棋士の名言集
功名心を退けて、平常心、不動心を持ち続けよ
大山康晴
頭がきれる、または天才的な人。どの世界でもこういう人がトップになると思いがちですが、案外このタイプは二番手のことが多いものです
考えねばならんのは、うまくいき過ぎている時ですよ
麻雀は敵陣を見る、将棋は自陣を見る
人間というのは弱い存在なので、必ずミスしたり、間違えたりするもの
勝負において、奇をてらうような手に、いい手はない。いい手というのは本当は地味な手である
トップというものは、それなりの気品や人格といったものを兼ね備えなければならない
将棋の基本は礼に始まり、礼に終わる
一番の敵は自分自身である
平凡は妙手に勝る
「負けず嫌い」というのがないと上がれない
谷川浩司
大事なのは、負けた経験や挫折感を、後の人生でどう生かすかです。生かすことができれば、負けや失敗は長い人生の中で失敗にならなくなる。むしろ、とても大切な糧にできる
“四十九はあげるけれど、五十一はもらいますよ” という感じで、少しずつ差を広げていくのが、勝つためのポイントなのである
豊かで奥深い感性を養うことで得た閃きが、勝つための思考へとつながる
理屈や言葉で了解する前に、“ピンとくる” “なんとなくわかる” と感じる直感がまず働き、その後に対策を考える。思考力を養うには、そこにいたる筋道をいかに短くするかが重要なのである
勝負で、戦いにくい相手というのは、岩のように、山のように動かない人だ
反省は、失敗を客観的に分析して、これからに生 かせる未来思考なのだ
会社などの組織の中では、ともすれば飛車や角のような強力な人材だけを重んじて、歩のように目立たないけれど大切な役割を果たしている人を切り捨てることになりがちです。でも、本当はそれではバランスのよい組織にならない
羽生さんには随分と痛い目に遭いましたけど、彼のお陰で私も高めてもらった。名局は二人で作り上げていくものですし、名勝負はやはり大きな舞台が生み出す。私ももっと若い人たちと大きな舞台で戦いたいですね
これは言い訳になるんですが...震災直後は、対局することと元の生活に戻すことしか考えずに突っ走ってきたのが、一段落して現実を突きつけられたんです。被害が軽かったことに、罪悪感というか、申し訳ない気持ちにとらわれてしまって。活断層の走っている場所とそうでないところで被害が全く違う。人の命がわずかな偶然で左右される不条理...考えても答えは出ないんですけどもね
嫉妬心、がありましたね。自分にないものが彼にはあると。私は終盤の寄せに絶対の自信があって逆転負けはあまり経験がなかったのですが、羽生さんには、こちらがリードしていても、読みにない手を指されてひ っくり返されてしまう
意識過剰になって、自分の将棋を見失っていましたね。本来は自分の棋力を向上させ、対局で100%力を出すことが一番大事なんですけれども、どうしたら羽生さんに勝てるのか、ということばかり考えていた。このままずっと負け続けるのではないか、と
(第2回、将棋電王戦最終日での言葉)特に印象に残ったのは第三局であり、通常は形勢が苦しくなると心が折れてしまう。しかし、苦しくなっても、読み筋に穴が開いても、現時点での最善手を追求していく....コンピュータにとっては自然なことかもしれませ んが、なかなか人間には難しい。精神力の重要性をコンピュータに教わるとは思ってもいなかった
負けたくない気持ちがなければ、現役で続けている意味がない
羽生さんの強さは、私が一番良く知っている
半年前の無冠を考えると夢のようです。また5時間前を振り返っても夢のようです
これで弱い名人から並みの名人になれたと思います
十八世名人を簡単には誕生させない、ということも私の務めだと考えています
中原名人の下座に座り、名人を取るのが夢でした
将 棋を知らない人や将棋に興味のない人のことを思うと 技術書ではなく対談書やビジネスマン向けの本を どんどん出した方がいいのかなと思っています
年代によって、将棋を知るにしたがって好きなところは変わりますね。小さい頃は勝つことが一番楽しかった。でも今は将棋の奥深さが、すぐには答えの出せない懐の深さが好きです
将棋を指しているとき、現局面については悲観的、 未来については楽観的ですね
運はみんなが平等に持っていると思います。それをどういう場面で使うかが問題で、ここ一番に使える人が「運のいい人」だと言われるんじゃないでしょうか
本当の強さとは、どういうものか? それは、見たこともない局面を見せられ、その中で最善手を自力で発見できるか、どうかなのである
相手の選択肢を狭くする指し方を選ぶと、自分の選択肢も同様に狭くなってしまうという傾向もあります
登山家は山に迷ったら、元の場所に戻って再スタートするそうだ。迷ったときは原点に戻って再スタートすればいい。それが、いい人生につながる
他の人が『これは無理だよ』と思っていても、自分が『できる』と思っている間は、可能性があるのだ
将棋の棋士って,あんまり相手の顔を見ないってことになってるんですよ。昔は,よく羽生さんが相手を睨むって言われたりもしたんですが,多分,本人は睨んでいるつもりはないと思います(笑)。将棋盤を見ていると,どうしても厳しい目をしてしまいますから,その同じ目で,少し顔を上げて相手を見たときに,何か睨んでるような感じになるってだけの話で
それこそ、かなり複雑な、1年くらいかけて作った詰将棋でも、コンピュータにかけると1秒で解かれるわけです。その詰将棋がちゃんと出来てるって証明にはなるんですけども、ちょっと切ない気分にはなりますよね
プロ棋士になる人の将棋の基礎って、10代でだいたい決まるんですよ。10代の頃に学んだこと、教わったこと、あるいは自分が10代だった頃のトップ棋士がタイトル戦でどんな将棋を指していたか。それによって、その人の将棋観というのかな、基礎的な考え方みたいな部分がかなり固まるんですね
日常でもいろいろ研究している時は凄く楽しいですし、対局という場で、その研究成果を試す時というのは、多くの棋士にとって心躍る瞬間だと思います
例えば将棋の初手って30通りあるんですけど、人間は当然、30通りすべてを精査するわけではありません。プロでも、せいぜい3通りくらいしか読まないんじゃないでしょうか
(局面の本質について)これはなかなか説明が難しいんですけれども、言うなれば「その局面で何が一番重要かを見極めて、ほかの可能性をばっさり排除する力」とでもいいましょうか
棋士には,勝負師の部分と研究者の部分,そして芸術家の部分が必要だ
例えば,今日は羽生さんが相手だとして,駒を並べたばかりのまっさら状態では,居飛車な将棋を指したいし,振り飛車な将棋も指したい,色々な将棋を指したいとか思っているんです。けれども,それが一手指すごとに1つずつ選 択肢が無くなって,最終的に1つの局面に落ち着いていく。その一手一手を決断していく,判断だったり,いろいろな可能性を考えていく過程は,やっぱり将棋の醍醐味なのかなって思います
ただ時間を費やして考えているだけでは意味がないのだ。何を何のためにどう方向づけて考えるのか。思考とは結果を導き出さなければ、ただの時間の無駄遣いでしかない
将棋というのは、最初に駒を並べた段階では、その局面の可能性というのは、それこそ無限に近いものがあるんですけど、一手指すごとにその可能性が少しずつ収束されていくものなんですね
昨今の棋士は,羽生さん、森内さん、佐藤さんにしても,社交的な方が多いのかなと思います。とくにタイトル戦に出ておられるような方は,普段は明るい,初対面の人とも楽しく雑談できる感じですよね。もちろん,対局中は厳しいところもありますが