一般人の名言集
子供は“恵まれる”っていうでしょう?“恵まれる”そのものなのよ
吉川幸枝
女性の社会進出によって晩婚化し、(子供が)できにくい人もいるかもしれない、でもね、今は医学、科学が発達して子供が作れる時代になっているでしょう?これは神様がそれを許してくれているんじゃないかな?このことだけは、助けを借りてもいい、どんなことをしてでも作ってほしいの。私の全身全霊を持ってお願いしたい!
世の中に“絶対”はないけれどこのひとつだけは絶対と言える。女性は本当に子 供を作ってほしい!心から思うわ
自分の命よりも尊いものを握りしめる、抱きかかえるというのは、子供や孫しかないわけでしょう?
そんな喜びという のは、してみないとわからないことだから、しないうちに拒絶してしまうのは、とってももったいないことだと思うの
心の花園って、映画見ている時でもなければ、ご馳走を食べている時でもなければ、買い物をしている時でもないの。心の花園は命のあるもの、自分の分身たちに囲まれて、心を触ってくれることじゃないかな
(正月の宝船“福禄寿”について)寿は、命のことです。 寿命と云いますね。
寿命…尊い命をめでたくして健康なまま生きた人のことを寿命と言います。
寿命、天命、宿命、運命、長命、短命、志命…その他の命命の総てを寿(ことぶき・尊い・めでたい)にした人の命・一生を指します
(正月の宝船“福禄寿”について)禄は、財の事です。お金持ちで位も高い人の事を、“禄高”と言って表現してきました。お金も位も低い人を“ろくでなし”といいますね(笑)
(正月の宝船“福禄寿”について)福は、人の幸せを意味します。人と人との関わり方で幸せになる様に心掛けて、自分で幸福を作ることです
目を瞑って全てから孤立してみると気 付きがある。何かに気付いて欲しい!!小さな気付きも宝となる。努力こそ気付きに導いてくれる。努力も気付きも共に夢への大きな力であり宝です
食は心を変える 食は命も変える 食は人生も変える 食は心も変える 食は人の命も変える そして人生を歩いていく力(ちから)となる
私は90才をわが人生(仕事・生き様)を最高にしようと決めてます。だから、60才、70才にどんな難しい事柄や苦しい事があったとしても、90才が最高になるための今であると思えば、何となく乗り越えられます
命にも旬があります。総て旬はあっという間に過ぎ去ります。命の旬、体の旬が去っても、“心”・“思い”・“考え”には旬が無く、命を生き生きと輝かせてゆくときは真盛です。心はエンドレス
命(メイ)は食に在り
気付きと築きは同じ意味
真面目・忍耐・努力に勝る才能はない!成功に早道・近道・要領よくの近道はない!をモットーに、まだまだやりたいことが沢山
お店で、輝く宝石を身にまとい、食事中のお客様のテーブルを回るのは私の舞台。ひとつが何十億円のジュエリーはすべてが舞台衣装。仕事以外はいっさい身に付けな い。グロテスクになるほど付ける(笑)のは、お客様に楽しんでいただきたいだけ
どんな環境においても、周囲に影響されることなく自分を見失わない。志と誇りは高く、凛として女らしく生きてゆきたい
私はダイヤモンド。泥の中にあっても汚れも傷つきもせず、そこから出せばまた輝く
グロ(テスク)も極めれば美しい。それが私の信念であり、自分に言い聞かせていることでもある
宝石を集めることは趣味なんかじゃないの。これを『どうじゃ』と見せびらかすのは、幸せ色を表現するためよ。『絵に描いたような女の幸せ』の一つの形を見せている
自分のなかで人とちょっとした違いを感じられると『私のほうが偉い』と思えるわけよ。一番大事な起点はそこです。人との違いを感じられない人に妄想はできない。違いをつくることで自信が生まれる
14歳で飲食店の洗い場に入った時、1年間で割った皿の数が少ない人に500円の賞金が出ると言われたの。そこで私は、裸足で洗い場に立つことにした。靴を履いて洗い物をやると皿が割れても平気だから人間が横着になる。だから割れたら自分の身が危ない裸足で洗ったろうって。『女ターザン』と呼ばれたわ
5歳の時に父が子供13人を残して死に、名古屋の町を母とリアカー引いてさまよう日々もあった
成功は妄想力にあり
私の人生は『妄想』と『暴走』の繰り返しなのかもしれない。自分が目指す道を誰より勉強し、誰より努力したときに、妄想と暴走が発動して誰もいない領域に入っていくことができる。その時チャンスがつかめるのよ
19年かけて24所帯を買って、自分の街をつくったのよ。とてつもないことをやるためには、常識を超えなきゃいけない。常識の世界にぶら下がらないと怖い、という人には、一生たどり着けない場所があるわね
男は悪い時にあがくからダメなの。恥も外聞もなくドーンと落ちちゃう。そうすれば上がるしかないでしょ
不自由をしている人がいるっていうことをいつも考えて、私は喋ってるし、仕事をしている
秋山ちえ子
同行二人の散歩道の私は言葉を押え込むのに苦労した
私のつきあいの特徴は「ほのぼの」です。その、ほのぼのの友情を長つづきさせているものは、親しくても馴れ過ぎない、親しくなっても相手の生活にある線から奥には踏み込まないということです
お父さんとお母さんの分まで生きようと思ってる
金澤翔子
私は死にたくないし、頑張って生きようと思います
共に生きる
今していることが やりたかったこと。今、手に入っているものが欲しかったもの
私を産んでくれてありがとう。大好き
お父様も褒めてくれた。(今も)私の胸の中にいます
お母様が教えてくれたので、最後までちゃんと書きました
(いつか行ってみたい場所は?)亡くなったお父様のところへ行ってみたいです
お母さま大好き
お母さまが大好きだから、私はお母さまのところに生まれてきたのよ
医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。もしそれが好まぬなら、他の職業を選ぶがよい
山高篤行
優れた外科医は人には真似のできない自分の型を持っているものです。それは一朝一夕には身に付かず、日々の努力の果てにいつしか自分のものとなっているといった類のものです。そんな優れた医師になるにはとにかく一歩一歩、小さなことを積み上げ、不断前進していくのみです
ビシッと手術を決めないと、自分自身が納得できない
腹腔鏡や胸腔鏡 で手術をすると、お子さんは、通常の手術と比べて回復が極めて早い。身体に負担の少ない手術は、小児に大きなメリットがあると思います
単に治すのではなく、お子さんの将来も含めた治療を常に考えています
全身全霊で挑まなければ限界はわからない
不可能を、可能にしろ
部下の責任=すべて私の責任
栄光に近道なし
(プロフェッショナルとは)妥協を許さない準備、反省をする人。そして、仕事を完璧にキメないと自分を許せない人だと思います
限界?誰だってありますよ。絶対あると思う。でも、だんだんと準備していくうちに、その限界が低くなっていくんだよね
気が小さいっていうか、怯えているっていうか。だから大きい手術、難しい手術があると怖いんです。だけど怖いから、一生懸命勉強する。すると、最初は治せるのかっていう不安が、だんだんとできるなっていう自信に変わってくるんです
手術をキメられるか、キメられないかっていういちばん大きな要因は、手術の前の準備。9割が手術前で決まっていて、手術は変な話、手術する前に終わっているってこと
僕は手術は急がないの、絶対に。絶対失敗したくないから
最後まで手放してはいけないもの、それが「祈り」
渡辺和子
今日の教育は人格の教育とならなければならない
他人の話を遮ることなく、辛抱強く聞くということは、決して易しいことではありません
どんな自分にも愛想をつかさない
人はそれぞれ、悲しみ、苦しみ…、目に見えないものを持って生きている
人には必ず好き嫌いがあり、こればかりは修養したからといって克服できるものではない
他人に迷惑を かけ、その都合に逆らってでも我意を通すわがままも困ったもの
成熟した愛とは縛る愛から、解放する愛へと成長すること
劣等感は傲慢の裏返しと言われたことがあるか、自己嫌悪も同じで、思い上がっている証拠である
売り言葉に買い言葉的言動をしてしまった後の惨めな思いを、誰しも少なからず経験しているのではなかろうか
人間は動物の水準にまで成り下がる事ができると同時に聖者の生活を送るところまで向上できる
愛にも成長がないといけない。
それは一体化を願い、相手の心の中、相手の世界を知り尽くしたいという愛から、徐々に脱皮していくことである
嫌いな人の価値を認める為には、時に英雄的な努力を必要とすることがある
人間が、もう一人の人間を完全に許せるなどと思い上がりたくない
感謝を忘れないで生きる
今、何がしたいかと同時に、今、何をしなければならないかを併せて考えら れる人になることが大切
神の似姿として創られた人間一人ひとりの中には、生まれながらにして真なるもの、善、他人、聖なるたものへの傾きと憧れがある
倒れても倒れても起き上がり、その度に少しずつ謙虚になっている自分でありたい
親もまた姿勢を正して生きて欲しい
いつも生き生きと生きていきたい。
その為にはどんな自分も受け入れる勇気を持つことが必要
私たちは「ありのままの自分」と「見てもらいたい自分」の二人の自分を持って生きている
宗教というものは、まず「まともな人間」があって、初めてその「まともな人間」と神との関わりが正されていくのだろう
心のアルバムを開く時、そこにはいつも子どもたちの将来の幸せを願い、その為に自分の全てを捧げてくれた母の姿がある
全ての命は、その有用、無用に関わらず、尊ばれねばならないという確固たる信念を持つことなしには、人命尊重という成果は期待できない
その時その時の、ありのままの自分を肯定して生きていくことこそ、真の自分への優しさ
人間の価値は他人と比べてのそれではなく、かけがえのない一人としての不動のものである
自分が大切にされて、はじめて人は自分の価値を知り、自信を持って生きていくことができる
神でない人間は、他人も自分も皆、弱さを持ち、間違うことがある
人間は切羽詰まると、目先の善を選ぶ弱さを持っている
自分を本当に愛する人は惨めな自分、嫌な自分、傷いっぱいの自分を労わることのできる人である
生きる力は生きる喜びからしか得られない
別人格としての個人個人の間には、決して完全な理解、一致はあり得ない
死は生きる時間を制限してしまう悲しいものですが、同時に私たちの人生に意味を与えてくれるもの
神の愛は無条件である
修道者であっても、言うも恥ずかしいような些細なことで心が波立つこともある
人間は苦しみの中で、相手を思いやる自由、微笑み難い条件のもとで、微笑む自由を持っている
求めるものを与える時、そこには主体性がもたらす豊かな人生が生まれる
人は自分の持っていないものを、他に与えることはできない
信じることを教えるのも教育なら、人を疑うことの必要性、単純に物事を信じてしまってはいけないことを教えるのも教育
「生きている」と「生きていく」は、一字違うだけだが、実は大きく違う
「ありのままの自分」と「ありもしない自分」との間のギャップが大きければ大きいほど、隠すものが多くて疲れは激しい
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