小川栄一の名言集
(一万本以上の樹木を移植し椿山荘庭園を復興させた時の言葉)戦後の荒廃した東京に緑のオアシスを
小川栄一
健全で、しかも安価な、憩いの場と温かいサービスを提供したい
同種類のものは同所で集団で生きていく
戦争で傷ついた人たちのために、憩いの場所を提供したい
大いに働いた人こそ、大いに楽しむべきであり、観光事業はこの働いた人々に感謝をむねとして、サービスせねばならない
観光事業とは、お客様の後始末をすることであります。つまりお客様より早く起き、お客様よりも遅く寝て、その身辺に対するいろいろなサービスに注意をし、あたたかい旅行の1日をお客様の印象に残るほど差し上げたい
働くこと自体が人の親切、社会への親切へとつながらなければ、本当に良く働いたということにはならない
善意を信じ、自分の良心に従って、人の喜ばれるようなことをして、自分の人生を拡大し、人に喜ばれながら初めて成功する
人から喜ばれる。同僚から喜ばれる。何となくあの人の顔を見ていれば楽しいように思えてくる。そんな人になって下さい
観光事業とは簡単に言えばお客に喜んでもら う商売です。どうすれば喜んでもらえるかというと、自然環境や設備も大切ですが、実際は周りの人々の温かい心、ことに従業員の真心が全部です
働いたならば楽しく遊ばなくてはならない。楽しく遊ぶために1人ひとりが持つといっても大変じゃないか。共同の庭を作ろうじゃないか
物のビジョンというものは、苦しくとも10年、15年の先を見て、それに突進しなければならないのです。そしてその先を実らせることによって、後からついて来る人に楽しみを与えることができるのです。楽しみを受けた人はただ自分は楽しみを受けたというのでなくて、さらに後から来る人のために10年、 15年先のことを考えて、いろんな事をしておかねばならないのです
不平を持ち、不平を克服するところにアイデアが生まれる
叩けよ心の扉。大いなる不平に発憤せよ ー 成功のチャンスは文明の進歩とともにますます増えているのに、多くの人はこれを見逃して何もせず、何も考えないでいる。まず、叩けよ心の扉である。大いなる不平に発憤してはじめて無限の道を夢みることができるのだ
自然の姿は林であり、森なのだ。木が二本で林、三本で森と書く。集団で移せば必ず根付くものだ。これは植物の世界だけでなく、動物の社会でも、人間の社会でも同じことだ
不平はエネルギーだ。人間は不平がなければ、働く意欲を失ってしまう
一番素晴らしい人間というものは、父のような冷静さと母のような愛を持たなければならぬ。このふたつが混然として集まってできたものが完全な子供だと思う。キリスト主義だけでもいかん、科学だけでもいかん、愛情だけでも駄目だ。このふたつを持つ人間に私はなりたい
学校は人生の牧場である。その牧場の中で一人恵まれて育った者までが、先に立って悪いことをしたんでは申し訳ない。みんなには悪 いが俺は就職して、自分の出世よりもみんなの職場をつくろう。職場をつくってそれをひとつひとつ分けてやろう
学校は人生の牧場である。その牧場の中で一人恵まれて育った者までが、先に立って悪いことをしたんでは申し訳ない。みんなには悪いが俺は就職して、自分の出世よりもみんなの職場をつくろう。職場をつくってそれをひとつひとつ分けてやろう
しょせん月給取りは憎まれる「とり」なんだな。5円、10円、いまならば1000円、2000円という昇給にきゅうきゅうしておっ ても、それは人生の中のほんのつまらんことじゃないか。そんな月給取りにならずに、俺は月給をあげる人になろう
入社して9年目、私は本店の貸付課長になった。ときに35歳。その間、仕事の関係から酒を飲む機会も多くなったが、酒の席で見た人間は調査に頼らなくとも「これは優良貸しになるかどうか」すぐにわかるようになった。だいたい我々から金を借りながら、自分のめかけ、てかけの芸者をそばに置いて、二次会、三次会をやるような人間にロクな奴はいない
「この伏魔殿をガラ ス張りにするためにはどうすればいいだろう」私は考えつめた末「日本でいちばん優秀な鉱業技術人を持ってきて根本から生まれ変わらせるほかない」という結論に達した
インテリは弱いものである。自分の理論が敗れると即座に退散する。昔の戦国時代の人間は、最後の一兵卒になるまでその城を枕に討ち死にするという執念と深いがめつさがあった。それに比べれば、いまの人の若い強さはインスタントな強さで、自分の理論が崩れたらガタガタと行きやすい。滅びざる過去の20年、30年の伝統が一朝一夕に滅びるはずがないというふうには思わないらしい
(日本曹達、ラサ工業の社長らに大変苦しめられた経験談)運・鈍・根の信念を教えられた。以来、今日まで私は両人の悪口は一切言わないでいる
昔は学問がなくても立派な人間がいた。私はここで世の親御さんにお願いしたいのは、名をあこがれ、無理に子供を有名校に入れて、その魂を殺すよりも、子供の精神がのびのびと成長するよう心がけるべきだということである。私が世に出て感じたことは、いわゆる大学での秀才のみが社会のために尽くしているのではなくて、目に一丁字のない人がいかに世のため、人のためになっているかであった
私は現在もなお、借地の上の狭い家に住んでいるが、そのわけは人間には不平がなければ働く意欲を失うからである。不平はエネルギーである。私は人間にある無限の不平とともに歩むことが、大衆とともに歩むことだと思っている
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