映画監督の名言集
長年やっている経験から、顔をみたら大体その人の特性がわかる
岩井俊二
人間ってやっぱり特殊な動物で、顔にいろんなインフォメーションが入っているんです
最近、自分の好みだと思う役者さんが増えていて、傾向が変わったのかなと思います。僕の幅が広がったというわけではなく、やっと周りが僕に追いついてきたって 感じですかね(笑)
高校生の時に読んだ太宰治の『人間失格』は、ひとことで言うと“衝撃”でしたね。「世の中を生きていくには、そんなにちゃんとしてなくてもいいんだ」という衝撃を受けて…
ファーストインパクトを受けた作品は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』
「何かを目指さなきゃいけない」という思いが常にあって、勉強をしたら次に進まないといけないことに対しては疑問を感じていました
子供の頃は長い文章を読むのがしんどかったので読書はそんなに好きなほうではなかった
子供の頃は絵を描くのは好きだったけど、そんなにうまい方ではなかった
僕は何に対してもハマって極めていくのが好きなタイプ
僕はエンターテインメントとして「まだやったことのなかった殺人」を描くことが仕事で……
僕の作品にはあまり頭のいい人や利口な人が出てこないんです。完璧ではなくて、どこかダメなやつが多くて。きっと自分が投影されているん
観客として出会う作品って、半年くらい引きずってしまう
篠田正浩監督にも影響を受けているのですが、たまたま 観た『はなれ瞽女おりん』にものすごくハマって
宮崎駿さんの『ルパン三世 カリオストロの城』とかを観て。意外と勝新太郎さんの監督作と宮崎駿さんの作品ってよく似てるんですよ。『紅の豚』なんて『座頭市』にしか見えない(笑)
自分の場合、何に影響を受けたか?というのは、偏りだと思うんですよね
大人(が主人公)の話になると、大人の責任というものが出てきて、許されざることもいっぱい出てくる(苦笑)
自分にとってそれほど重要な相手じゃなかったはずなのに、長くつ き合っていくと、その縁の長さというのは絶大なんです。腐れ縁みたいになっていく関係の方がより人間的
青木真也の涙に涙
元日に休まないというのが長年のジンクスであり健康法
僕の場合は、仕事自体が人と一緒に作る部分も大きいので、逆に暗く閉じている部分を隠しきれないんですよ(笑)。気持ちが奥に引っ込んでいる時に、出会いがしらのように人に会ってしまったり……
”ヘクとパスカル”のメンバーは、子ども時代の世界をそのまま残したような3人なんですよ。世代は違うけど、そこだけが一致している。それで音楽の波長が合うんです
歌詞って、みんな自然に書いていると思っていたんですけど……
そもそも悪役という人間は存在しない。悪役という視点が存在しているだけである
普段人が気付かないような隠れた人間性を描きたい
偏った寸足らずな愛国論はこの国にとって毒にしかならない
自国贔屓に偏った歴史解釈は人間的に受け入れがたい
日本は隣国を侵略をしようとして最後はアメリカと戦い負けた。なのに免責された。侵略された国がまだ怒っていても当然で、忘れてしまってる日本の方がどうかしている。というのが僕の歴史認識です
クリエイターは発想が極端過ぎ。切腹してみようなどと普通は考えられないですよ。ヒットラーしかり。発想が極端過ぎないクリエイターもまたクリエイターとしていかがなものかということがあります
そんな石原慎太郎の挑発に国が乗ってしまった。日本のメディアはそれを不思議とも思わない。よく知らない相手の国ばかりを悪く言うが、紛争に発展したらどうするつもりなんだろう
石原慎太郎は作家としては素晴らしかった
(リリイ・ シュシュについて)遺作を選べたら、これにしたい
男のお洒落というのは、本筋、でなくてはならぬ。スタンダードでなくてはならぬ。場違いであってはならぬ、のです
伊丹十三
肝腎なのは、ともかくも一冊の本を読みとおすということであって、理解なぞ二の次でよろしい。一冊の本を読みとおしたものだけが、 二冊目に取りかかれる
世界一のマッチの条件とは何か?必ず火がつくとか軸が折れないなんていうのは、これはマッチの最低条件だから勘定にはいらない。世界一のマッチの条件は、擦ったとき、においがしないこと、そして、頭が落ちないことなんですねえ
古本屋で洋書をぱらぱらめくってみると、よく、第一ページだけ丹念に辞書を引いたらしく、ぎっしりと書き込みがあり、二ページ以下、全く新品同様という本がある。あれは悲しい
僕は葬式の中に映画を見ちゃったんですね。葬式という形で、映画が丸ごと天から降ってきた、という気がしました
押し入れや台所の飾りつけの時、置かれている箱類や商品類の文字を徹底的に排除している自分に気づく。文字が映るとどうしても目がそこへ引きつけられる。それを避けるためなのだが、それよりもなによりも、文字たちの醜さが許し難いのだ。これも病気である
「父親」とは何者か?自分の母親と切れている者、従って相手を「母親」として扱わぬ者、死んだ父親の言葉を子に伝える者、自分で耐えるべき不快に自分で耐えることを知っており、それを子に伝える人である
一体、男の誇りはどこにあるのか。男ならやせ我慢で押し通すべきではないのか。忍の一字、これがダンディズムというものではないか
それにしても微量のものの表情は難しい。しみじみとしあわせな表情、ほのかなしあわせ、かすかな笑み、わずかな老け、人にわからぬ程度のほろ酔い、等。原節子は偉大だった
今日はやや疲れ気味。こういう日は体がカット数を増やしたがらず、あらかじめ作ったカット割りを現場で壊し、長いカットに単純化してゆく。コンテは必ずしも理屈ではなく、多分に生理的なものであるようだ
テーマをたてるということは実に厳しいことなのです。一つのテーマをたてるということは、当然なにかの犠牲 を伴うわけだ
時代は進歩しているのであろうか
誰が悪いのでもない、日本語でパリを語るということ自体がダメなのです
僕の考えじゃ、女の人っていうのは、付き合いの天才だと思うわけです。そりゃなんたって、お腹の中に赤ん坊を10か月も入れているわけですから、人間関係の根本っていうものを押さえているわけです
人生において、自分がより自分になってゆくことにおいて、初めて他者は「自分ではないけれども別の自分である」ような存在として見えてくる
藩を飛び越えて、日本というものを考えるということは、よほど精神の自由で発想の豊かな人間にしか出来なかったに違い ないと思うわけです
「これ見よがし」のスタイルが現れると何の選択の基準もなく、次から次へと手を出す。刺激の強いものでないと、着ている気にならない、という、一種の病気のようなものにみんなが取りつかれている
まず私が声を大にしていいたいのは、「スパゲッティは饂飩(うどん)ではない」ということだな
恋なんていうものは、そもそも回を重ねるに従って難しくなっていくようにできているのである
テレヴィジョンの仕事を愛するものにとって本当に喜ばしいことは、テレヴィジョンを見る人が増えることではない。くだらない番組と思えば遠慮なくスイッチを切る人が増えることである。スイッチというのはその為にある
男を飽きさすまいと思ったら、二人の間に適度の距離を作ることに専念すべきだよ
優れた舌を持っている人は、これから作ろうとする料理をどういう味にするか、はっきりしたイメージを持っている。イメージがあるから途中の段階でだんだん味を整えてゆくことができる
僕は以心伝心などというのは信じません。いろいろなことを言葉にして、問題があればこまめに解決していく
既成概念に一撃加えることで新しいものが見えてくる
イヴ・サンローランは20回縫いなおす。天才は19回目でまだ直す目を持っている
ともかく正義は悪である、というのが私が戦争体験から得た教訓
常識がいまだに常識として生命を保っている。つまりそれが文化というものであろう
私はくじけない。映画で自由をつらぬく
お洒落、なんて力んでみても、所詮、人の作ったものを組み合わせて身に着けてるにすぎない
自分の嫌いなものをあれこれ考えるのはとても愉しいことです。美的感覚とは嫌悪の集積である、と誰かがいったっけ
日本人の人情を失わないようにしようじゃないの
みんなが信じこんでるものは、とりあえず、俺はやめとこう、あれは絶対ついていってろくなもんじゃない、と思っちゃう
ドキュメンタリーの撮影現場には、台本など不必要である。もし、必要であるとしても、それは「そこへ」跳ぶためのものではない。「そこから」跳ぶためのものに過ぎない
そもそも日本人というのは妙に工夫を凝らしたがる悪い癖がある
死ぬなら楽に死ぬ。苦しむなら治る。どっちかにしてもらいたい。苦しんだ上に死ぬなんて理屈に合わぬ
自分に出会えない人生は、他者とも出会えない
遠くを見ない。明日だけを見る
坂東玉三郎
桜姫って、ただのお姫さまとは全然違いますから。いろんな女の人の性格や運命を一人の女にこめたようなところがあります
きれいに立ち直るというのはすごく力がいる。醜く落ちていったものを次の幕でもう一度きれいに再生するのは、すごくたいへんです、精神的にも、肉体的にも
最初、役慣れしない頃は低い声、いわゆる男らしい声を出さねばという意識がありましたが、慣れると声の高い低いじゃなくて雰囲気なんだなとわかったので、後半ではお岩が低い調子、小平が高い調子。小平は女っぽくならない程度に張りました
むずかしかったのは凄みを出す というところです。「凄み」と「がんばる」というのは違う。「ふけてはいけない」というのと「軽くなる」のは違う。「病気のけだるさ」と「恨みの辛さ」も違う。結局、ぼくはまだ若いですから声を安易に使うと軽くなる。それがむずかしいのです
お岩は父親の敵を打ってもらいたさに伊右衛門といるけれど、子供まで生んだのに針の筵の毎日でいる。父を殺した伊右衛門と知らずに暮らしていることが因果なんでしょうね。「浪宅」は本当によくできている場面ですね
お岩という人は、初めて舞台に出てきた時は若くて美しい女 だけれど、すでに生活に むしばまれている。原作、初演の台本では夜鷹のなりで出るんですね。でも、なぜ夜鷹なのかと考えると頭がぐらつくんですね(笑)。ですから、ぼくは夜 鷹の糸立(粗末な筵のこと)を持たずに出ました。ひとことふたこと説明したところで お岩が夜鷹であったと、見ている方にはわからないでしょうから。もしそうするならば、それなりの台本を作らなければなりませんし
見る側のために伝承がある、けっして演る側の楽しみじゃなく、いかに内容をはっきりわからせ、奥深く見せるかのための伝承を大切にしていきたいと思いました
『四谷怪談』というのは本当によいお芝居で、5時間で演じ切れない部分のどこを割愛していけばいいか、というと、本当からいえば割愛していいところなんかないわけです。ですが、今回は言ってみれば、裏表、裏表ときれいな部分と醜さが反転してゆくという演出家の趣向なんです
型に関してものを言う場合は、自分が3回ぐらい再演して自分なりに消化したうえで、「この型というのはこれこれこうだから、全体のバランスを考えるとこうしないと展開しないんじゃないか」とか初めて言えるんですね。初役の場合は、役の大根の意味を掴むことです
どういう型があり、先輩の役者の方々がどういう演技方法を残されたか、ということを考える。これはどの俳優さんでもなさっていると思います。そして、その読み方によって解釈が違い、選ぶ型が違ってくるんですね
どういう役柄にしたらいいかということも大切ですが、歌舞伎の場合はやっぱり伝承とか型も大事です。伝承や型を考えてみて、脚本を読んで全体の意味を知りその中で自分の役が何を表現したらよいのかを掴まなくてはならないんです
ぼくね、子供のころ眠る前に(鼻を)3回引っぱれっていわれて(笑)
杉村先生ぐらいになっちゃうと、ある意味の女形と同じだと思うの。ただ、過去に生の女の人だったということ(笑)。ごめんなさい(笑)。先生みたいに、そういうのを一回越えちゃっているというのを(笑)舞台で観てすばらしいと思うんですよ
ふ だん何していますかと聞かれるでしょう。芝居を観たりします、というと、勉強家ですねといわれるけど、そうじゃないのね。楽しいの。観てるときって。やってるときよりいいときがあるし(笑)
ぼくは今、自分が詩とか文学、あるいは絵や彫刻など、ある意味で自分だけの孤独な作業で自分を表現しているのならば信じられると思うんです。でも現実に、今皆さんの前で踊ったり、芝居をしたりしているなんて信じられない。実感がない。こんなことを言うと、信じてくれないかもしれないけれど、本当なんです
自分に協調性がな いから、普通に暮らしていけるかどうかという意識があって、自分に劣等感があったわけでしょう。兄たちも、母に「こんなに甘やかして育てちゃったら、とんでもないよ」なんて言う。そういうのを聞いて育ったものだから、自分が絶対に駄目な人間だと思っていた。
公には言いませんけど、個人的に、友達とするんですね、「自慢させてね」と前置きして言って、合槌を打ってもらうんです。実際、自分で良いと錯覚するくらい、うまい合槌を打ってくれる人がいい(笑)。「ふんふん」じゃなくて、「ほんとにねえ」と言って欲しい(笑)
自分の作品とか批評、写真に対して割と客観的なんですね。だからすごくさめているんですけど、時には自慢ぐらいしなくては生きていかれない(笑)と、自分でほめたりしてるんです
やっていることが私なんです、とお答えするのが一番確実なのかもしれない。それで、そのときどき偶然に見えるものが事実だと思うんですね。だから、昨日言ったことが本当か、今日言ったことが本当か、じゃなくて、どちらも本当なんです
本当の核心は無意識の中にあるというか、言葉にするとゆがみが出ると思います。だから、ある意 味では、話をするのがめんどうくさい、というところがあるようです
皆さんがおっしゃるほど、自分の舞台上の姿が自覚の中にないんです。ですから、聞かれるたびに答えていても、それは意識的に作った答え、演じていく過程、役を教わった過程での方法論の言葉が自分の中にあって、その言葉で答えていくだけなんです
父の時代は、自分の父親に習える役でも他人に習いに行けと言われたらしいですね。うちの父も自分の父親から習ったものはほとんどないと言っていました
テレビで商社マンの教育をマンツーマンでやるのを見たことがありますけど、ああいう感じです。もう今はやりたくない(笑)と思います。こう言われたらこう言う、ああならば、ああするとか、きっちり教えてくれるんです
三食小言付と言っていたんです(笑)。朝から晩までずっとです
とにかく女形は立役に添わなくてはいけないと教わりました。たとえば、立役が小道具を落としてしまったら、次に使い易い所に芝居の中でちゃんと置き直すとか、立役に寄り添う時にはどうしたらいいかとか、そんなふうに演られると相手が困るとか
稽古だといって出かけては、内緒で映画や外国からきた公演とかを見に行ったりしてたんですね。それまで父が厳しくてぎゅうぎゅうやられてましたから(笑)
演りたいものが歌舞伎以外の世界にも広がっていって、いろいろなものをさせていただくようになったんです
教えてくださる時に、「私は女優としてこう演っているけれど、先輩の女形さんたちはこうとこうとこれがあるから好きなのを選んでどうともなさい」とおっしゃる。「喜多村先生はこうなさった、花柳先生はこうなさった」とおっしゃってね、「あなたのくふうでなさいよ」と言いながら教えるときはきちんと教えてくださいました
初めは良重さんのお母さま。大先生でしたけれど、ぼくは共演するようになってからは他人というイメージがあまりなくて……。新派の女形の芸を女優の芸に翻訳なさった方で、素晴らしい方です
『熊谷陣屋』なんですけれど、相模の入りから通して演ったんです。あの暑い夏の京都で。それまであんまり忙しかったこともあって、ぼく、ノイローゼ気味になりました
共演は初めてでしたけれど、その前にすでに『お染の七役』を教えていただきました。あの『お染の七役』は早変わりで七役を演じるもので、長いこと上演されなかったのですが、昭和の初めに国太郎さんが復活なさったのですって
芸の力でいいお三輪はこれからも出来るかもしれないけれど、その時のお三輪の花は今日一日で終わる、ということじゃないかと思っています。思いがけずほめていただいて励みになりました
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