一般人の名言集
学校は人生の牧場である。その牧場の中で一人恵まれて育った者までが、先に立って悪いことをしたんでは申し訳ない。みんなには悪いが俺は就職して、自分の出世よりもみんなの職場をつくろう。職場をつくってそれをひとつひとつ分けてやろう
小川栄一
しょせん月給取りは憎まれる「とり」なんだな。5円、10円、いまならば1000円、2000円という昇給にきゅうきゅうしておっても、それは人生の中のほんのつまらんことじゃないか。そんな月給取りにならずに、俺は月給をあげる人になろう
入社して9年目、私は本店の貸付課長になった。ときに35歳。その間、仕事の関係から酒を飲む機会も多くなったが、酒の席で見た人間は調査に頼らなくとも「これは優良貸しになるかどうか」すぐにわかるようになった。だいたい我々から金を借りながら、自分のめかけ、てかけの芸者をそばに置いて、二次会、三次会をやるような人間にロクな奴はいない
「この伏魔殿をガラス張りにするためにはどうすればいいだろう」私は考えつめた末「日本でいちばん優秀な鉱業技術人を持ってきて根本から生まれ変わらせるほかない」という結論に達した
インテリは弱いものである。自分の理論が敗れると即座に退散する。昔の戦国時代の人間は、最後の一兵卒になるまでその城を枕に討ち死にするという執念と深いがめつさがあった。それに比べれば、いまの人の若い強さはインスタントな強さで、自分の理論が崩れたらガタガタと行きやすい。滅びざる過去の20年、30年の伝統が一朝一夕に滅びるはずがないというふうには思わないらしい
(日本曹達、ラサ工業の社長らに大変苦しめられた経験談)運・鈍・根の信念を教えられた。以来、今日まで私は両人の悪口は一切言わないでいる
昔は学問がなくても立派な人間がいた。私はここで世の親御さんにお願いしたいのは、名をあこがれ、無理に子供を有名校に入れて、その魂を殺すよりも、子供の精神がのびのびと成長するよう心がけるべきだということである。私が世に出て感じたことは、いわゆる大学での秀才のみが社会のために尽くしているのではなくて、目に一丁字のない人がいかに世のため、人のためになっているかであった
私は現在もなお、借地の上の狭い家に住んでいるが、そのわけは人間には不平がなければ働く意欲を失うからである。不平はエネルギーである。私は人間にある無限の不平とともに歩むことが、大衆とともに歩むことだと思っている
私は之を「過不足なき様」換言すれば所定の製産に対して余分の労力と時間の過剰を出さない様にする事を第一に考えて居ります。無駄と過剰のない事。部分品が移動し循環してゆくに就いて『待たせたり』しない事。「ジャスト、インタイム」に各部分品が整えられる事が大切だと思います。これが能率向上の第一義と思います
豊田喜一郎
発明は知識そのものよりも、それをいかに自分のものにしているかにかかわる。学校を出ない人が往々にして相当な発明をするのはそれ故である。これを世の人のために活用し得るまでには、いろいろな研究と大きな努力がいる。その努力の中に発明が生まれてくるものだと私は思っている。発明は努力の賜である
(「ジャスト・イン・タイム」の生産方式に対する部下の「フォードの工場ではそんな事はしていません」という言葉に対して)フォードがどんな方式を取っておろうと、トヨタはトヨタでやります。フォードよりすぐれた方式を打ち立てねば、フォードに勝てません
どんな些細な欠陥でも、本質に立ち返って見直しなさい
困難だからやるのだ。誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ。そんな俺は阿呆かも知れないが、その阿呆がいなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ。そこに人生の面白みがあり、また俺の人生の生き甲斐が、そこにあるのだ。出来なくて倒れたら、自分の力が足りないのだから潔く腹を切るのだ
我々日本人の誰かが自動車工業を確立しなければ、日本 のあらゆる民族産業が育ちません。それは別にトヨタでなくともいい。けれども現状のままでは、カナダがフォードのノックダウン生産(部品を輸入し組立だけを国内で行 う)に占領されて自動車工業など芽もないように....日本も同じ道をたどります。引いては日本の工業が全部アメリカの隷属下に入り、日本は永久にアメリカの経済的植民地になってしまいます
(佐吉翁の「余り深入りするな、早く本業の紡績に移れ」に対してのの返答)しかし技術者には一つの意地がある。やりかかったらそれを完成して見たいという意地である
言った通りにやれ、それでできなくても文句はいわぬ
できないという前に、まずやってみろ
手が油まみれになっているか
誰もあまりやらない、またやり難い事業をものにするところに人生の面白味がある
勿論、人のやったものをそのまま輸入する必要もありますが、何と云っても、苦心してそこまでもって行った者には尚それをよりよく進歩させる力があります。人のものをそのまま受け継いだものには、楽をしてそれだけの知識を得ただけに、さらに進んで進歩させる力や迫力には欠けるものであります。日本の真の工業の独立をはからんとすれば、この迫力を養わなければなりません
どうせやるなら、世人の一番難しいという、大衆乗用車を作ってみようという立場からやりたかったのです