ロシアでは大男の酔っ払いと格闘になったこともあります。足払いで倒してやったらそばにいたアラン・ドロンのような美男子が目に涙を浮かべながら『俺の国の男がみんなこんなやつだと思わないでくれ』と言ってね。大男も謝ってくれて最後は全員で乾杯ですよ
松本零士
僕はショービジネスが大好きだよ。でもその一方で遊んだり楽しんだりしたいという部分で悲しかった。いつかだか、南米に行く準備をしていて、みんな荷造りして、車に乗ってたんだけど、僕はもう行 きたくなくって隠れて泣いていたんだ。遊びたかったよ。行きたくなかったんだ
マイケルジャクソン
マンネリで大いに結構。ほかの人はマンネリまでいかないじゃないですか。定番があるのは全然恥ずかしいことじゃない。ドリフも僕のバカ殿も変なおじさんも、必死でネタ作って、とことん何年もやり続けてきたわけだから。みんなマンネリの域まで達してみろって
志村けん
俺もこの男の知遇にはほとほと感激して、いつかはそれに報いるだけのことはしようと思っていたのに、惜しいことに俺が長崎にいる間に死んでしまった。こんな残念なことは生まれ てからまだなかったよ
勝海舟
藤岡さんが亡くなり、宇津井さんが亡くなり、山岡さんが亡くなり「もう鬼はやめる」と決めていたんですけど、どこに行っても皆さん「鬼はいつやるんですか?」とおっしゃってくださるんですね。そうすると、やらないと悪いような気がしてしまって…
橋田壽賀子
父から学んだことは、年齢に関係なく、好きなことに熱中する姿ですね。白寿(99歳)でモンブランを滑ったあと、ホテルの部屋に戻ってシャワーを浴びてベッドにドンと腰かけて「いやあ、わしゃ今生の別れのつもりだった」と言うんです。要するに死んで もいい覚悟でやったと。その言葉を鮮明に覚えています
三浦雄一郎
どしゃぶりの雨の後、道のぬかるみを見て『俺はなんて不幸なんだろう』と思う人もいれば、空の虹を見て『俺はなんて幸福なんだろう』と思う人もいる。どちらも同じ状況にいるのに、解釈がまったく違う。どんな出来事でもプラス面とマイナス面がある
神田昌典
『お前は上り坂に弱い』とずっと言われていて、『下りは得意だから、下りは誰にも負けないようにしよう』とがんばっていたら、いつの間にか、小出監督に『お前は上りがうまいな』と言われて、びっくりした覚えがあり ます。自分で弱いと思っているだけで、納得できる走りができれば克服できると思います
高橋尚子
義理を欠いたツケは必ず戻ってくる。自分じゃうまく立ち回ったつもりで、してやったりなんて思ってても、お天道様はお見通し、頭隠して尻隠さずっていう無様なことになっちまうんだ。義理人情を忘れた世渡りをしちゃいけないよ
岡野雅行
一番憧れるのは超二流。半分は敵だけど、半分からは支持される。『あいつは二流だよ』とこき下ろされても、一方で『こいつはすごいんだよ』ってね。立川談志がそうだった
立川志らく
フィギュアを持ってて、気持ち悪いと思われるのは、そのヒトに本当に楽しんでいるサマがないからだよ。そうとう面白がっている演出が足らないんだと思いますね。 オレが一家の大黒柱だ! とか、オトーサンは酒飲む権利があるんだ! とか、そんなワケワカンナイこと言ってると、気持ち悪いとか突っ込まれるわけです。それは、自分の態度がよくないから
所ジョージ
強い人ほど個性がある。四、五段の人はそれほど個性もないから何々流といった名前もつけられていない。段が上がっていくにつれて個性が強くなってくる。ひとつには自信ということがあると思います。下のうちはこんな手をさしちゃって笑われるかなと思いますけど、上になっていくほどこれでいいんだ、正しいんだと自分に自信がついてくるから
谷川浩司
1973年(昭和48年)3月。楽屋への階段に一歩乗せた時のことです。背後から長髪の高校生が立っていました。「何か用?」「弟子にしてください」「それはええけども、何で私の弟子に?」「あんたにはセンスがあるから」「ありがとう」と言って頭を下げてしまいました。初手から負けです※松之助師匠と明石家さんまさんの初対面時
笑福亭松之助
一番得意だったのは浜口内閣の時にやった予算の討論だ。私は田中内閣の業績と現内閣のそれとを比較して政友会を大いに攻撃した。しまいには政友会側はすっかり憤慨し、鳩山一郎君などはあんな演説を聞くとなぐりたくなるねと議席から演壇の途中まで出てきたそうだが、よせよせあいつは強いからといって引戻されたと新聞に書いてあった。当時は鳩山君も元気だったものだ
堤康次郎
閲覧履歴
なし