立川志らくの名言集
ウケなくても、落語っていうのは笑わせる手段で、その先に目的がちゃんとあるんですね。人間の非常識な部分とか悲しみとか、それを描ければいい。笑いは手段だから別にウケなくたって構わない
立川志らく
落語界の異端児と言われることがある
毎日同じことをやって同じことで怒られていると、想像力の訓練になる
相変わらず、落語を聞きに来る日本人は1パーセントもいない
高座に上がって生で感じたことを次へ生かしていく
今は談志を継ぐ気はなくなりました
落語っていうのはストーリーの面白さではないんですね。ナンセンスで非常識なキャラクターだとか、出てくる人間の面白さ
どこでも鉄板でウケているからと、その慢心が自分の成長を止めている場合もある
テレビは全部、「即興大喜利」なんですよね
落語は一生かけてやるもの
(談志さんになれないことが)無理だと分かったら気が楽になりました
芸は真似できても生き様までは真似できない
スターというのは超一流のこと
談志は、政治というおもちゃを見つけて遊んでいた
クイズ番組にあまり出ないのは、フラストレーションが溜まると思うので
基礎もできていないのに他の落語と違うことをやりたがり、早々と自分で考えたギャグを入れたりする弟子がいっぱいいるけど、それはその場しのぎでしかない
高座に上がったそのときの気分と、観客席の雰囲気と、自分が思っていることとが、ピタッと合ったとき、いいものになる
ノリでウケた落語は、後で聞くとイヤになることが結構多い
落語とテレビは畑違いのようでいてそうでない。MCをやらせてもらって共通点があることにも気づきました
落語である程度の地位を築いてからテレビにいくっていうのは過去ない
落語は敷居が高く感じるかもしれませんが、映画やお芝居を観るようにふらっと訪ねてくれればそれほどの知識がなくても十分楽しめる
めがねをかけるのは、自分の中でゲン担ぎになってる
テレビで売れる云々は、ある程度巡り合わせもあります
(若い頃、談志さんに言われたこと)お前、巧い落語なんていつでもできると思っているだろう。でも、どっかで意識しておかないと、巧い落語ができなくなっちゃうぞ
独演会というのはネタの当たり外れがあります
(芝浜について)元々はあまり好きな噺ではなかった
一番憧れるのは超二流。半分は敵だけど、半分からは支持される。『あいつは二流だよ』とこき下ろされても、一方で『こいつはすごいんだよ』ってね。立川談志がそうだった
(芝浜にどんな印象をもっている?)一番遊べる落語です
伝統芸能というものは各々の弟子の中に師匠が残って、芸を極めていくものだと思っている
閲覧履歴
なし