一般人の名言集
定跡というのは、ある程度まで手順を進め、これにて下手よし、としてあるんだが、本当の勝負はそこから先なんですよ。上手もそれなりの用意があるから、一筋縄でいけるもんじゃない。定跡通りにくる人のほうが、上手はやりやすい意味があるんです
升田幸三
あなた(木村義雄十四世名人)が悪いと断定した石田流で、私はあなたに勝って見せる
新手一生
息長く心ゆるやか手ゆるまず
通身是手眼
香一筋名人の上
升田なくてなんの日本の将棋かな
勝負師とは、ゲタをはくまで勝負を投げない者をいうんです
詰め将棋を知らないから強くなれんというものではありませんが、将棋というのは、駒を動かさずに先を読むことが大事ですから、この意味で、詰め将棋はやっとく必要がある
(詰め将棋は)頭の中で将棋をする練習にやるんです、想像性を養うために
碁で私が得たいちばんの大きなことは、弱者の心理です。弱いものはどうしてもあせります。あせるし、局部の利益に非常にとらわれる
弱いものを相手にする場合は、相手にやらせることが大事です。というのも、弱いものは動くたびにヘタをして失点を重ねるように出来ている。だから相手にしゃべらせ、動かさせるわけで、これが、上手のやり方です
私は自己暗示というのは、人生にとって非常にだいじなことだと思ってる
不成功に終わる人というのは、自己に無意識のうちに自信喪失させるような暗示をかけている。おれはもうダメだとか、終わりだとか、始終ボヤいたりして、自分を奈落の底に落ち込ませるような自己暗示をね。逆に伸びる人というのは、いつも自分を向上させるような暗示をかけてますよ
私はもともと、人生というのは、一手違いだと考えているんです。将棋でいう一手の差で、もう勝敗が決まる
将棋というのは、勝負ではあるけれども、やはり娯楽であり、遊びのものです。とすれば、楽しみのあるものにしなければいけない
一時期、ぼくは、神の前に出てもひるまない、そういう将棋を追求した時代があるんだが、突きすすめたものは、そこにきびしさがあり、鋭さがあっても、ならべてみると、なにか楽しいものがあるもんですよ
もともと将棋というのは、落ち着きのなかに勝負のアヤがあるものなんです。落ち着きを失ったものが敗れるようになっておる
人間は、その所作にその人の雰囲気というものが出てくるものです。そしてこれに、力のあるなしが出てくる
仕事に惚れ、事業に惚れ、一道に惚れ、それに徹したやつは、やはりいちずなものが表へ出てくる。惚れただけでなく、成しとげたやつはまたそれに何かが加わる
人生は、将棋に似ている。どちらも“読み”の深い人が勝機をつかむ。“駒づかい”のうまい人ほど、機縁を活かして大成する。“着眼大局、着手小局”もまた、両者に共通する真理であろう
精読するという概念から、もう一歩突っこんで、不可能を可能にする努力、―将棋を創作し、また、勝負を勝ちきるには、この“えぐる”という修練が必要である
難局は、これ良師だ。負けることはありがたい。負けて目覚める、あの手この手だ。苦しみが勉強になる
この幸三、名人に香車を引いて勝ったら大阪に行く
プロがきちんと確認もしないで俺の一言で投了したんじゃあ、お前の棋力はそんなもんだよ
おいでなすったな、と思った。たぶんこれ(「われわれのたしなむチェスと違って、日本の将棋は、取った相手の駒を自分の兵隊として使用する。これは捕虜の虐待であり、人道に反するものではないか」)をいってくるだろうと、覚悟しておった
(「じゃあ君は一体なんだ?」と木村が反論したところ)ゴミにたかるハエだな
(木村名人に対して)名人など所詮はゴミのようなもの
冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虚待も虐殺もしない。つねに全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに働き場所を与えようという思想である。しかも、敵から味方に移ってきても、金は金、飛車なら飛車と、元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか
プロとアマの違いはアマは真似でも通用するが、プロの道は独創。またそうでなきゃ通用しない。だから苦しいが喜びも計り知れない
おれがにらめば、横には動けぬ銀でも横に 動くのだ
まぁ生まれ直す事があったらね、2つから3つぐらいまでに将棋を覚えて、もういっぺんやり直してみたいと。今度は丈夫な体でね、名人を角落ちぐらいでね、からかってみるのも面白いと、こう思う
たどり来て、未だ山麓
歩は素晴らしいものだよ。敵の陣地に行けば金になるけど相手に取られると歩に戻る。こんな合理的ないいものはない。これをうまく使えるやつが名人だ
勝負は、その勝負の前についている
着眼大局 着手小局
私は将棋は創作だと考えている。何はともあれ、一歩先に出た方が勝つ。もし一局ごとに新手を出す棋士があれば、彼は不敗の名人になれる。その差はたとえ1秒の何分の一でもいい。専門家というものは、日夜新しい手段を発見するまでに苦しまねばならぬ
僕には不利だ、不可能だといわれるものに挑戦する性癖がある。全部が全部成功するわけではないけれど、それが新型になり、新手を生み、つまり将棋の進歩に繋がる。他の人は安全に先を考えるから先輩の模倣を選ぶ
男は毬であってはならぬ。ちょっと頭をなぜられてはポンとはずみ、指一本触れただけで転がる。はずみそうではずまず、転びそうで踏みとどまるものを持っていなければ男ではない
踏まれても叩かれても、努力さえしつづけていれば、必ずいつかは実を結ぶ
やっぱり狙いをつけた一心さ、ですね。そういうときは、かりに失敗しても、非常にいい経験というか、つぎの知恵になります
せんじつめていえば、そのもっている欠点を長所にする。これがプロの芸ということになるわけです
二日間かけて人間ドックを行い、大腸カメラを入れての検査に、ポリープが大きくなってないことに安心したものの、腸に空気を入れたため、夕方から100発を超えるおならが発生中
鈴木おさむ
僕と妻が13年前に結婚した時に、日テレの土屋さんが「おもしろい結婚だから、結婚し続けていたら1日100円くれる」と言った。忘れた頃に振り込まれてる。昨日、また10万振り込まれてた。100円×10000日ぶん。ふざけたことを有言実行する人は格好いい
人生初の赤ちゃん本舗に行って参りました。ベタに疲れるもんですね
妻から報告がありました。最近、僕も太りました。妻が僕を見て『太ったね』と言いました。僕が『まんまお返しします』と言いました。そんな妻が昨日「やばり!!今までで最高の体重が出てしまいました」と言いました。マックス体重だそうです
猪と柴犬が対決したら、柴犬が勝つ!と言い張っているおじさんがいるのですが、本当でしょうか?
二年後にガラケー終了のニュース。DOCOMOのガラホ(ガラケー型スマホ)、パナソニック、出してくんないかなー
お世話になったバーのスタッフが、本日、子供が生まれたとメール。僕と同じ誕生日になる。不思議な気分。めでたい!
日曜日の昼に、山下達郎サンデーソングブックを聴きながらうたた寝するのが、小さな贅沢。小さな幸せ
気づいたらゴールデンウィークじゃないですか。なんでテレビの世界はこんなにもゴールデンウィークと無縁なのか?
さっき、70歳過ぎのおじいちゃんとおばあちゃんがおしゃれをして手をつないで歩いていた。土曜日の午後。おじいちゃんとおばあちゃん、こんな気持ちにさせてくれてありがとうございます!!
東京湾にシャチの群れって!こわい!!地震来ませんように!
妊婦さんのつわりが旦那さんにも伝染することがあると聞いたことありますが、妊婦さんのむくみが旦那さんに伝染することはあるのでしょうか?ここ数日、むくんでます
自分が参加した映画を観にきてくれた方には心から感謝します。ですが、あの地震のあとにもっと大きな地震が来る可能性は0ではなく。そのことを心配する僕は変ですかね
旭天鵬関。とてつもなく。その背中が格好いいです。取り組みを見て、こんなに涙がこぼれたのは初めてです
素敵なプレゼントをしたり、相手を喜ばせるには、普段の生活からいかに相手のことを思っているかですよね。相手から出ているサインを見逃さないことですよ
しょっちゅうおならを嗅ぎ合ってます 臭いで健康状態がわかる
絶対に、僕も妻もいつかは死ぬ その時に、後悔はしたくない なるべく健康に生きて健康なデブでいよう!
「病気になる時は、まさか、私が?って 誰もが思うんだよ」特に奥さんには乳がん検診を受けてもらいたい
週に一度は奥さんが手料理をしその日は会議と会議の合間でも家でご飯を食べるために帰る それが夫婦にとって大事だって分かったから
子供の頃、食卓には、色んな料理が並んでいた 今になってそのありがたみを感じる
デブは体重計に乗るのが怖くなり体重計を無視するようになる
一度臭うからと指輪を外した事があったが夫婦の大事なものを失った気がした
夫婦の生活をしていると地味に我慢したり言えないことが沢山ある 奥さんの手間を考えるとなかなか言えなかったが僕は「本当は家で沢山、沢山魚を食べたい!」あんまり言えなかったが本当の思いを話すようにした
仕事に、毎日の生活に、ワクワクする。それこそが「クリエイティブ雑談」の奥義
結局は人からしかチャンスは舞い込んでこない
気になる場所、気になる物は、ただネットで検索するよりも現場に足を運んで直接目で見る
ネタが出るまでは何も書かない。普段からテーマについて考えているから、思い付いたらパッと書いちゃう
20歳くらいの頃は、大人に負けたくない一心からSMクラブに通った
自分が興味を持っている人や好きな人が特定の作品を褒めていたら、僕はその映画を観に行って、その音楽を聴いてみる。そうすればその人との話のネタが増えるし、感想を語り合うことで距離も縮まるはずですから
(鶴瓶さんの )この努力(ゲストのまわりを自分自身で取材し自分でエピソードを探していること)によって番組の質が明らかに高く、面白くなっているんです。テレビはすごく正直な媒体で、実はごまかしがきかない、人となりの真剣さがそのまま映り、視聴者はそれを無意識に受け取っているんです。でもテレビに限らず、仕事ってすべてそういうものだと思う
(80年代・90年代の出演者がスターだった時代から、世の中は変化していると述べた後)それだけ世の中がまじめになったのだと、僕は思っています。時代が慎重になったとも言える。視聴者はいい加減な人を見たくないと感じ、一緒に番組を作るスタッフもそういう人と仕事をしたくないと嫌うようになった。だから芸人さんも、僕たち制作の人間も必死で体を張り、知恵を絞る
世の中を見回してみても、自分の思いを行動に移す人って、1万人いたら、せいぜい100人ぐらいしかいないんじゃないでしょうか。たった一歩を踏み出せばいいことなのに、意外とできる人は少ない。本当にもったいない話です。もちろん、事を起こす前には、じっくり考えたり、リサーチすることも必要なんでしょうけれど、大事なのは企てを実行に移すことがどれだけできるかじゃないでしょうか
根性論みたいですけど、楽しい場に居続けるには、ものすごくもがいてないといけないじゃないですか。しんどくても、それも含めて楽しいと思えるかどうかが大事でしょう
僕がここまでこれたのは、年長の先輩たちの度量の大きさのお陰だとも思っているんですよ。だって、いくらアピールしていたとは言え、よくもまあ、23歳の若造にチャンスをくれる気になったなあって思うわけですよ。若手にチャンスを与えるにはすごく勇気がいる。野球だって、どんなに能力があっても監督が「こいつを使う」と決断しないと打席に立てないじゃないですか。僕は当時、それにとても感謝し、彼らに恥をかかせないように、それこそ寝ないで、死ぬほど努力をしました
今の世の中、弱者が正義になりすぎていると思う。負けた人にも、必ずその理由や非が多少なりともあるのではないでしょうか。でも、それを直視せずに、負けの言い訳ばかりしている。このような風潮に疑問を持ったのです。それが小説(『名刺ゲーム』)で一番言いたかったことです
5つの課題があるとします。僕はそれに対し、それぞれ10個ずつ、計50個のネタを提案しました。これは努力を見せたいというためではなく、相手の求める方向性を探るためです。多くのアイデアを出せば、「この辺はいい」と、リアクションをもらえます。これを繰り返せば、打率はどんどん上がります
僕らは視聴者に向けて番組を作りますが、その前にディレクターやプロデューサーがいます。まず彼らに認められないと何も始まらない。打席に立たせてもらうために、まずは目の前の人を納得させること。そして本当にやりたいことは、チャンスが巡ってくるときまで隠しておけばいい
25歳のころ、父親に借金が発覚しました。総額1億円以上、利息だけで年900万円の返済が必要でした。僕はこれを返済し続け、30代で返し終えることができました。20代後半に猛烈に働けた一つの理由は、この借金のおかげでしょう。お金のことを考えるのが嫌で、仕事に没頭していた面もあります
成功するのはあくまで本業の実力が伴ってこそ。実力がない人が接待や業務外の勉強に励んでも、チャンスはつかめないでしょう
この業界は、やりたいと言わないと盗られるぞ」と。聞いた瞬間は、ぶっ飛ばしてやりたいと思いました。でもその忠告のおかげで、僕も変わることができ、数々の仕事を得てきました
仕事が休みのとき、家でダラダラ寝ていることはまずないですね。パッと時間ができたら、映画を観に行ったり、本を読んだり、すぐ何らかの行動に移しています。生活の中でぼーっとしていることはほとんどなくて、移動の時間もずっとiPodを聴いたり、ケータイをいじってツイッターやったりブログを書いたりしています
読みたい本や観たい映画はたくさんありますが、まず見るようにしているのは、人が勧めたものや褒めていたものです。その中に自分が好きではない系統が含まれていたら、そういう作品ほど見た方がいいと思っています。だって自分が好きなものを見るなんて当たり前のことです。知らない世界に触れて、自分の感覚とフィールドを広げてみるチャンスだととらえた方がいいでしょう
夫婦の時間を大切にすることも、習慣といえば習慣です。奥さんとご飯に行く予定があるときは、何を食べに行くか、どこに行けば話が盛り上がるか、お互いにちゃんと考え、話します。奥さんとの間では交換日記を長い間続 けています。日々あったことやお互いの嬉しかったこと、不満などを綴っていきます。現在、10冊目に達しました
結局僕は、人と話をしたい気持ちが強いんです。その目的があるから「人がしないこと」を進んでするし、逆に「人が勧めてくれたこと」も喜んでする。自分が興味を持っている人や好きな人が特定の作品を褒めていたら、僕はその映画を観に行って、その音楽を聴いてみる。そうすればその人との話のネタが増えるし、感想を語り合うことで距離も縮まるはずですから
この業界に入ったとき「たくさん映画を観ろ」と 言われたので、面白いもの、つまらないもの、いろいろ含めて年間で360本以上観る生活を続けました。その結果、三年ほどたったあたりから、企画を思いつくようになったのです。きっと頭の中のデータ量が増えて、検索エンジンが機能するようになったのでしょう
一回文章にすると忘れにくくなりますので、僕は観た映画の感想をブログに書いていますが、整理や分析に費やす時間は無駄なような気がします。観たものをまとめている時間があったら、もう一本別の作品を観たいなあと僕は思ってしまうんです。とにかく貪欲に吸収していたい
データをインプットするのに必要な習慣は、効率のいい情報収集術を心掛けるよりも、ひたすら行動することではないでしょうか。ヒットチャートを賑わせている曲が面白いタイトルだなと感じたら、とりあえずiTunesをクリックしてみる。気になるDVDがあったら、思い切って買ってみる
芸人の品川祐君が興味深いことを言っていました。彼は本屋に行って気になった本があったら、読めなくてもいいからとにかく買うようにしているのだと。そうすれば万が一、その著者に街でばったり会ったとき、あなたの本を読みましたと声をかけることがベストだけれど、仮に読んでいなくても、「読もうと思ったんです」ではなく、「もう買ってあって、これから読もうと思っているんです」と声をかけることができる。対話するきっかけも内容も大きく変わってくるわけです
自分の習慣が「オフの習慣」と言われると、違和感を覚えます。通常は仕事がオン、仕事が休みの状態がオフと呼ばれますが、家庭を大事にしている人からしたら、家にいる時間がオンであって、仕事がオフかもしれない。とくにいまの時代、家庭と仕事を大切にする比重も変化しているから、オンとオフの区別も人それぞれだろうし、僕はほとんど区別していません
自分の好奇心に従って行動することにオンもオフもなく、プライベートも仕事も全部つながっている状態は決して悪くないような気がします
大学生のとき、放送作家になりたくて太田プロに売り込みに行くと、「放送作家は芸人の気持ちがわからなきゃダメだ。まず芸人をやってみろ」と言われたんです。それで半年間、ピンの芸人として舞台に立ちました。まったくウケなかったですけどね(笑)
放送作家になりたくて「ノーギャラでいいので、何でもやらせてください!」と言っていたら、すぐにラジオの仕事をやらせてもらえるようになったんです。それから2年間ぐらいは、ほぼノーギャラでいろんな仕事をやりました。弁当の買い出しや合コンの盛り上げ役など、直接、仕事に関係ないこともやらなきゃいけなくて、正直、かなりハードでしたけど、そうして頑張っていると、人脈が広がって次第に声をかけてもらえるようになり、レギュラー番組が増えていきました
与えられた仕事できちんと結果を出すことはもちろんですが、その前にまず仕事を頼んでもらわなきゃいけません。それには、自分という人間をアピールして、「こいつ、なんか面白そうだな」と興味を持ってもらうことが大事です
出会う人の数って、そんなに変わらないと思うんです。でも、人脈が広がっていく人と、そうでない人がいる。それは、「自分という人間に興味を持たせることができているかどうか」の差じゃないでしょうか
人がしていないこと、やってみたいことを持っていれば、付加価値と言える
字は病いや毒から分泌される。そして、人を病ませ、毒する
開高健
ニジマスが海におりたのを”スチール・ヘッド”と呼ぶが、そのときは腹の虹のバンドが消えてただのマスとなり、海からふたたびあがってくると、虹がまたあらわれてくるのだ。どうしてか淡水は住人を華麗に仕立てるようである
部屋の中へ籠ってるとどうなるかというと、アムール・プロプルしかなくなってくる。自己愛。俺が、僕が、私が、という小説だけになってしまう。精神がブヨブヨの蒼白な肥満漢の内的独白になっちゃう。自分の足で自分の体重が運べないような蒼白な肥満漢になる。これじゃいけません
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