私が最初に描いた漫画は『潜水艦13号』というもので、6歳のときのこと。なぜ「13号」かというと、昭和13年生まれだから
松本零士
僕はよく、柔道家というのは、職人であり芸術家であるという話をするんです。これは、確かな技で見る人に感動を与えるという意味です
古賀稔彦
私、自分が妊活で通院するまで、「子どもはいつ作るの?」とか「子どもはまだなの?」ということを平気で言っていたんです。こういった会話はとてもセンシティブなことなのだということを、自分が病院通いして初めて知りました
東尾理子
女の子にキュンとしてないな~。中学生のころとかも女の子と全然喋ってなくて
平野紫耀
性格は信じられないほど無鉄砲です。昔、自分は死なないんじゃないかと思ったところもある。今は違います、ちゃんと気をつけないと危ないと
森光子(女優)
(ある人が自宅の庭木の手入れは植木屋に頼んでいると言ったことに対する発言)じゃあ経団連をやめて暇になるから、僕が行くよ。僕のほかにも会社を辞めて植木屋のアルバイトをやっている人がいるから、2、3人連れて行く
土光敏夫
15年後には、人々がeコマースのことを忘れてしまっていればいいと思います。なぜなら人はそれを電気みたいなイメージだと考えているだろうから
ジャック・マー
幼いころから、私は不必要なステップを省略するのが大好きだった。だから、私が卸売業者の排除を基本とする会社を設立したのも、当然といえば当然だと思う
マイケル・デル
(斎藤佑樹の“仲間です”発言について)ああいうことを言えちゃう健全な精神ってアタシにはなかったから「こうやって太陽の光を浴びて育った人もいるのね」と思っただけ。さらにそれを聞いて「ワーッ」と喝采しちゃう早稲田のバカ学生たちの姿を見て「ホント幸せだな、日本って」と思っただけ
マツコ・デラックス
結局ニューヨークには1年半くらいいたんですが、1年くらい過ぎてだんだん望郷の念もあったりして、「俺は何やってるんだろう」と思ったんですね。僕は31丁目にあるコンドミニアムに住んでいたんですが、その部屋の下にイーストリバーが流れていて、それを眺めながら「この川をずっといくと海に繋がって、その海は日本に繋がってるんだろうな」とか、ぼんやり考えていたんですよ
秋元康
息子がね、「僕しかいないよ。母ちゃんを本当に理解できて、母ちゃんのことを愛せるのは」って
岩井志麻子
アニメの制作に参加することになったときには、「よりによって戦艦大和か」というのが正直な思いでした。僕は飛行機マニア、戦艦マニアだったんですが、ヤマトは扱いにくいテーマなんです
皆さぁ、自分が賢いとか、できる人間だとか思っちゃダメだよ。私も含めて、皆バカなんだから、早くバカに気付かないと、バカだってわかれば人間慎重になるから
所ジョージ
小説家としては39歳、40歳になっても泣かず飛ばずでした。新人賞にいくつ応募したって、箸にも棒にもかからない
浅田次郎
(アグネスさんのお子さんの発言)「ママこそ14歳でデビューして、17歳で日本へ行ったんじゃないですか」と返されて。だから、もしそれが少しでも彼らの励みになっていたら、今までやってきてよかったなと思います
アグネスチャン
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