一般人の名言集
月曜日の朝、事務所に伺います。ミス・フロリー・ハモンドを連れていきます。婚約のことについては、まだ話さないつもりですが、私が怒っているとは思わないでくださいね。あなたが婚約の話を聞いたことがとても嬉しいのですから
ビアトリクス・ポター
(出版社のために他の挿絵の仕事ができるかどうか尋ねられて)他の方々の本の挿絵についてですが、それをすると、私自身の本を仕上げられなくなると強く感じています。ストーリーを作るのは、いくらでも楽しいのですが、絵を描くのはとても遅く、苦労しますので、私の創作生活の終わりには、きっと私自身のお気に入りが未完成で残っているはずです。短くても長くても
(最初の本に対する条件の通知を受けて)私としては、印税に関する貴社の条件はとても寛大だと思いますが、著作権は私に残るようにしていただけますか?丘に1冊3ペンス以上の条件を出してくれる人はいないと確信していますし、これらの小さな本は、たとえ成功したとしても、長くは続かないのもわかっています。ですが、同意する内容を知っておきたいのです
私は子供の頃、半信半疑ながらも、もっぱら妖精と遊んだのを覚えている。
幼少期の精神世界を持ち続け、知識と常識を加えてバランスをとり、夜の恐怖をもはや恐れず、それでも命の物語を少し、ほんの少し理解することが出来たら、そんな天国はほかにないでしょう
私は20歳のときより、30歳の方がずっと若く、心も体もより安定し、より強く感じる
私は常々、両親の不名誉となるべく生まれてきたと思っていたけど、今日はそれがはっきりと露呈された。私は髪を切ったので、帽子がしっかり留まらない。今日は突風が吹いて、帽子が展覧会の大きな噴水に飛んでいき、仰天する父のもとへ吹き流され、見物人を大いに楽しませた
パパとママはミレーでの舞踏会に行った。1、2週間前、オスカー・ワイルドがいた。背が高く、ひょろっとして、陰気な男だと思っていたけど、彼は太っていて陽気だ。唯一変わっている点は、シャツの襟の代わりの黒いチョーカーともじゃもじゃの髪の毛だ。その代わりに奥さんが大きなスイレンに覆われていた
アカデミーでの巨匠たちの冬の展覧会に行った。あんな絵があるとは思わなかった。一度に全部見られるなんて贅沢すぎる。ただ、ヴァン・ダイクの5つの偉大な作品を並べてみてみたい。1つだって見られると思っていなかったのに…。むしろ痛ましい喜びだけど、そんな素晴らしい喜びはめったに感じたことがない
1901年1月26日、9歳の終わりに死んだなつかしいピーター・ラビットの思い出に愛をこめて。まだ非常に幼いころに、シェパード・ブッシュのアックスブリッジ・ロードで、4シリング6ペンスという法外な値段で彼を買ったのだった。……頭の働きには限界があり、毛皮や耳、足などにも欠点はあったものの、その気質はいつも変わりなく愛すべきものであり、全くやさしかった。愛すべき仲間であり、静かな友だった
ノエル君、あなたになにを書いたらいいのかわからないので、四匹の小さいウサギのお話をしましょう。四匹の名前はフロプシーに、モプシーに、カトンテールに、ピーターでした……
灘校で教師をしていたころも、生徒に頭ごなしにあれこれ禁止するのではなく、「常に人の気持ちを考えなさい。腹が立って食って掛かりたくなっても、そうされたら相手がどう思うか、一瞬でも考えなさい」と指導していました。責任を伴った自由を与えることで、子どもの意欲や個性は伸びるのです
橋本武
遊ぶことがゆとりではありません。水準以上のことをやることで「ゆとり」が生まれます。そして、水準以上のことは「遊びの精神」でできるのです
物語を手がかりにして、「横道」にそれていくということをやりました。「横道」にそれていくことが、子どもにとっては面白いのです
一方的に親の判断を押し付けるのではなく、子どもを対等な一人の人間としてとらえ、その思いや考えを尊重することが大切です。責任を伴った自由を与えることで、子どもの意欲や個性は伸びるのです
ただ言われたことを黙って受け入れるのではなくて、自分から積極的に求めていく。
自分から求めていく力がつけば、国語だけでなく、ほかの教科にもそれが 及んでいきます。
生活態度はもとより、勉強に対する姿勢も自然と変わっていきます
自ら興味を持ち、自ら進んでいろいろとやりなさい
“遊ぶ”ことは何の役にも立たないかというと、そうではない。“遊ぶ”ことによって興味が広がったり、記憶する力が刺激されたりする
“遊ぶ”は、毎日しなければならないこと以外に、自分の心身をなぐさめ、楽しむ行為。“学ぶ”は、自分の目標となるような人を見つけ、その人のようになれるよう、その人の真似をしていく行為
「“ まなぶ”も“あそぶ”も平仮名3文字で、“ぶ”で終わる」という声が上がります。見たままの感想ではないかと思われるかもしれませんが、それをあらためて確認することが大切です。そこからさらに発想を膨らませることができるからです
アンケート調査をしたら、『銀の匙』の授業を始める前には5%しかいなかった国語好きの生徒が、95%にまで増えました。この結果を見て、『銀の匙』で押し通しても大丈夫だと思いました
熱意は生徒たちにも伝わります
小学校のときの体験があるものですから、国語教師になったときから、生徒の記憶に残る授業をするためには、教科書ではなくて、何か一つの作品を使わなくてはだめだ、という考えがあったのです
私自身のことを言えば、小学3年のとき、受け持ちの先生が薄っぺらな教科書を使わないで、分厚い講談本を読んで聞かせてくれたことが忘れられません。大阪夏の陣や冬の陣の話、そこで活躍した塙団右衛門や三好清海入道などの物語は、いまだにはっきりと記憶に残っています。それが面白くて、楽しくて、国語が好きになった
私は教師をしていたとき、自分の教えていることがどれだけ生徒諸君の興味を喚起し、後々まで記憶に残るか、ということを常に考えていました。それが生徒たちの将来にとって大きな糧となるからです
読書を通じて自分では体験できないことを知ることができるとともに、自分とは違う人間、生き方があるということも見えてくる
人間が生きていく限り、色々なことに直面し、色々なことを考えなければならないでしょう。そうなると、「横道」経験が多ければ多いほど、そうした様々な事態への対応力もより高まるのです
本当のゆとり教育というものは「詰め込み」が重要になってくると思います。もちろん、受験のための詰め込み教育は問題外です。ここでいう詰め込みとは、いわば「教養の詰め込み」のこと。この上積みこそが、受験などという近視眼的な目標ではなく、人生の方々で待ち受ける難問にぶち当ったとき、必ず役に立つわけです
戦後の「ゆとり教育」というものは、私に言わせれば「怠け教育」以外の何ものでもありません
きっちりと労力をかけて学んだことは、どこかで必ず役に立ちます。必要以上に勉強したことがゆとりにつながる。これが本当の意味での「ゆとり教育」なのです
ときには苦しいけれども読む、書く、そして考える。そうしてみると、そのときは目一杯でも、あとで「心のゆとり」となって、必ずわが身に返ってきます。それが“教養”なのです
答えは後回しでもいい。疑問をもつことが第一歩
偏見を打破するだけの実質さえ備えておくなら、どんなことを言われても笑ってすませられよう
大事なのは答えではなく過程です
私は好きなことをがむしゃらにやってきました。皆さんも自分がいいと思うやり方を見つけて、それを迷いなくやり遂げていってほしい。自分がこうだと思うものを見つけて進めてほしい。誰かのマネをする必要もないし、逆にいいなと思えばマネをしてもいい。とにかく自分がやりたいことをやる、ということが大切 。自分が好きなこと、やりたいことをどんどんやりなさい
私の信条は、『高く、広く、明るく』です。目標を高く、視野を広く、生活は明るく暮らしていきたいと思っています
(今の目標)108歳の茶寿、111歳の皇寿、そして、120歳の大還暦を迎えること
私は台所にも立ちますよ。汚れ物を残したまま寝たことはありません
源氏物語は谷崎潤一郎や与謝野晶子などいろんな人が現代語訳していますが、私は自分が紫式部になったつもりで書きました。現代の紫式部が平安時代に行って当時のことを書いたような視点で訳しています
20年はまだ生きられると思った。それで、源氏物語の現代語訳に取り組んだのです。源氏物語は長編なので現代語訳には時間がかかります。でも、20年生きられるなら、できると思いました
牛乳瓶2本半分もの血があふれていたのですが、破れた血管部分が突然かさぶたで覆われ、血が止まったのです。どうしてそうなったかはわからないのですが、医者も“奇跡だ”と繰り返していました
(健康の秘訣)よく噛んで食べること。胃の負担が少なく、脳も刺激するのでボケない
教師になってすべてがよかった。これ以外の人生は考えられない。教師という職につけたことがありがたいです
教師は人間対人間で、人と交わることに面白さがあると思います。人間は皆、いろんな能 力があって、性格などもそれぞれが違い、それぞれに良いところがあります。それを見つけて接触していくのが楽しい
何をどんなふうにしゃべろうかと常に考えている
灘校という自由にやりたいようにやらせてもらえる学校だからこそできたこと
子供たちは、自分で体感し発見したことだから、自然と興味をもち、楽しみながら学んでいきました。遊びの感覚でやるから楽しい。“遊ぶ”と“学ぶ”は同じこと
(使用していた国語の教科書は、軍国主義を理由に3分の2は墨で塗りつぶされて真っ黒だったため)ぺらぺらでこんなものでは授業なんかできないと思いました。それでもなんとか生涯に渡って子供の記憶に残る授業をしたいと考えていました
私は何度も奇跡的に命を救われているんですよ
綴り方の時間にたくさん書けば先生が褒めてくれて三重丸をくれる。それでまた喜んで書いて見せたらまた丸をくれる、といった具合でした。だから、読み書きは自然に好きになっていきましたね
教科書より講談本のほうがよっぽど面白かった。ただ、聞いているだけではだんだん物足りなくなって、自分でも読みたくなる。そこで、母親に『本、買うて』とねだると、母にしてみれば講談本でも何でも子供が“本”を読んでくれるのが嬉しいものだから、すぐに買ってくれました。塙団右衛門直之なんていう名前も覚えていますよ
“学ぶ力の背骨”です。国語力のあるなしで、他の教科の理解度も違う。数学でも物理でも、深く踏み込んで、テーマの神髄に近づいていこうとする力こそが国語力です。それは“生きる力”と置き換えてもいい
何でもいい、少しでも興味をもったことから気持ちを起こしていって、どんどん自分で掘り下げてほしい。そうやって自分で見つけたことは君たちの一生の財産になります。そのことはいつか分かりますから
スピードが大事なんじゃない。すぐ役に立つことは、すぐに役立たなくなります
「したいことをする」それはとても素晴らしい生き方です。そんな自由な社会であることは喜ぶべきことです。しかし「したいことをする」ことと「やりたい放題やる」ことはまったく違う。「したいこと」の質が問われている。今はそういう時代かもしれません
「これを言ってもいいか。これをしてもいいか。それによって相手はどう感じるだろうか。そういうことを一瞬でもいいから考えなさい」これは私が生徒たちに必ず言ってきた言葉です。この気持を忘れてしまうと、人間はとても傲慢な生き物になり下がってしまう
人生は誰かと比べたり競争したりするものではありません。自分に与えられた大きな波に乗って、したいことをすればいい
幸福観というのは人それぞれです。お金に幸せを感じる人もいれば、世間的な評価こそが幸福と感じる人もいる。それは歩いている道が違うのですから、そこに落ちている幸福の種が違うのも当然のことです。隣の道など気にしないで、自分が歩いている道の中に幸せを探すことです
生徒たちの最終目標は、いい大学に合格することではありません。そんなものは単なる結果に過ぎない。大切なことは、人生を生きていくために必要となる「考える力」を養うことです
今の日本は、横道にそれることが許されない社会かもしれません。与えられた目標に向かってまっしぐらに走る。結果を出すことだけを追いかけている。いかに早く結果にたどり着くか
平和で、豊かで、美しく、可愛いものがほんとうに好きで、そういうものをこわしていこうとする力に限りない憤りを感じます
いわさきちひろ
戦場にいかなくても戦火のなかで子供たちがどうしている のか、どうなってしまうのかよくわかるのです
世界中の子供みんなに平和としあわせを
本当に強いやさしい心の人間になる条件はその人が、経験した苦しみの数が多いほどふえていく
人間はあさはかなもので、身にふりかかってこなければ、なかなかその悲しみはわからない。若い、苦しみに満ちた人たちよ。若いうちに苦しいことがたくさんあったということは同じような苦しみに堪えている人々にどんなにか胸せまる愛情がもてることだろう
大人というものは、どんなに苦労が多くても、自分の方から、人を愛していける人間に、なることなんだと思います
手が動かなくても、脚が動かなくても、誰かのために生きていたいという人はたくさんいます
橋田壽賀子
人間には、40歳になって見えること、60歳でわかること、そして80歳でようやく悟ることがあります
どの主人公にも限りない愛着がありますが、そのなかでも『おしん』には、私の特別な思いが凝縮されています。明治、大正、昭和という死と隣り合わせだった激動の時代を、不器用ながらも懸命に生き抜いたおしんこそが日本女性の原点だと思うからです
この頃、ふと胸を去来するのは、おしんは私の分身なのかもしれないという思いです
主人のお墓は静岡の霊園にあります。でも、私は両親が眠 る愛媛県今治市のお寺のお墓に入ります
やっぱり鬼はなしなんです、最後はみんないい人で、鬼はありませんでした。この題名は間違っておりました。21年前、「鬼ばかり」から発展して、今、「鬼はなし」になりました
わたしたちは意地悪に決まっています(笑)独り者だと、何をかいても批判する家族がいませんから、遠慮せずに書けますからね
長いセリフばかりで申し訳なかったけれど、皆さんいやがらずに覚えてくれて、本当に感謝しています
わたしの書くドラマは「飯食いドラマ」と言われます。食事のときくらい、家族集まって会話をしたいですから
「渡鬼」でも、各家族のことを書きたかったのですが、他人でも家族になれるということを書きたかったのが野田家です。葉子のように、迷いながら探して探して、やっと幸せになるのもいいと思っています。わたしにとっての一つの理想なんです
わたしは古い人間ですから、「家族」が大切です
地震の影響もあるのでしょうか、本当にいい子が増えてきて、家族が見直さ れてきた気がします
親孝行をする子が増えましたね。10年前の印象と違います。ひと頃、親子の関係が悪かったと思うのですが、今はいいですね
「イクメン」という、育児をする男性というのは結構なことだと思います。二人の子どもなんですから
介護は、いかに子どもに重いものかということを書きたかったんです。結婚さえもあきらめて親を取る、こういう世の中はどうなんでしょうか、もっと社会でそういう人を助ける施設があれば、その女の子を助けてあげることが出来るじゃないですか。女の子がお嫁にも行かずに背負うことじゃないんです
自分の理想型、こうしゃべって欲しいという願望です。時代から離れているとよく言われますが、わたしは敬語を大切にしているんです
震災のショックで、1ヶ月くらい書けなかったんです。とても大変なことが起こっているのに、こんなぬるま湯のようなドラマを書いていてもいいのかと…石井さんには言えなかったです
誰かに託して自分の思いを伝える、価値観の違う人に託して書けるということは本当に幸せなことです。テレビドラマの影響というのは大きいです
(渡鬼は)その時思ったことを書けるドラマでした。時代の流れを人物に託せるので、楽しんで書きました。ままごと人形遊びのようなところがありましたね(笑)
今はない主人に書かせてもらっていると思っていますから
友人がお祝いをしてくれて、生まれて初めてビールをコップ一杯飲みました。これまでわたしはお酒を飲んだことがなかったので、酔ってしまうかと思っていたのですが、酔いませんでした。意外と美味しいですね。これから呑んべえになろうかしら(笑)
先日(渡鬼を)書き終えて「やっとこの地獄から開放された!」という気持ちだけですね(笑) 何をしていても、ずっと頭にこの番組のことがありましたから、書き終えて本当に幸せです
(渡鬼の)今回の相続についてのセリフは、みんなにこぼされております。憎まれております(笑)
「うちでもこんなことがあった」とかですね。そういう問題を(渡鬼の)ここの家族たちがひとつの解決を出すと言うことで、身近に感じてくださっているんじゃないでしょうか
この番組(渡鬼)を始めたのは20年以上前で、そのとき若かった人が今、「鬼」世代になったんです
藤岡さんが亡くなり、宇津井さんが亡くなり、山岡さんが亡くなり「もう鬼はやめる」と決めていたんですけど、どこに行っても皆さん「鬼はいつやるんですか?」とおっしゃってくださるんですね。そうすると、やらないと悪いような気がしてしまって…
私は嫌いな役者は作中で出張させたり、死なせたりしていました
いまはみんなが贅沢で、そのくせ自分の責任をすぐ政治や社会や他人のせいにする。その前にいったい自分がどれだけの努力をしているか、反省する必要があるんじゃないでしょうか
ドラマでいろんな人生を生きてきた
自分と違った人生を、登場人物のなかでさまざまに楽しんできた
(平成2年の放送開始から)鬼ばっかり書いてきましたけど…もう『鬼』には飽きました
私のドラマはもう受け入れられない時代。でも、こんな栄誉をいただいた(文化功労者 に選ばれた)ので、自分が書かせていただけるところがあれば、また書きたい思いはあります
12
閲覧履歴
なし