そうそう小倉の北九州モノレール。以前は小倉駅の手前が終点になってたんだけど、同級生に北九州の建設局のやつがいたんで、「なんであんなとこで止めるんだ。なんで駅ビルに突っ込ませない」と言ってやったんです。そしたら突っ込むようになった
松本零士
自分の撮った写真を持って国連や国会乗り込んで、「おら、こんな事が起こっとんじゃい」なんてことがいつかあったらすごい事でしょうけど。でも、始めからそんなこと期待して撮ってるワケじゃないですから。そうなった ら本当にスゴイことだけど、私の場合は好奇心ですよ。やっぱり。自分の目で見たい!
宮嶋茂樹
ボクシングは中学校1年生のときに始めました。小さいときの夢というのは実は特になかったんですが、ちょっとだけやんちゃな時期があって、中学校の担任の先生が「お前、何かほかにやりたいことないんか」というので、「ボクシング」って言ったらその週末に近くの高校につれていってくださって。練習は何回も逃げ出しましたけど、なんとか、いい出会いにも恵まれて今に至っています
村田諒太
あんた(いかりや長介)もあれでねえ、よっぽど偉い人というか、変な人というか…。カラッケツでドリフを始めて、飛行機で言えば離陸する大変な時にいてくれて、それから何とか先が見えてきて、さあ、これから楽になるぞ、お金も儲かるぞという時に辞めちゃった。あの時はあんたの人生哲学が理解できなかった。『極力みんなに迷惑かけないようにする』って、辞めると言ってからも半年は続けてくれた。あの半年のあんたは凄かった。鬼気迫るというか、本当に面白かった
ザ・ドリフターズ
ホノルルマラソンも走れってなった。今度は郷ひろみの記録、3時間38分を切ったらギャラ倍にしてやるって言われて。これも切ったよ。3時間13分57秒。それからや。気合い入れてやろかなあと思ったのは
間寛平
(地方での学生への授業内発言)自分たちの学校はこうだから、都会に比べて損だから、確かにそうなんですよ。絶対に受験は都会が有利。だけどそんな事を言ってもしょうがないんですよ。今さら
林修
『酒蔵駒忠のハーレーダビッドソンにクリスマスイブの日、ずーっと乗ってっからな!お前ら全員見に来い!』そんな嘘八百ばっか言ってたんですよ、オールナイトフジで。それを酒蔵駒忠のオーナーが気に入ってくれて。次の日から「頑張れとんねるず」って幟を1年間立ててくれたんです、ハーレーの横に
石橋貴明
(97年5月、久々に五万人入った国立での日韓戦の話)昨日みたいな場合はお客さんの後押しもあるから、やっぱりマークを必死にかいくぐって走れるんだよね。五万人があれだけ熱狂したら走れるもの。(痣や内出血が残るほど激しい)マークがついていようがなんとかしようという気になるものね
三浦知良
最近、工場見学が流行ってるでしょ。あれをみんな見たい、楽しみたいと思ってる。だから回転寿司でロボットが作ってるところを全部表に出したようなレストランってめっちゃ流行るんじゃないかなと。少なくともそういうものは絶対に出てくる
石黒浩
ごはんを作るロボット。ロボットレストランっていう話。これはねぇ、書いてもいいけど、回転寿司があるじゃん。ぼく次の回転寿司は多分こうなるだろうなというのがあって、回転寿司って機械で作ってるところが多いでしょ。あれなんで表に出さないの?
毎日、銀行へ記帳にいく。ジージーと数字が書き込まれる。この記帳される音。その音を聞きながら、私は思った。会社に勤めているときゃ分からんかったけど、なんだかんだいっても、この数字を上げられなけりゃ、経営者なんかクズだよなぁ。偉そうなこといったって、コンサルタントなんか、お客さんの、この数字を上げられなけりゃ、社会の害虫だよな
神田昌典
釣でいうコマセ(撒き餌)を、こんだけ撒いて鯛が3枚上がらなきゃ元は取れないななんて考えて撒くやつがいるかい?釣果は二の次、その場は損得抜きで、豪快にパッと撒いてこそのコマセだろ。俺はそんな付き合いこそが世渡り力だと思ってるんだ。一番価値があるのは、情報を持っている人間なんだよ。だったら、その人間にお金を注ぎ込むのは当然じゃねえか。人間を大切にする。大切にするためのお金は惜しまない。それが世渡り力の原点だ
岡野雅行
いろいろな企業と付き合いのある仲間からの情報は貴重だ。なかには運命を決めるような情報だってある。人付き合いをやめたばっかりに、そんな情報が入ってこなかったら、それこそ運命にかかわるんだ。いま仕事が大量に入ってきているからといって、それだけに目を向けていたら、値引きが必至な三年先のダメージは計り知れないってことになる。実際、そんなことで潰れていった会社を、俺はたくさん見ている
一番憧れるのは超二流。半分は敵だけど、半分からは支持される。『あいつは二流だよ』とこき下ろされても、一方で『こいつはすごいんだよ』ってね。立川談志がそうだった
立川志らく
1973年(昭和48年)3月。楽屋への階段に一歩乗せた時のことです。背後から長髪の高校生が立っていました。「何か用?」「弟子にしてください」「それはええけども、何で私の弟子に?」「あんたにはセンスがあるから」「ありがとう」と言って頭を下げてしまいました。初手から負けです※松之助師匠と明石家さんまさんの初対面時
笑福亭松之助
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