脚本家の名言集
自分がヒーローでありたい、常に自分は物語の主人公のつもりなんだけど、実はそうではないということはありますからね
三谷幸喜
いい俳優さんはやればやるほど別な引き出しを見せてくれる
いい俳優さんとの出会いは、すごく大事
最初はバラバラなんだけどそれが最終的に一つにまとまって、できればラストシーンには全員が集まってるみたいな、そんな映画を作りたいというのがありました
作品を通して誰かを感動させたいなんて思ったことはない
照明さんも含めて全員が段取りを覚えて、きっかけを覚えて…… だから5分ぐらいの長回しなんてほんとに大変なんだけど、一番楽なのは監督なんですよね
台本を書いている段階から胸に迫るシーンやセリフを書いてしまう
自分で考えたコントを自分で演じたんです。喜んでくれる同級生を見て、もっと笑わせたいという思いが湧き上がりました
僕は仕事以外にやることがないのです。趣味もないので、犬と遊んでいるくらい
お客さんの期待に添わないものを世に出したりすると、もうそれだけで「終わった」と言われてしまう
僕は「人間は絶対嘘をつく」と思っています。この嘘は誰かを騙す嘘ではなくて、心の中で思ってることと、喋ることにはズレがあるという意味
常にすべての人類が納得するものを作れるわけがない
ワンシーンワンカットだとすごい緊張感の中やるんで、突然本番で違うセリフ言ったら回りが困ってリアクションできなくなっちゃうからやらない
小説は心の声
最初イメージしたキャストを書いたものをプロデューサーの方に渡すんですが、100%思いどおりにいくことなんてない
年齢を重ねると共に、やりたいものが変化している
僕は映画監督というよりは、映画ファンなので、自分の好きなジャンルの映画を自分で作りたいという欲求が一番のモチベーション
コメディは、ストーリーも台詞の1つ1つも、すべてのシーンがお客さんを爆笑させるためだけに存在するもの
自分が好きな監督の映画を観て、今回の作品は僕の好みに合わないな、と思うことは当然ある
自己肯定感は決して高くない
映画にせよ、ミュージカルにせよ、歌舞伎にせよ、大河ドラマもそうかな、絶対に背伸びしない
時代劇ってもっと制約が多いと思っていましたが、そうではないってことを黒澤(明)さんから教わりました
僕なりの大河ドラマを作りたい
舞台でも映画でも、自分が作ったものを海外で見せたいという思いが強い
セリフを言うことは誰でも出来るといえば出来るんです。ただ、そうではない、しゃべっていないところとか、ぽつんとたたずんでいる時に人物の気持ちをどれだけ表現できるかが大事
歴史好きだけがニヤリとできる仕掛けが他にもいっぱいあります。ぜひ劇場で探してみてください
日本人がユーモアや笑いに対してセンスがあるってことを知られていない
お客さんが入らなかったらという不安は常にあります
僕は自分が「選ばれた人間」だとはまったく思ってない。たまたま運が良かった
いずれ依頼は来なくなるでしょうから、その時はゆっくりしたスタンスで、自分が面白いと思うものを作ります
人間とは成長しないもの
映画は、そのシーンはその日に撮り上げないといけない。かなり、集中してやります
僕たちに限らず、こうした仕事に携わる誰もが考えていらっしゃると思いますが、エンターテインメントとは、様々な状況を乗り越えながら、先へ進んでいくものなのではないでしょうか
どれだけ面白いものが作れるか
どんなことが起きても、それを逆手にとってやってみたい
戦国武将の似顔絵を描いて遊んでいるような子どもだったんです
台詞とかストーリーとかシチュエーションとか、もしくは小道具一つひとつにおける全てのものが笑うために作られているもの
『国盗り物語』などNHK大河ドラマは毎週観ていましたし、平凡社から出ていた『戦国百人』という雑誌が大好きでした
小学生のころから歴史が大好きで、一度、自分なりの 視点で戦国時代を描いてみたいという想いがあったんです
僕は喜劇作家
「この子のために頑張る」という思いは、生きる上での大切な原動力のひとつ
歴史上の人物でいうと、最初から目的に向かって邁進して最終的にそれを掴む人ではなく、全く想像もしていなかった人生にどんどん巻き込まれていくようなタイプが好き
世間からはなんだか好き放題書いてると思われているみたい
アーティストとしての自分の向き合い 方ではなくて、もっと全然別なところにあります
時代劇もやってみて、SFもやってみて、ミュージカルもやってみたいし、無声映画もやってみたいし、戦争映画もやってみたい。自分がいままで観てきたジャンルのものを、自分なりに崩して再生産する。そういうことが楽しくてやっているのだと思います
自分が楽しんできたいろいろな映画を再構築していく。これだけいろいろな人が関わっている映画で、こんなことを言っては申し訳ないけど、ある種、趣味みたいなところがありますから(笑)
僕は脚本家だし、脚本家が作った映画というスタンスは崩れないし、崩さないつもりではいるんですけど、それ以前に自分はいち映画ファン
時代劇はファンタジーなんです。時代劇をやるのは小学生のころからの夢だった
生きものはそれぞれルールが違うわけで。人間だけのルールで考えちゃいけない(笑)
普段なら絶対やらないですけど、果敢にアタックしてみたところはあります。でも、それは宇宙だったからできたんです
地球人だから普通に観ていますけど、あの星の人が観たら赤面するような、モザイクをかけないといけないようなシーンすら出てくる
ラブストーリーだけでなく、エロスの世界に入り込んで。極端に言えば性交渉のシーンが2回出てくる(笑)
そのぶん僕のなかではやりやすかったですし、気負わずに作ることができました。だからこそ、思いきったことができた
いつも映画をやるときに、僕なりに『僕が作る映画ってどういうものなんだろう』『僕しか作れないもの、僕が作らないといけないものはどんなものだろう』というところから考えるんですけど、今回はわりとそういうところを取っ払ってしまって、普段、自分が舞台でやっている世界観をそのまま持ってきた、というところがあるんです
僕は『ワン・フロム・ザ・ハート』が大好きなんですけど、そのフレーズはプロデューサーの前では禁句になっていて。あの映画は、興行的には決して成功とは言えないので。毎回、ああいう感じでいきたいと言うと、みんな青ざめるんです(笑)
華やかさとか派手さとか、スペクタクルな宇宙モノはたくさんあるし、それは僕にはできることではないので、そうじゃない自分ができる宇宙の話といったら、こういうことに落ち着くんだと思うんです
勝手にハマるんじゃないかと思って作ったんです
映画自体は意外と、登場する人物はリアルだし現実的。
予告編だけ観ると、 ふざけきっているように見えるかもしれない。『三谷、どうした?もうあいつは(向こうに行ったっきり)戻ってこないんじゃないか』と思われるかもしれない
情けない部分とか弱い部分。そこも含めて、血の通った男性像になったかなと思います
『あいつは、あんなふうに口説いているのか』『あんなふうに女の人と接しているのか』とか思われるのがすごく恥ずかしいから、なるべく避けてきたというのはあります
なんか照れくさいんですよね。どんな話を作ったところで、結局、ラブロマンスや恋愛ものは、僕の体験がもとになってしまうので。みなさんもそういうふうに観るでしょうし
ギャラクシー街道について、ここに出てくる男性は全部、僕ですね
(女性と会ったとき、どこを一番最初に見ますか?)自分のファスナーです
あんまり便利を究極に求めていくと逆にこれまたね。どんどん不便になってく
大変さをお客さんに感じさせないようにする。手を抜くのではない。「さらっと」演じるというのが表現としては近いが、いい加減にやっているみたいで、言葉として好きではない。...「するりと演じる」。微妙な表現だが、これが一番はまる
アメリカ映画がアメリカ映画たるゆえんは、アメリカの俳優を使っているからです
僕の中ではそれはもう明らかであって、期待に応えるということですよね。自分のやりたいものをやるんじゃなくて、人が自分にやってほしいものをやるということですよね。僕にとってのプロフェッショナルというのは
殺人者ではあるんだけど、事件そのものはイチローさんの方に理があるというふうにしたかった。そこから逆算して、『フェアな殺人者』というタイトルになりました
僕のイメージの中にイチローさんが言いそうなこと、やりそうなことをインプットした上で、“殺人者イチロー”を作っていったんです
普通な感じで演じて下さい。心配はいりません。皆さん、普通のままでも十分お爺さんですから
やっぱり、タバコって刺激が強いじゃないですか?強いからこそ習慣になりやすいのかもしれない。僕も タバコを吸うようになりたかったんだけど、一度吸ってみたらなんか、すごい強かったんで、とりあえずパイポから始めようと思って……
古代ローマの遺跡に何か文章が残っていて、「最近の若者はなってない」って書いてあったらしいですからね
自分が面白いと思っていないことをいくら喋っても、周りに面白さが伝わるわけはないですからね
学年っていうのは生涯を左右するものですからね。「同学年」っていうだけで何か心開いた感じしますけど、清水さんは二つ上だからもう閉じまくってます
嘘の下手な人は、すべてを嘘で塗り固めようとします。嘘のうまい人は、肝心のところだけ嘘をついて、あとは出来るだけ本当のことを話します。だからつまり、正直者ほど嘘がうまいというわけで
変な言葉って沢山あるよね。『マッハ文朱』とか
(笑)マークは、それさえ入っていれば、なんだか会話が盛り上がっているように見えてしまう、ずいぶん便利な発明品です
高校の時に制帽っていうのがあったんですよ、帽子。だから、僕は被るものだと思って被っていましたけど、全校で僕だけだったんですよ、帽子を被って登校してたの。僕は校則だから被ってたのに、そういうのが逆に、変人に思われたりするんですよね
まずい食材はない。まずい料理があるだけだ
昔から、適材適所に人をはめていくのが好きでした
自分が落ち込んだとき、何を観て気を紛らわすかといったら、やはりコメディなんです。「グレートレース」やビリー・ワイルダーの映画を観て元気になる。くだらないと思いつつ「Mr.ビーン」を観たりね。そういう意味で、喜劇には意義があると思います
新しいものを引き出そうと思ったわけではありません。もともと彼らはそういう面を持っていたんです 。みんながそれを無視してきただけ。僕からすると、どうして決まった役ばかりやらせるのかと思います
笑わせる場合も、演じる側が面白がるのを診せるのではありません。物語自体は悲しいのに、観客として観るとおかしくてしょうがない。そんな作品が最も気高い笑いだと思います
僕の理想は、登場人物がごく普通の生活をしていて、誰も泣いていないけれども、観ている人が胸に迫るものを感じるというものです
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