きっと、子供の頃に外国を経験すると言うことは、大きなことだと思います。1990年の竜王戦でフランクフルトにいったのですが、私にとって初めての外国でした。非常に強く印象に残っていますね
谷川浩司
「何とかここまで来ることができた」というのが実感です。これは現在も変わりません
浅利慶太
でも、シンクロをやることを通して何かをつかんでほしい。人間として成長してほしいんです。できないことができるようになる、その達成感を子供たちに味わってほしいんですよ
井村雅代
バンクーバー五輪の時に経験しているから、代表に選ばれるためにはどんなに練習しなきゃいけないか、覚悟が必要でした。でも、こんなにドン底まで落ちて、『選ばれなかったらどうしよう』なんて気弱になってる場合じゃないなと。ここからはい上がればいいじゃん、って吹っ切れたんです
鈴木明子
焦り、恐怖、子供が将来大きくなったときに、これがもっと酷くなると思うんです。与えらえたところに対して懸命に頑張る。ゆくゆく良い方向に向かうと信じてやまない。まず諦めないのと、絶対見つかるんだという根拠のない自信を持ちながらやっていきます
名和利男
私が子どもの頃、憧れたように、今の選手は子どもたちの憧れの人になって欲しいのです。そうなることで、また歴史がつながっていく。プロ野球が衰退してしまったら、先人にも次の人たちにも申し訳が立ちません
衣笠祥雄
ハートはそんなに強くないと思います。どちらかというと精神的に弱 いです(笑)。ここまでやってこられたのは、いつもその時々の目標を追いかけていたからだと思います
高橋尚子
ケニアでマラソン大会をしませんかという話をいただいて、それなら一緒に何か意味のあることをしたいと考えたんです。ケニアはまだ靴を履けない子どもたちが大勢いると聞きました。私も靴は自分の体の一部と思って大事にしてきたので、子どもたちと大切な靴でつながりたいということで、靴を渡すことに決めました
現役を引退して、これから何をしていこうと考えた時、それまで走ることしか考えていなかったことに気づき ました。自分は『井の中の蛙かわず』だったと。逆にそうでなければいけなかったとは思うんですが、一日の生活は食べて、寝て、走るという、本当にそれしかなかったんです。テレビも見ず、パソコンもケータイもしない、そんな純粋なマラソン生活でした
自覚症状アリですね。ロンドンでの生活が長くなってきたせいもあるのかもしれません。日本のことや自分の故郷のことを考えて、『そう言えば親もいい歳になったよな』とも思いますからね。今日このインタビューで指摘されるとは思ってもみませんでしたけど
葉加瀬太郎
僕たちの世代 は欧米への憧れがあって、今までは“欧米みたいなもの”を作りがちでした。ですから、なかなか成果は上がりません。その一方で、畳や障子の技術が評価されたり、日本アニメが評価されたりしています
秋元康
スクラッチ(まったく新規にゼロから開発すること)な気持ですね。我々の時代は、ビヨンセ、パリス・ヒルトンのようなセレブに憧れを抱いている時代でしたが、留学を経験したことで「誰でも同じ人間だよね」というフランクな精神が芽生えましたね
寺田和正
やっぱり地位を守ろうとしすぎているのかな、という感覚が自分のなかでありま した。もちろん、自分のテニスを改善することには挑戦してるんですが、試合のなかでは挑戦者ではないような気がしました。そういう意味では、良いタイミングで負けたなと思います
国枝慎吾
『体育や野球ができなくなっちゃうな』と思ったけれど、車いすになったからと落ち込んだり、自分の将来を悲観することはなかったです。これは友だちに恵まれたおかげですね。放課後は友だちと遊び、『毎日が楽しくて仕方がない!』という 生活を送っていましたから
今、学生は海外留学をしたくないんでしょうが、世界競争に勝てるような自分 になってほしいと思います。若い人にはチャレンジしてほしいですね。自分の人生は一度ですからね
中村修二
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