栗原類の名言集
全員に100%発達障害のことを理解してもらうなんて出来ませんが、上司や同僚、相談できる相手が一人いるだけでだいぶ違う
栗原類
大人の当事者の場合でも、子どもに発達障害がある保護者の場合でもそうですけど、全部自分一人で背負い込んでしまわないことが大切
僕はどれだけ怒られても翌日にケロっと忘れたりすることがしょっちゅう
(母親について)僕の一番の理解者
僕自身は自分のことをネガティブだなんて言ったことは一度もないです
あまり「〇〇歳までにこうする!」とか前のめりにならずに…
すぐにはうまく出来なくても、ひとつひとつ訓練していけば、いつかは壁を突破して成功できる。そうやって、長い目で見る気持ちは忘れないようにしようと思っています
ユーモアを理解するためにコメディ映画を観ていたのがきっかけで、お芝居自体に興味を持つようになったんです。自分ではない、色々な人になりきることの面白さを感じ、自分も俳優になりたい、と思うようになりました
60歳を越えても芝居に対して貪欲な生き方をしていたい
少しずつですが、できることは確実に増えています
僕は昔から冗談が通じない子で、周りの冗談を真に受けてすぐにカチンと来てしまうなところがありました
傾向としては、発達障害のある人って、他人の気持ちを読み解くのが苦手な人が多いようで、僕もそのタイプでした
今、発達障害に悩んでいる人たちにとっても何か励みやヒントになるものを提供できるかもしれない
自分 の発達障害については、どんなに努力しても100%克服できるものではないと捉えています
僕のような、パっと見でわかりにくい、“見えない”障害の当事者は、自分から周囲に理解を求めていく努力が必要なのだと思います
(障害について)恥ずかしいからと隠すほうが恥ずかしい
最初の頃は自分の障害について説明して、弱点をさらけ出すことに抵抗もありました
僕はとにかく刺激に疲れやすい
僕は「会社員とか絶対無理」と思っていたんです。毎日同じ職場・人間関係の中でルーティーンを続けるのは、僕にとって苦痛でしかないですから
日本では先生にイジメを報告しても介入してくれない
小学校5年生から中学校3年間は本当に地獄のような日々でした。普通の人が青春を楽しんでいる時期に、僕は「青春なんてクソくらえ!」と思いながら、サンドバックのように、ひたすら言葉の暴力に耐えていました
自分に興味が湧かないのと同時に、他人に興味を持つのも難しい
僕は自分の内面の変化に注意を払って、意識を向け続けるのが難しい
自分に興味がないというか、自分を認識できてなかった
僕が発達障害者であっても、そうでなくても僕は僕だし
アメリカにいた頃は、普通に音楽の授業も受けることができたが、日本では、正しい音程や発生で歌うことよりも、元気に歌うということが良しとされてるようだったので、子供たちが怒鳴るように歌うことに我慢ができなくて、耳をふさいだり、教室から逃げ出したりということがあり、先生に叱られていた
いつかは自分の作・演出で舞台や映画を作ってみたい
(注意欠陥障害(ADD)について)早期に診断・治療したことで、自分の弱点や、できること・できないことがわかりやすくなった
僕は役者をするにあたって誰かの心を動かしたいなんて欲望はまるでない
あまりに長い期間、答えが見つからない状態が続くと、僕は気持ちが落ち込んでしまいます
他人になりきるなんてことは無理
毎日いろんな細かいところが変わっていく
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