくてはダメだ
20代の時はさ、こんなクソ田舎、冗談じゃねえよっていって出てきたんだけど、母親が亡くなり、父親も居なくなりそうな状況に直面した時に、故郷というものがたまらなく愛しくなって、いつしか感謝の気持ちに変わり、しまいには恩返しをしたいって気持ちが湧いてきたんだ
父と母が亡くなったときのあの放り出されたかのような気持ちは半端じゃなかった。人生の先輩がたからは “甘えるな” と怒られるかも知れないけど、独りぼっちじゃん
吉本の芸人さん気質は、下積みの悔しさみたいなものが根底にあるから、みんな必死だよな!その必死さが伝わってくるから、『おもしれえ、勝負だ!!』ってなる。『てめえ、殺すぞ!』って気持ちで俺も食らいつかなきゃ、番組がつまらないだろ
ファンが何を求めて僕のコンサートにやってくるかと言えば、自己を肯定して生きていきたいんです。「おれたち、結局頑張ってもさ… 」と、どこか自己を否定して生きている社会がある。だけど、「長渕のコンサートに行くとそんなもの払拭してくれるんだ」という、そんな彼らの声がステージ上の僕に突き刺さってくるんです。「わかった、だったらおれらも飛びかかっていくからな!!」と、そこに全力で応えていく
わざわざ難儀な思いをして、髪をかきむしりながら、言葉を書いて、それに曲を付けて、そうまでする理由っていったいなんだ? それは、どうしても伝えたいことがあるからだろう
自分の本当にやりたいことってなんだい? 誰かに何かを言われてるからやってるんじゃないか? みんながやってるから、雰囲気で右にならえしてるんじゃないか
時代や誰かのために歌を作るという意識は、オレにはない。そういうのは、テーブルの上から人を見下ろすような音楽に感じられて嫌いだ。だから、まずは自分、自分が立ち上がれない音楽を、なぜ人に放つことができるんだ!という気持ちから歌はスタートすべきだ
巨大なエネルギーっていうのは一夜にできたものではありませんね。僕とファンがずっと長い歴史をつむいでつくってきたものなんですね。それは、高みを目指して挑戦し続ける、一途の道を追求しつづけるという、あくなき表現者として完璧を目指すという強烈な欲求でもある
しのぎを削りながら頑張ってきて、のし上がって、でもくじけて。後悔して、また自らを奮い立たせる。それをありのまま歌う。自分が倒れた時に立ち上がるための音楽を、オレはやる
俺はずっと一人で叫び続けてきたわけ。でもさすがに一人だと声も涸れて出なくなるぜ。一緒に走る仲間が心から欲しいんだ。弱虫でセンチメンタルな部分っていうのは俺の中にたくさんある
人が思ってるほど長渕剛っていうのは強くないところもたくさんある
トレーニングでは、強さだけではなく、優しさも育つ。ホンモノのアスリートを目指すには、自分の力だけではレベルアップはできない
バンドというのはバンドじゃなきゃいけないんです。同じベクトルを向いていなければならない。一喜一憂を紡ぐために仲間が集まるわけです
「すごい」って言われるのはやっぱりすごいんですよ。「すごい」の三文字ね、それを色んな人に言わせたい。そこに集まる連中たちへ向けられる最高の3文字を僕はつくりたいんです。シンプルだよね
田舎者でバカだったからね。リンカーンのリムジンで全国周ったこともあるんですよ(笑)。ロックスターを気取ってね、まだそんなところまで来てないことは解ってるのに、その形を作ったり。今思えば穴があったら入りたい、恥ずかしいこともいっぱいしてきたんだ
1つのヒットがあったときに、それを10年歌わない覚悟が自分にあるかどうか。それを上回る拍手をもらうために何が必要かを考えますね
僕のライブパフォーマンスは “生きる” そのものであって。
「死にたいほど生きる」「おまえら、死にたいほど生きてるか」ってことなんですね。
そんな厳しいこと言わないでよ、という人もいっぱいいると思うけど、でも「ゴメンネ、おれ学芸会やってるんじゃないんだよ」と言いたい
人間は命がけの表現、本気でかかってくる者に対しては、逃げるか、行くかしかないんですよ
僕がライブハウスで歌い始めたとき、お掃除のおばちゃんしかいなかった。「おばちゃん、聴いてよ」というところから出発したわけです。そこから10人、50人、100人、1000人と増えていき、日比谷野音6千、日本武道館1万、東京ドーム6万5千、桜島7万5千、そして今度は富士山麓10万という目標値を設定しました
40年近く前に歌の世界に入って、これまでに400曲くらい書いてきました。歌の世界で生きてきた自分が、歌の世界で死んでいくんだな、ということをそろそろ意識する年齢になってきました。そう考えた時、歌う、ギターを弾く、テレビで語る、ラジオで語る、絵を描く、そういった今まで自分が体験してきたことを表現する全ての引き出しを、全部出そうと思ったんです。オールナイト・ライヴもその一つで、体力的には、もう最後ですから、それも含めて全部やろうと思っています
声をかけなければ、振られるかどうかもわからぬ
もちろん死に様というのも考えます。みんな笑うかもしれないけど、僕の死の理想は、死ぬ寸前で骨と皮だけになった状態で、ギターを持って2曲歌いたい。
ひとつは、死ぬまで自分が愛してやまなかった女性に対する曲。
もうひとつは、僕を傷つけてきた憎い奴らに対する曲。
この2曲を「究極のラブソング」として、僕が大好きで敬愛している日本という国の、1年の最大の祭典である「紅白歌合戦」で、病院からの中継で歌って、全てのエネルギーをそこで使い果たして、そのまま死んでしまいたい
女にはどうあがいても勝てないし、勝負の対象となるものでもない。女は偉大だ。男はつくづく闘争本能をぶら下げた毛虫のようだな。笑いたくなる
命かけなきゃつまんないよ
僕は「ファン」という言い方が嫌いで、「仲間」と呼んでいるんですが、仲間に支えられて作ってきた自分のエネルギーをすべて使い果たして死ぬことが、今までたくさんの仲間を引き連れてきた僕にとっての礼儀だと思っています。60歳も目前にして、体力的にも厳しいけど、朽ち果てないように努力をしなきゃいけないと思います。だから、仲間には「絶対に観に来いよ」と言いたいです
僕の人生というものは、周りの大人たちとの関係で作られてきたものです。そのなかで、時代の風というものがあり、ある時は僕がヒーローとして扱われたり、逆にある時は悪いヤツとして扱われたり。芸能界の暗黙ルールというものの中で、思いっきり悪の底に突き落とされたこともありました。そういうことをたびたび経験してきて、それでも腐らず今こうして凛としていられるのは、僕に大切な仲間がいたからです
ぼちぼちしてらんねえ。生きることに全力投球だ
聴く人がいなきゃ、俺なんかクソなのよ
今の若い子たちは、悩みがなさそうに見えるけど、みんな悩んでいる。悩みを公衆の面前でさらけ出すので、ある部分は守ってあげなきゃいけないし、違うと思うところは僕の意見をハッキリという。僕が若いころは「こういうことを言ってくれる人がいて良かった」という大人がいましたが、今の若い人たちに本当のことを言ってくれる大人がいない。だから、自分が10代の子たちにとって、そういう大人になってあげたいんです
「本番で一生懸命歌えばいい」とか「本番でアクティブなパフォーマンスをすればいい」という考え方は、僕は嫌いなんだ
肉体が出来てくれば精神もついてくるから
歯を食いしばった。恥をかこうが、胸板薄っぺらいねー、と笑われようが、何年後かに理想の身体で理想のステージをやるという意地だけで続けた
今、何をしていようと、それに夢中になればチャンスはいくらでもある
今のテレビは、個人を尊重しているようで、完全に無視している。スポンサーやテレビ局の思想があって、それにそぐわないシリアスな話をすると「笑いでごまかしなさい」「お茶を濁しなさい」という暗黙の命令に従って、司会者が瞬間的に頭を使って上手くごまかしていく。それは、スポンサーがテレビという「御本尊」をコントロールする存在だからです
自分で決めた分の筋トレをしなかった場合は、翌日倍以上やる
自分もかつては歌番組やドラマに出させてもらって、テレビの裏側をたくさん見てきたけど、いまのテレビは「枠」に収めることばかり考えて番組を作っている。
「映っちゃいけないものを見切れさせるな!」「台本に書いていないことは話すな!」「スポンサーの意向にそぐわない発言はするな!」って、制約の枠だらけ
俺はレモンは持たねぇよ
ジムには、ホンモノがうようよいる。ホンモノのなかに歌手一匹。周囲が100kg以上のバーベルを当たり前のように持ち挙げるなかで、ギターより重いものを持ったことがなかったオレは、5kgのダンベルからスタートだ。恥ずかしかった。その後も10kgや15kgを必死に持ち挙げたが、誰も口をきいてくれない。クソッ!今に見てろよ
デブは必要ない。これ、アーティストでなくても、あらゆるビジネスにも共通することなのだ。自己管理ができないヤツはだめだ
自宅にいる日の食事は蒸し魚、生野菜のしぼり汁、ボウル1杯のサラダ。カロリーは少ないが量は多い。腹いっぱいになる
裏切ったヤツと街でばったり出会った時に『よっ、久しぶり!貴様!元気か?』 と笑える、本当の意味で強い人間になりたいと思った
いつの時代にも若い連中は、どちらかというと楽しみより悲しみ、悲痛な叫びみたいなものに飢えている、「本当のことを聞かせてくれ」と思っていると、俺は信じて疑わないんです
こうして思うとね、30代後半に悔しい思いを体験したことはすごくよかった。順風満帆だったら、自分を変えようなんて考えなかった。有頂天だったころは、現場で力ずくで自分の筋を通したこともあった。おい!こら!とね。それは、オレの心が弱かったんだ。不安だったんだ。そういう態度が誤解も生んだ。頭も打たれた。悔しかった。でも、悔しさは力だ。神様が与えてくれた試練だ。悔しかったからこそ、自分から変わろうと思ったんだから
人の前でパフォーマンスをやる人間にとってデブは敗北。肥満を年齢のせいにするパフォーマーは人前に出るな
強さと優しさを教えてくれた、宮畑会長という生涯頭が上がらない大きな男と出会えたことは、オレの人生にとってとてつもなく大きな財産だ
オレの作品は、いつも自分へ向けての音楽。何よりもまず自分を奮い立たせるために作り、歌う。
『TRY AGAIN』もそう。しのぎを削りながら頑張ってきて、のし上がって、でもくじけて。後悔して、また自らを奮い立たせる。
それをありのまま歌う。自分が倒れた時に立ち上がるための音楽を、オレはやる
仲間とか、一緒に上り詰める人とは本気が大事じゃない。本気の先には、狂気があるんですね。そこを今度は超えると殺気がある。本気、狂気、殺気を超えて、最後には覚悟がある
お金にまつわることや、まぁよくいる利権として群がる輩たち。具体的には話さないが、騙された。あの時期、裏切られたこと、たくさんあったな!はらわたが煮えくりかえるほど人を恨んだこともあった。信頼する人間に欺かれると、自分のすべてをはぎ取られたように自暴自棄になる。でも、しばらく経つと、思うんだ。裏切る人間を近くに置いたのは誰よ?とね
お前ら最高
自己流では、オレ自身が理想とする音楽活動、ステージパフォーマンスはできない!体力的にも、見栄えも。かっこいい衣装を探す前に、優秀なスタイリストに頼む前に、己の身体を作るのが先だ!そう確信した
いらっしゃ〜い。今日はギター、一本でやりますから
日誌を書くと、その日の自分のほんの小さな弱さを見逃さずに済む。反省もする。取り戻そうとする。自分のケツは自分で拭いてケジメつけて生きていくという当たり前の覚悟が宿る
ホンモノのアスリートを目指すには、自分の力だけではレベルアップはできない
俺は元来、貧乏性っていうのかな。手ぬけないタイプだろ? もう一生懸命やっちゃうのよね。回り見てみな、手抜きばっかりだろ
人生はね、君達が思っているほど、長くないかもしれない
だから、今を思いっきり生きていこいうね
お待ちかねいくぞ、おまちかね
今の日本人タコばっかりですわ
つまんねぇ唄が流行ってるってことは俺たちのレベルが低いっつーことだしよ。だからお互いがんばってあげようよ!いや。本当だぞ!俺は本当にでやってんだから!ま、これ以上言うと、アイツもおっさんになったなって言われるから
生ぬるい毎日がイヤなんだよ。命の際を行こうよ
ミスを犯すのが人間。だけど、そのミスを犯した時にどう補うかが、その人間の真価が問われている
悔しさは力だ。神様が与えてくれた試練だ。悔しかったからこそ、自分から変わろうと思ったんだから
(巨人に移籍し怪我をした頃の清原選手に宛てた「書」に書かれた言葉)まだ人生の9回裏じゃねえ
金庫にさ、出刃と契約書だけ入ってんのよ。わかるかな、この感覚
今の世の中、男がヘタレばっかじゃん!! 野生がねぇんだよ。要するに狩りをしなきゃイカンのよ。男の中にひそんでいる野生を喪失しちゃったら、もう精神的な死と同じ。俺は常に生きていたいのよ。死臭を漂わせたくないんだ
閲覧履歴
なし