中原名人の下座に座り、名人を取るのが夢でした
谷川浩司
『キャッツ』の満員の客席を見つめながら、お客様を信じてきた日々は間違いではなかったと実感しました
浅利慶太
実際に僕が忠太郎をさせていただく時には、小日向のご自宅でお稽古していただいたんです
中村獅童
小さい時に一人将棋をするのは大変頭にいいことです
林修
相撲道を志すものの基本は「強く優しく力持ち」で、お困りの方がいらっしゃったら馳せ参じるということが相撲道そのものです
貴乃花
ホームラン王に誰がなるか分かっているのは神様だけなのですから、運を天に任せ、淡々と打席を積み重ねて下さい
松井秀喜の父
(談志さんになれないことが)無理だと分かったら気が楽になりました
立川志らく
これで弱い名人から並みの名人になれたと思います
十八世名人を簡単には誕生させない、ということも私の務めだと考えています
普通、他のタイトルを先ず取り、それから名人になるのですが、私の場合は、最初のタイトルが名人であったわけです。中原先生の時代が長く続き、新たな息吹を求める、時代の波とか、勢い、に乗れた名人獲得でもありました
私が弟子 入りを頼んだ時、師匠は「ご飯は食べられへんで」と言っていましたが、今日この歳になって考えてみると芸人としての謙虚な気持ちだったように思います
笑福亭松之助
国立演芸場で真打披露をやった時、師匠が米朝師匠を招んでくれたんだけど、米朝師匠の口上が今も心に残っている「この方はテレビでいっぺんかニ遍見たことがあるような気がしますが、落語はいっぺんも聞いたことおまへん」
立川志の輔
(名誉都民に選ばれて)とても私には立派過ぎる気が致しました
八千草薫
ファンの前で「プロレスを辞めます」って、自分の足でリングを下りるのを最後に見てもらいたい
高山善廣
“一発”という負けを飲み込むのは非常に苦しいですが、僕の場合、一発屋であることを認める手前から一発屋を名乗りたい時期もありました
山 田ルイ53世
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