20代の時はさ、こんなクソ田舎、冗談じゃねえよっていって出てきたんだけど、母親が亡くなり、父親も居なくなりそうな状況に直面した時に、故郷というものがたまらなく愛しくなって、いつしか感謝の気持ちに変わり、しまいには恩返しをしたいって気持ちが湧 いてきたんだ
20代の時はさ、こんなクソ田舎、冗談じゃねえよっていって出てきたんだけど、母親が亡くなり、父親も居なくなりそうな状況に直面した時に、故郷というものがたまらなく愛しくなって、いつしか感謝の気持ちに変わり、しまいには恩返しをしたいって気持ちが湧いてきたんだ
長渕剛
若ければ、境遇が恵まれないことに、理不尽さや怒りを感じて「くそー!」なんて叫んでもいいと思うのですが、30歳、40歳になっても同じことを言っていたら、負け惜しみになるでしょう
中村獅童
今年で85歳だけど、この歳になっても、いつも最高、生きててよかったなあ、と思うことが本当に多い
加山雄三
一度きりの人生を自分らしく生きてたら皆さんが興味を持って下さったっていうのが正直なところ
はるな愛
(社長就任して間もない頃)やる事なす事、反発があったのでなんで自分が皆の為を思って一生懸命やってるのに分かってもらえないんだろうってすごく感じててベットに入ったら毎日泣いてるような状態でした
諏訪貴子
俺は若いうちに売れちゃって、50歳過ぎて『ちょっと俺だめだな』『俺はやっぱりこのぐらいなのかな』って
石橋貴明
(不登校が続いた後に学校に久しぶりに行った日に同級生から)バンドやらないって言われて、それまでバンド恥ずかしいから、人前出るの嫌だったんだけど、これは今「うん」って言わなきゃダメだと思って「やる!」って言って、そこから人前でやれるようになった
星野源
先生のスゴさって、きっと先生が死んで数十年経ったくらいに「私ってすごい人のそばにいたんだ」と今なんかより、もっと実感するんじゃないかと思います
瀬尾まなほ
20代半ばくらいまで、“自分とは何か”とずっと考えていました
10年もの間、恋人がいないアタシは、「一生、独りで生きてゆく覚悟をしてるわ」なんて生意気を言ってきたし、もちろん、そうなったらなったらで狼狽えずにいたいと思ってはいるのだけれども、やっぱり傍らに誰かの存在があった方がよりすばらしい人生なのではないかって、そう素直に思えるようになったのよ。
マツコ・デラックス
母親の「お前が1年間も真面目に勉強するとは思えない」という言葉を覆せなかったことが心残りで、それ以降は他人の言葉でなにかを決めることはやめようと誓っていたからです
寺田和正
(28歳の時、実家が全焼したことで弟さんを亡くされた際)自分では泣きたい時には泣ける人間だと思っていたのに、ここで泣いたら芸能人としてカッコ悪いみたなこだわりがどこかにあって、自然な感情に身を任せられないんですよ
明石家さんま
近所のお寺さんのお偉いさんに(名前を)つけてもうたって親から聞いた時に、もう想像を絶するくらいショックだった
(膵臓ガンになったことについて)もっと若かったら、ショックも大きかったと思うんですけれど、病気は病気で、まぁしょうがない
八千草薫
(学生時代)頭も良くて、運動もできて、俺はできるやつなんや!って自分でグイグイハードルを上げたせいで、それを越えられなくなった結果、ひきこもってしまったのだと思います
山田ルイ53世
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