渡辺和子の名言集
最後まで手放してはいけないもの、それが「祈り」
渡辺和子
今日の教育は人格の教育とならなければならない
他人の話を遮ることなく、辛抱強く聞くということは、決して易しいことではありません
どんな自分にも愛想をつかさない
人はそれぞれ、悲しみ、苦しみ…、目に見えないものを持って生きている
人には必ず好き嫌いがあり、こればかりは修養したからといって克服できるものではない
他人に迷惑をかけ、その都合に逆らってでも我意を通すわがままも困ったもの
成熟した愛とは縛る愛から、解放する愛へと成長すること
劣等感は傲慢の裏返しと言われたことがあるか、自己嫌悪も同じで、思い上がっている証拠である
売り言葉に買い言葉的言動をしてしまった後の惨めな思いを、誰しも少なからず経験しているのではなかろうか
人間は動物の水準にまで成り下がる事ができると同時に聖者の生活を送るところまで向上できる
愛にも成長がないといけない。
それは一体化を願い、相手の心の中、相手の世界を知り尽くしたいという愛から、徐々に脱皮していくことである
嫌いな人の価値を認める為には、時に英雄的な努力を必要とすることがある
人間が、もう一人の人間を完全に許せるなどと思い上がりたくない
感謝を忘れないで生きる
今、何がしたいかと同時に、今、何をしなければならないかを併せて考えられる人になることが大切
神の似姿として創られた人間一人ひとりの中には、生まれながらにして真なるもの、善、他人、聖なるたものへの傾きと憧れがある
倒れても倒れても起き上がり、その度に少しずつ謙虚になっている自分でありたい
親もまた姿勢を正して生きて欲しい
いつも生き生きと生きていきたい。
その為にはどんな自分も受け入れる勇気を持つことが必要
私たちは「ありのままの自分」と「見てもらいたい自分」の二人の自分を持って生きている
宗教というものは、まず「まともな人間」があって、初めてその「まともな人間」と神との関わりが正されていくのだろう
心のアルバムを開く時、そこにはいつも子どもたちの将来の幸せを願い、その為に自分の全てを捧げてくれた母の姿がある
全ての命は、その有用、無用に関わらず、尊ばれねばならないという確固たる信念を持つことなしには、人命尊重という成果は期待できない
その時その時の、ありのままの自分を肯定して生きていくことこそ、真の自分への優しさ
人間の価値は他人と比べてのそれではなく、かけがえのない一人としての不動のものである
自分が大切にされて、はじめて人は自分の価値を知り、自信を持って生きていくことができる
神でない人間は、他人も自分も皆、弱さを持ち、間違うことがある
人間は切羽詰まると、目先の善を選ぶ弱さを持っている
自分を本当に愛する人は惨めな自分、嫌な自分、傷いっぱいの自分を労わることのできる人である
生きる力は生きる喜びからしか得られない
別人格としての個人個人の間には、決して完全な理解、一致はあり得ない
死は生きる時間を制限してしまう悲しいものですが、同時に私たちの人生に意味を与えてくれるもの
神の愛は無条件である
修道者であっても、言うも恥ずかしいような些細なことで心が波立つこともある
人間は苦しみの中で、相手を思いやる自由、微笑み難い条件のもとで、微笑む自由を持っている
求めるものを与える時、そこには主体性がもたらす豊かな人生が生まれる
人は自分の持っていないものを、他に与えることはできない
信じることを教えるのも教育なら、人を疑うことの必要性、単純に物事を信じてしまってはいけないことを教えるのも教育
「生きている」と「生きていく」は、一字違うだけだが、実は大きく違う
「ありのままの自分」と「ありもしない自分」との間のギャップが大きければ大きいほど、隠すものが多くて疲れは激しい
辛い時に誰かに「辛い」と打ち明けることで心の重荷が半分ぐらい軽くなることがある
好きと愛することとは同じではない
私たちの心が傷つけられ、痛めつけらるる機会も。まんざら捨てたものではない
落ち込んだ時は落ち込むのが良いでしょう。
惨めな思いをしている自分を嫌うことなく、いじめることなく「いつか良くなる」ことを信じて、自分と仲良く過ごしている時、心を覆っていた雲が晴れて、明るい日差しが以前より、輝いて見えてくる
母親が「産みの苦しみ」の後に、大きな喜びを味わうように、愛を生む苦しみも、必ず大きな喜びに変えられる
本気で愛する時、そこには必ず苦しみが生じる、愛する者を持たない時の淋しさとは異なった、愛してしまったが故に味わう淋しさであり、苦しみである
愛の反対は憎しみであると思いがちであるが、実は「無関心」
愛のないところに愛を生み出すことは、時に至難の業となる
痛みを抱えながら生きるのが、私たちにとって、当然のことであり、私たちの人生には同じく痛みを抱えて生きている人への優しさも育つ
母の意に反してキリスト教の洗礼を受けた後も、行いの改まらない私に母はよく「それでも、あなたはクリスチャンなの?」と言って、たしなめたものであった
母に厳しく躾られたことに感謝している
日本の子どもたちに、自分自身である喜びを味わわせたい
教育の重要な役割は知識の詰め込みではなくて、子どもたちに一時的、衝動的善、つまり自分の欲望を抑えてでも、他人を幸せにし、自由に導く真の善が選べる人間になるように育てていくことにある
世界の人口を100人の割合で考えると、高等教育を受けたくても受けられる人はわずかに1人。
だから、置かれた場所で咲くという気持ちを忘れず、自分が今できることを一生懸命励みましょう
ほほえむことを忘れた人たちに、ほほえみを惜しまずに与えましょう。「あなたは1人ぼっちでない」というメッセージを発信し続けましょう。ほほえみには、マジックのような力があります。与えられた人を豊かにしながら、与える人は何も失わない ― それがほほえみなのです
ほほえみには、私たちの心の中にある目には見えない愛を、目に見える形にして相手に伝えるコミュニケーションの役割があるといえます
私たち大人がまず、自分の「したい性」を抑えて、主体性を身につけてゆかないといけないのでしょう。人は、自分が持っていないものを他人に与えることはできないからです
人間はとかく、追いつめられると、目先の善に走りがちです。だから私たちは常日頃、心にゆとりを持ち、物事に優先順位をつけながら生きてゆく判断と意志の訓練をすることが大切なのです
今、子どもたちの主体性を重んじる教育ということがよくいわれていますが、現実には、「したい性」が伸び放題になってはいないでしょうか。子どもたちが真に自由になるためには、したいことを我慢し、または自分に「待った」をかけて、しなければならないことを先にする“もう一人の自分”を育ててゆくことが大切なのです
折あることに子どもたちをしっかり抱きしめて、基本的信頼を持たせるようにしましょう。
そうすれば、大きくなって厳しい現実に直面し、人間の弱さに否が応でも触れざるを得なくなった時も、絶望することなく、98パーセントの信頼と、2パーセントの許しの余地を持って、たくましく、優しく生きてゆくことができるでしょうから
信じるということは大切なこと、美しいことですけれども、悲しいことに人間の世界に“完全な”信頼はあり得ません。信じることを教えるのも教育なら、人を疑うことの必要性、単純に物事を信じてしまってはいけないことを教えるのも教育の1つの役割なのです。それは、神でない人間は、他人も自分も皆、弱さを持ち、間違うことがあるのだという事実に目を開かせ、許しの大切さを教えることでもあります
結婚式当日の2人の幸せは輝くばかりのものだろうが、その後に続く日々は決してその連続ではなく、平々凡々たるものだろう。その中で幸せになるということは、小さくてもいい、「ああ、幸せ」と思える機会をふやすことにかかっている
人間の一生の間に、大きな幸せと呼べるものは数える程しかないものです
ささやかな幸せというものは、また、何か小さなことでいい、自分に課したものをやりとげた時にも味わうことができるものである
決して、毎瞬を緊張して生き続けるということではなくて、リラックスする時には思いっ切りリラックスするということであり、「今」に、けじめをつけて生きることだと言ってもいいのかも知れない
「今」をたいせつにして生きないと、花は開かない。「今」をいい加減に生きると、次の瞬間もいい加減なものとなり、いい加減な一生しか送れないことになってしまうのかも知れない
「今」という瞬間を意識して生きたいと思う。「今の心」と書くと「念」という字になると気づいた時、「念ずれば花開く」という言葉の意味がわかるように思ったものです
遠い国々で苦しんでいる人々、見たことも聞いたこともないところで、今日、私の小さな祈りと、痛む愛を必要としている人々のために、「今」という時間に愛をこめて生きることができたら、その人の幸せは、もっと大きくなることでしょう
自分自身をいとおしく思える人は幸せですし、自分の周囲の人々を“ごたいせつ”に思える人も幸せです
人間の幸せというものは、そして一人ひとりの人生の豊かさは、愛するものを持っているか否かにかかっています
どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花がより大きく、美しいものとなるために
結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです
「置かれたところで咲く」この生き方は、私だけでなく学生、卒業生たちにも波及しました
私は、かくて“くれない族”の自分と訣別(けつべつ)しました。私から先に学生にあいさつし、ほほえみかけ、お礼をいう人になったのです。そうしたら不思議なことに、教職員も学生も皆、明るくなり優しくなってくれました
人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせよう、と決心することができました。それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした
置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない
自信を喪失し、修道院を出ようかとまで思いつめた私に、一人の宣教師が一つの短い英語の詩を渡してくれました。
その詩の冒頭の一行、それが「置かれたところで咲きなさい」という言葉だったのです
初めての土地、思いがけない役職、未経験の事柄の連続、それは私が当初考えていた修道生活とは、あまりにもかけはなれていて、私はいつの間にか“くれない族”になっていました。「あいさつしてくれない」こんなに苦労しているのに「ねぎらってくれない」「わかってくれない」
愛はそれが純粋であればあるほど、苦しみを伴う
今度は他人様(ひとさま)が憂いをお持ちの時、困っていらっしゃる時、悲しみをお持ちの時、病気をお持ちの時、その方の傍らを離れない。
同伴者となる、というような言葉で表してもいいかと思います。
その人の病気を治してあげるわけでも、悲しみを取り去ってあげる、問題を解決してあげるわけでないけれど、「大変ね」と言って、「でも、側にいるからね」と言ってあげる。
それがほんとに優しい方のお姿じゃないかしら、と思う時があります
深い悲しみにも、いろんな悲しみがあると思うんですよ。でも、愛する人を失った人に、愛する人を返してあげることはできませんよね。慰めたくても、物質とかお金とか、家を建ててあげるとか、職を見つけてあげるとか、そういうことでなくて、手の出しようのない悲しみがある。そういう時には、一緒になって悲しんであげてください
人は皆、苦労を厭い、面倒なことを避け、自分中心に生きようとする傾向があり、私もその例外ではありません。しかし、人間らしく、よりよく生きるということは、このような自然的傾向と闘うことなのです
もしあなたが、誰かに期待した微笑みが得られなかったら不愉快になる代わりに、あなたの方から微笑みをかけてごらんなさい。実際微笑みを忘れたその人ほど、あなたからの微笑みを必要としてる人はいないのだから
今や、変えられるものを変える自由が与えられている。必要なのは勇気である
与えることができるのは、人間以外の何ものでもないのだ
目に見えないたいせつなものがこの世の中にある。愛と呼ばれるものは、目に見えなくても伝わります
美しさというものは、修行を必要とする
愛によってのみ「見える」ものが世の中にある
愛するということは、大切にするということである。丁寧に生きるということと深くかかわっている
人に生きがいを与えるほど大きな愛はなく、人から生きがいを奪うほど残酷なことはない
その人が、死後も「自分のもの」と呼べるもの、その人とともに永遠に残るものは、生存中に「与えたもの--愛」なのだ
「化けかた」は教えても、中身からの美しさを教えない
なにを愛するか、いかに愛するかということは死ぬまでの課題である
大切なのは宝石に見せかけることではなくて、宝石になる努力を惜しまないことだ
心の美しさは、自分の心との戦いによってのみ得られる
「しかたなしに」愛することほど、愛に対する侮辱はありません
好きな人は愛しやすいが、嫌いな人の価値を認めるためには、時に英雄的な努力を必要とすることがある
何かをなさっている時にフッと思い出して、「ああそうだ、これをあの人のためにしよう」と思ってください。誰かのために何かができる
私たちの毎日毎日は、後戻りすることができない、やり直しのきかない人生だという感覚で生きることが大事なのです
大切なものは目に見えない。肝心なことは心の目で見なくちゃ見えないんだ
愛するということは生半可なことではなく、愛し続けるということなのです
私は木を切るのに忙しくて、斧を見る暇がなかった
しかし女性を美しく、好もしくするものは、昔も今も変わることなく、温かいほほえみ、美しいことば、さり気ない心配り、礼儀正しさ、そして恥じらいを知る慎みと覚えておきたいものである
愛にも成長がないといけない。それは、一体化を願い、相手の心の中、相手の世界を知り尽くしたい、という愛から、徐々に脱皮してゆくことである
愛は信じ合っている時、美しい
愛情の深さと歳月は比例しない。たとえどんなに短くても、本物の愛は心を充分に満たしてくれる
大切なのは「人のために進んで何かをする」こと。「人に迷惑をかけない」からもう一歩進んで「手を差し伸べる」気持ちが愛の実践につながる
不要な枝葉を切り落とし、身軽になること。維持や執着を捨てて素直になること、他人の意見に耳を傾けて謙虚になることが成熟ということ
何かを失うと言うことは、別の何かを得ることでもある。今日より若くなる日は無い。今日という日を私の一番若い日として輝いて生きて行こう
自分の存在が受け入れられたと知ったら、相談者は恐れげなく語り始める。話しながら、自分で解決への道を歩き始める
ほほえみを忘れた人ほどそれを必要とする人はいない。相手の出方に左右されることなく私の人生を笑顔で生きるという決意
一生の終わりに残るものは、自分が集めたものではなく、自分が与えたもの
仏頂面をして、他人の暮らしまで暗くする権利はない。不機嫌は、立派な環境破壊
信頼は98%。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく
いい出会いをするためには、自分が苦労をして出会いを育てなければならない
いのちは大切だ。と、言われるより、あなたが大切だ。と、言われた方が生きてゆける
この世に「雑用」という用はありません。私たちが用を雑にした時に、雑用が生まれます
一生の終わりに「残る時間」、無駄に過ごさなかった時間を多く残すためには、小さなことに愛を込め、意味あるものとしていかなくてはなりません。それこそが「新しい生き方」なのです
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