戦後の混乱期に子ども時代を過ごした私たちは、海や山で自由に遊び回り、思い切りけんかもできた最後の世代といえるかもしれません。今の子どもは規制され過ぎて、不満のはけ口が陰湿ないじめになっている。子どもをもっと自由にさせて、一線を越えそうな時だけ全力で止める。そうした大人たちの見守りの姿勢が、何より必要だと思います
松本零士
会社員を取り巻く環境はここ数年、確 かに厳しいと思います。でも僕は、若い人にはあえて10年くらい棒に振ってもいいんじゃないかと言いたい。もちろん、僕のように生きるのがいいというつもりはもちろんないけれど、地を這うようにもがいている間に、人に譲れないものをひとつでも見つけられたら、それは大きな財産になります
堤幸彦
偉大な映画監督、偉大な人でした。社会を厳しく叱る人間がいなくなり、日本は少しつまらない国になったかもしれません。あなたのすべてにありがとう
坂本龍一
夢想家には、他の人たちと違うところが一つある。夢を追う人は単調な日常生活とは全 く異なる魅力的な世界を創造しようとする。私の個人的な体験からすれば、生い立ちが貧しければ貧しいほど想像力を働かせて、あらゆることが可能な世界を夢想するようになるのだと思う。私の場合は、確かにそうだった
ハワードシュルツ
今の日本は、横道にそれることが許されない社会かもしれません。与えられた目標に向かってまっしぐらに走る。結果を出すことだけを追いかけている。いかに早く結果にたどり着くか
橋本武
小学校5年生から中学校3年間は本当に地獄のような日々でした。普通の人が青春を楽しんでいる時期に、僕は「青春なんて クソくらえ!」と思いながら、サンドバックのように、ひたすら言葉の暴力に耐えていました
栗原類
たとえ現役が終わっても次の目標があり、叶えたい夢があるんです。それは、子供たちを育成するアカデミーの設立です。野球に限らない、いわば遊びの塾みたいなものです。きっと僕が積み上げてきた野球の経験を生かせるはずです。僕はいま、その夢に向かって、自分の体を実験台にして試しているといってもいいのかもしれません
工藤公康
私の父親は、あと数カ月で100歳になりますが、今年白寿でモンブランでのスキー滑走をやってのけた。9 8歳から99歳の二年間で本も三冊書いています。その姿を間近に見ていたら、自分もまだまだと思わずにはいられません。エベレスト登頂を前にして、私の体力が、30代後半の水準まで戻ったのは、父親に負けてはいられないという思いが、それだけ強かったからかもしれません
三浦雄一郎
本を読むことに私たちは慣れていますが従来の本を読むという経験は、完璧なものではありませんでした。慣れているがゆえに、欠陥に気づかないのです。一度キンドルを使って、従来の本に戻ると、もどかしく感じるようになります
ジェフ・ベゾス
時々、泣く ことができれば楽になれるんだろうなと思えるときもあった。でも何のために泣けばいいのかがわからなかった。誰のために泣けばいいのかがわからなかった。他人のために泣くには僕はあまりにも身勝手な人間にすぎたし、自分のために泣くにはもう年を取りすぎていた
村上春樹
人間はみんな死にます。川端康成さんも、三島由紀夫さんも、遠藤周作さんも、つい最近は北杜夫さんも、みんな死んでしまった。私のように90まで生きてごらんなさい。親しい人間は全部死んだということが、よくわかります。だからもう、私は死ぬことも怖くないし、病気も気にしません
瀬戸内寂聴
挑戦する心を失ったら、仕事の喜びの大半は消える。そして、どんなに勝っていても、必ず逆転される。それは歴史が証明していることだ。まして僕たちのようなベンチャービジネスが、そのことを忘れたら、この社会に存在する意味すら失ってしまう。ベンチャーとは、冒険であり、挑戦なのだ
三木谷浩史
(50歳になった時どのようになっていると思いますか?という質問の答え)まったくわかりません。明日何をしているかさえわからないのですから。皆さんは、私の年齢がその半分でしかないことを忘れがちですが・・・今言えることは、幸せで健康、そして好きなことをしていられたらと思います
シャラポワ
過去10年で、アリババ・グループは、社員が1万7000人を超える大企業に成長した。会社の急成長と同時に、私も多くの経験を積んできた。まだ45歳なので、少し早いかもしれないが、自分の体力や気力が充実しているうちに、次の時代を担う若者たちの育成に取り組みたいと考えるようになった
ジャック・マー
やっぱり、友人というものがいかに大事か。人は生涯孤独では生きられません。親友がいて、ともに助け合い、それで成り立つわけです。ひとりぼっちではダメだよと。私にも親友がいます。もうこの世を去りましたけど、それでも生涯を共にした親友というのは、懐かしくかつ力強いものですよ
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