映画監督の名言集
若草座というのは父が若い頃やっていた会で、それを復活したわけです。青年歌舞伎祭というものがありまして、△△会とか、会を作って参加する催しだった。若草座は2回もしていないんじゃないかな
坂東玉三郎
ぼくは日記を書くことができないんですけど、その代わりに14、5歳の頃から見た芝居や映画のプログラムがとってあって、それをみるとその芝居や映画を見た時に考えていたことを思い出すんです。プログラムを見ると、この頃は何を考えていたんだとわかる。だから、見た物と自分が舞台に立った時のことが思い出になっているんですね。そんなふうで、あまり記憶の整理ができないんです
協調性ゼロといったほうがいいかもしれない。だから学校で困りました、協調性がないってことで(笑)
学校では体育はやらない、運動会には出ない、遠足は行かない、旅行は行かない、でしょう。ほとんど団体行動をしたことがないんです。学校にも悪いことをしましたね。だから、他人と大勢で何かするというのが苦手ですね
この子は無事に暮らしていけばいい、という気持ちで育てていたので、何か欲しいと言えば買ってくる、あそこへ行きたいと言えば連れて行く
大塚って昔の下町の面影があっていいでしょう。よく六義園なんかも歩いて遊びに行きました
両親が芸事を好きだった。映画へもよく連れて行ってくれました
14歳で父(故守田勘弥)の芸養子になってこの家に入るまでは通っていました
6歳の時に踊りを始めて、弟子入りして、7歳になって本舞台がありました。子供だからなすがまま、というか、おだてられるがまま(笑)。「よく踊れた」とかほめられると、子供だからつい踊っちゃう(笑)
両親は、とにかくぼくが無事に暮らしていけばそれだけでいいと思っていたし、ぼくも無事にしていればいいんだなと考えていたので、何かひとつの仕事をしよう、ということは本当に考えなかったです
雷も恐くて、雷が鳴ると家の中は恐いから外へ出たいという。外に出ると鳴っているので家へ入るという。雷の鳴っている間中、それをやっていたらしいです(笑)
ぼくは小さい頃、夜泣きソバ屋さんのチャルメラが恐かったんです(笑)。それで、チャルメラが聞こえると泣くわけです。寝つきの悪い子だったらしいんですよ。それが寝ついた時にくると、起きて泣くので、もう、親がチップをあげて、「この辺にくるな」って頼んだそうです(笑)
脚が疲れて、それが上にのぼってきて、肩が凝ったり頭痛がしたりするんですね。弱いほうの脚というより、それをかばうほうの脚が疲れますね。でも、本当になんという職業を選んじゃったんだろうと思う時がありますよ
克服するというより、なんで不自由のある人間が舞台に立つようなところへいっちゃったのか、と思ったくらい(笑)
父親がネコっかわいがりにして、どうしても病院に入っていなければならない病気の感染期間が過ぎると、うちで治療するからといって、治療器具を買って、病院から出しちゃったんです。とにかくそんなふうで……
5人兄弟の一番下で全部生きていれば7人兄弟ですけど、ぼくのすぐ上の 兄と、もう一人の兄が死んでいるんです。それで、兄たちとだいぶ年が離れていて、両親が40をすぎてからの子供だから、本当にネコっかわいがりだった
わがままだし、さびしがりやだし、気はきついし(笑)、大人みたいなことを言うし……、何でも思うとおりにやる、そんな子でした
台詞がとんだり、いわゆる「ろれる」というか
すごくあがりますよ。震えがきちゃう、もう。『メディア』の初日の時なんか、前で見てらして、あがってると思いませんでしたか。舞台稽古の時はそれほどでもないんですけれど、お客さんが入ると、もう……
翻訳劇の時なんか、スカーフしたりスカートはいたりして、なるべく照れないように苦心してます
ちっともうまくないから、人前ではあまり……。それに、すごく照れ屋なんです。ただ、一回照れずに人前で何かできると思ったら何時間でもやってる。芝居でも、幕が開くまでは照れている。幕が開いてしまって、演劇としてやっていいというエクスキューズから演れるんですね
家の人には聴かせますけど。子供の頃からそうなんですね、身内には「もういい」っていうまで、やってみせるんです(笑)。『悲愴』の第二楽章もやさしいから、よく弾きます。歌うのも大好きです
バイエルを終わってすぐに、『月光』をやったんです、ベートーヴェンの『月光』。めちゃくちゃというか、冒涜というか(笑)、楽しみでやってますから、そこらへんの腕で止まっているんですけど
10歳ぐらいの時からピアノはひとりで弾いていましたけど、教則本は全然やらなかったんですね。それで14歳で玉三郎を襲名して、お稽古事が始まって、そのひとつの課目にピアノが入っていたんです。けれど、その時もバイエルも終わらないうちに忙しくなってしまって、きちんとはできなかった
世の中の大勢と脚並みを揃えられない場合には、世の中じゃないものになるしかないじゃないですか。自分が違うものになって自由なところに脚をおろす
美の基本はやはり丁寧でなければなりません。私は、力技で他人と対さないということが、日本人ならではのやわらかさだと思います。他人への気遣いであり、優しさであり、また所作が丁寧であることもやわらかさに繋がるのだと思います
遠くを見すぎると、足下がおろそかになるのかもしれません 明日に向かって前進することが大事なのでしょう
進歩するには背伸びも必要でしょうね。ちょっとずつ背伸びして、その時の自分よりも装って発言したり行動する。そして次にその背延びが嘘でないように努力するわけです。
昆劇を演じるという形で中国を親しく知るとは思わなかったが、自分の体を通じて中国に入れたことが幸せだった。これを機会に深い中国の思想、文学、芸術を知りたい。これからもすばらしい時間が過ごせる劇場空間をつくっていきたい
日本の芸能というものは付け加えられてはいますけれど、非常に削ぎ落とされた端正なもの。日本ほど口伝で歌舞伎なり能なり、人間同士が引き継いできたというのは、珍しい国かもしれません
伝統芸能であろうとも近代のものであろうとも、お客さまが〝生きていて良かった〟と いう時間を過ごしてもらうという事が意味だと思います。そういうものを舞台でお見せする事が私達の使命だと思っています
伝統芸能を引き継ぐ意味というのがここで答えられるのであれば、追求する必要も無いですよね。引き継ぐ意味というのは、言葉では表せません
型破りな演技は、型を知らずにはできない 型を知らずにやるのは、型なしというのだ
気楽にいけばいいんじゃない?
さよなら公演で、力を使い果たしたんです(笑)。大きな節目ということで、ちゃんとしたものをお見せしなければならないという気持ちがあり、没頭しましたから。しばらくは、芝居から離れて、客観的になりたいなと。一方で、これからは、“若い”“きれい”ではない、新しい役に取り組んでいきたいという思いもあります。でも、次のステップに行くためには、続けながらだとわからないし、一度、自分を緩めてやりたかった
会うことも会話もできない中で伝わるものが、魂なのではないか
三つの作品を通して私が理解したことは、ある一定の場所に籠もって修行することの大切さでした。テクノロジーに囲まれている今の都会を離れて自分と向き合い、純粋性を保ちながら、人間として、そして芸能者として真っ当に生きることを此処で望むのです
所作だけを最小限やるような稽古と、没入して振り切れてしまったような稽古を両方やっておいて、その中間のところにさっと降りて、本番の舞台をやるのです
遠くは見ない。明日だけを見る
自分は成功を獲得するために舞台に上がるのではなく、舞台上の鮮やかな衣裳やイメージが好きなわけでもなく、なぜ舞台に上がるのかと言うと、観客の皆さんの前で演じる時の自我を忘れる感覚を求めてのことなのです。もし常に自分が出て来るなら駄目です
ぴかぴかしていればお金がかかっていると思われがちですが、さりげなく普段着のようにすることのほうがすごいんです
一人の俳優であり、何らかの大物でも芸術家でもなく、芸術の完璧さの追求には終りがなく、最大の成功は、公演が終わって大きな幕が降りた瞬間、場内の観客の顔に満足の表情が見える時です
作ってる方は考え抜いているんだけど、使っている方はその工夫に気づかなかったり、ふとその妙に気づいたりするもの。例えば、絹のくずで作ったごしごしタオルとか