間寛平の名言集
(走るときに聴く音楽は?)パンクやロック。長男で歌手をやってる慎太郎の曲も聴く
間寛平
(お気に入りのコースは?)もう一回走ってみたいのはイランとチェコ。イランはとにかく人が優しいし、チェコは街がきれい。自然だけの場所よりも街のほうが好きやね
俺、今のランニングブームに相当かかわってるよなあ。俺が走ってなかったら、24時間テレビのマラソン もなかった。ホノルルだってこんなに人気になってないで。もっと感謝してほしいわ(笑)
ランニングを始めてなかったら?死んでたんちゃう?酒ばっか飲んでたし、タバコ喫ってたし。いまこんなことやれてるのも、ずっと走ってきたから。そう思うで
ホノルルマラソンも走れってなった。今度は郷ひろみの記録、3時間38分を切ったらギャラ倍にしてやるって言われて。これも切ったよ。3時間13分57秒。それからや。気合い入れてやろかなあと思ったのは
最初に走ったのは34のころ。きっかけは夢。自分が当時好きやったイカンガー(タンザニアのマラソン選手)になって、瀬古選手とデッドヒートする夢を2回も見て
3kmの登り坂を走ったらパッと振り返って「おお、俺はすごいなあ」って自分を褒めんのや。そうすれば次のやる気も出てくる
距離はちょっと短めに考えるといい。あそこまで1.5kmぐらいやなと思っても、実際着いたら1kmしか走ってないと考える。どんどん頭を狂わしていくんや。そうしたらゴールしたときに「あれ、早っ!」と思える。考え方ひとつや
走ってるときの頭の中は、無のときもあるし、距離を考えてることもある
いろいろあったけど、一番きつかったのは、トルコで前立腺がんがわかったとき。でも、俺はやっぱり芸人なんかな。もし死んだとしても、これは伝説になるでって思った
もともとアースマラソンをやろう思ったのは2005年。ゴルフの帰りに木更津あたりを車で走ってたらバーンってひらめい た。「あ、地球一周や」って。すぐに嫁はんに「俺、地球一周するわー」と電話したのが始まりや
ここまで来ると自分で走ってる気がせえへん。みんなのごっついパワーで走らされてるんちゃうかなと思う
僕は『あほやな~』と言われて45年やってきました
(東日本大震災直後)本当は行きたいという気持ちがあったんですけど、すぐには行くべきではないと思いました。僕らも阪神大震災で家がつぶれ、『明日どうすんねん』という状態があったわけじゃないですか。そんなときに笑ってられへん
(日本でヨットの修理をしていた元マネージャーの比企さんから)口もきいたことのない人から『サンフランシスコに篠原という先生がいるから、すぐに行ったほうがいい。治してくれるから』と言われたそうで、調べてみたら、その先生は前立腺がんの名医でした。あのとき、その人が言ってくれなかったら、僕はどう なってるかわからなかったんです
不安もあったんですけど、どんなことがあっても地球を一周するまでは、日本には絶対に帰らん、と自分で決めて出た
不思議なんですけど、地球を一周するということも、普通に(神が)降りてきたんですよ
アースマラソンでもお世話になり、このような映画(『忌野清志郎 ナニワ・サリバン・ショー~感度サイコー!!!~』)にも親子で出演させていただいて、ありがたいですね。清志郎さんも喜んで、どこかで観ていると思いますよ
(慎太郎は)頑張っているから、怒ることはない。勉強しろとか言ったことないよな
性格はよう似てんねんけど、全然違うなって、よく嫁はんにも言われる。慎太郎は神経質でコツコツタイプだけど、あんたはボ~っとしているねって(笑)
嫌な事はゴミ箱にポイ、ポイ、ポイ、ごみ収集車に持っていってもらいましょう、今日を楽しく、パンパピーノ
今、青森についてなななんとビックリクリクリクリックリ大雪や~~アへ
オレなぁ、何ボ走っても、走っても、走っても、走っても、疲れへん夢見たんやわ。オレってマラソンに向いてんのかなぁ
走らんでも、毎日、歩けばいい
心も体もロックやから、飛ばしますよ
(もう一度地球一周をやれといわれたら?)それは地球に失礼や!
同じ事(アースマラソン)を誰かがやったら必ず死ぬ
日本に帰ってこれたのは奇跡以外のなにものでもない
ホンマに(地球は)丸いって肌で感じますよ。東に向かって走ったらホンマに西から帰ってくるから
ホンマは難波から梅田まで走るのもしんどい
『あのおっちゃんに比べれば、こんなんで参ってる場合じゃあらへん』と思ってくれたら最高ですね
子ども達が『61になって。病気なって。それでも地球一周したおっちゃんや!』と覚えてくれると嬉しい
俺が参ってしもたら病気で頑張っている人たちも余計に参ってしまうから。自分が頑張らなアカンと思うた…
帰ってきたで。健康で元気な体に生んでくれてありがとう
病気と走るという事は全く別物と先生に聞きました。めっちゃうれしかったです
どうせ死ぬんやったら、わし、走りながら死にたい
帰ってきて、日本は素晴らしい国だとびっくりした。こんな幸せな国に住んでるのに贅沢ばっかり言ってたなぁ
子供の笑顔に国境はない
人に甘えて、そのつながりだけで生きてきた人間ですから、そのつながりは大切にしないといけません
芸能生活は40年以上になりますけど、僕はホント、人とのつながりだけで、ここまでやれてきた
吉本でも才能ないし、セリフももらえんし、もうやめたいなぁと思ってたときに、芸人の木村進の励ましで思い直した。彼とはいいライバル
人間関係を円満にするコツは、とにかく「甘えること」ですね。人は、自分に甘えて頼ってくる相手とは敵対しないんです
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