一般人の名言集
いつも音楽やアートは100年とか150年単位で変化していくのですが、今確実に変わりつつあります。次にどういうものになるかはまだわからなくて、それが2050年頃じゃないかと勝手に思っています
坂本龍一
映像で語りきれないことを、音楽で語らせる、という方法もある。チャイナタウンという映画は、二人の関係を、音楽でしか語っていないんです。そういう仕事が出来たら本望です
これはYMOのコンセプトだったんですが、僕らの音楽はそれほど大衆性があるわけではないので 、日本だけで100万枚売るのは難しい。しかし10カ国で10万枚ずつ売れれば100万枚だし、100カ国で1万枚ずつ売れても100万枚。これは不可能ではないんじゃないかと…
ここ数年、日本に帰りたいと思い始めました。ニューヨークは好きだけど、やっぱり人生の最期は生まれ育った国で迎えたい。アメリカの白っちゃけた土でなく、日本の真っ黒でふくよかな土に埋められて、ちゃんと微生物に分解されたいじゃないですか(笑)
もともと、自然の声を聞くということはアートの根源だと思います。現代社会で生きている と忘れがちになる自然からのメッセージに対し、敏感に反応する回路を取り戻していく。それが、震災以降これからのアートの役割にもなっていくと感じています
初めて会ったのは32年前の東京ですね、1980年。確か最初のツアーで来まして、僕らYMO 3人で観に行きまして、その楽屋でクラフトワークとYMOという(笑) そのあと六本木のディスコに行きまして、一緒に踊りましたね。その話をRalfにしたら、覚えてましたよ
声を上げる。上げ続ける。あきらめないで、がっかりしないで、根気よく。社会を変えるには結局、それしかないのだと思います
ずっとニューヨークにいましたが、いつも見てシュプレヒコールあげていました。ミュージシャンということじゃなく、1人の日本人としてきました。みんなであきらめずに。がんばりましょう
全体的に感じたのは、いわゆるエレクトロニカ系とか言われる……まあ、その中にもたくさんあるので、ひとつの言葉で括るのは難し いんですけど、ま、そういう傾向のものが、あまり新鮮に聴こえなくなってきたっていうことですかね
シンセサイザーは音をつくっていくものなので、そのなかではプロフェット5がいちばん使いやすい
1990年代にコーネリアスやピチカートファイヴが“ポップなジャパン”の下地を作ったので、Perfumeの可能性はかつてよりもはるかに高いと思いますね。ネットを通して価値観も変わってきているし、オルタナティブなものを聴く若者も増えているので
遊びは結果を求めませんし、プロセス。僕が音楽を作るのもそんなプロセスが面白いから…子供の砂遊びみたいに、何を作ろうとイメージするのではなく、いじっているうちに形になっていく。それが創作であり、僕にとって創作こそ遊びだと思います
曲を作ってからどの音楽をどの場面に入れるかのリストを作り、大島監督と突き合わせをしたらなんと99%一致していて、これですっかり自信がつきました。まったくの新人に大切な仕事を丸ごと任せてくれる、その懐の深さがありがたかったですね
大島渚さんが逝ってしまった。監督が、お一人で台本を抱えて来られ、映画に出演してくださいとおっしゃり、私は無謀にも『私に音楽をやらせてください』とお願いし、全てはそこから変わった。この喪失感は誰にも埋められない。大島さん、安らかに。合掌
練習嫌いのぼくがいうと説得力がないかもしれないけど、とにかく好きな音楽を弾くのが一番。好きな音楽だったら、うまくなりたいと一生懸命練習するでしょう。それをきちんと弾けるまで練習を積み重ねる
偉大な映画監督、偉大な人でした。社会を厳しく叱る人間がいなくなり、日本は少しつまらない国になったかもしれません。あなたのすべてにありがとう
いま普通に手に入る音源のなかで、おどろいたことにCDが一番クオリティが高いんですよ。なくなるはずのCDが一番音質がいい。だから買ってラップトップに取り込んでいます
大づかみのテーマになるようなメロディーやフレーズをたくさん考え、それらからふさわしいものを選択。また、2分半程度の短い音楽のなかに、ドラマにあるいくつかの要素をどう配置するかなど。テーマを選んだあとも、本当にそれでよいのか…
カラオケに行くと歌える歌がなくて困るんですよ。だいたいメロディーは覚えていても言葉を覚えられないので歌えないんですけど。歌えるのは『黒い花びら』(水原弘) とか。第一回レコード大賞受賞曲
最近はますますひどくなって、耳鳴りがしない日はほとんどないくらい。音もどんどん大きくなってきていて、朝、目が覚めた時から爆音が頭で鳴り響いているように感じる時もあります
福島を忘れないでください。原発のない日本を作ってください。脱原発を目指す政治家は協力してください。日本の未来である子供たちを守ってください
やっぱりYMOがなかったら、その海外に出ていくということもなかったと思いますしね。一応その(いろいろな)葛藤があったけど、やはりやってよかったなとは思いますけどね
NYで911テロを体験して、音楽を楽しめるってことは、平和じゃないと楽しめない。だから僕は音楽家だからこれからも音楽をやるためには、平和でないと社会が世界がね。困るなという。とてもそれを実感として感じた
ミス・マッチをやるために、逆にミーティングをたくさんやった。そのシーンのイメージやミス・マッチの狙いを何回も話し合った
(風立ちぬの評価について)審査員の中では否定の声はなかったが、賞をあげるまでは、という感じだった…エンジニアが自分の夢を追うのは美しいのだが、完成した戦闘機がアジアの人々を殺したり、若い兵隊が戦争で犠牲になったりしている。その視点が欠けていたのが気になった
楽曲のすべてをドラムが支配していることが昔からいやでしようがなかった。YMOでやっていたテクノは、機械的なオン・ビートにすることでドラムの存在感が希薄になってたからやってたの
YMO『体操』はあれ、ブルース進行だからね。あのライヒみたいな組み合わせの音だと、ブルース進行でもあまりブルースに聞こえないんですよ
自分の思い通りに生きたがどうかが大事。長さではない どう生きるかどう死ぬかっていうのは個人が責任を持って選んで下さい
甘ったれるなよ
君の夢を信じ、大きな夢を持つんだ
ハワードシュルツ
より良い社会、地元、コミュニティの為に全てを尽くしてください
できる限りのことを全てせよ
次の世代である子供達、孫達が私達に『あの時は何をしていたの?』『何の為に立ち上がり、何を守ったのか?』と聞かれた時に答えられるよう…
お互いの為に生きなければいけない時代