芸能界の名言集
「さかなクン」として、初めてとなるお仕事は、江ノ島水族館での作品展に決まりました
さかなクン
水族館は自分にとって正に夢の国
小学2年生でタコに出会って以来、自分にとって図鑑は片時も離すことのできない宝物でした
魚から広がる人の輪、嬉しいな
好きなこと、面白いと思うことが見つかったら、ますます好きになっちゃいましょう
お魚の神様、本当に本当にありがとうギョざいます
小学校卒業時点で、名前を覚えたお魚の種類は、およそ100種
専門学校卒業後は熱帯魚屋さんに就職しました
(母親が)僕のお魚好きを応援してくれました
高校を卒業した自分は、結局大学進学を諦め、水産生物を学ぶことのできる専門学校へ行くことにしました
(高校時代、鮮魚店でのアルバイトで)お魚を扱う時に気をつけなくてはいけない基本的なこと、お魚のプロが常識としてやっていることなど、たくさんのことを知ることができた
一番通ってた水族館は家から近かった江ノ島水族館
赤ちゃんの頃から、僕は絵を描くのが好きだった
我が家の消灯時間は8時。8時にはお布団に入り、9時までには完全に寝るのがお約束でした
自分が生まれて初めて夢中になったもの。それはトラックでした
携帯電話のアドレス帳は、全国各地のお魚仲間の連絡先でいっぱいです
自分にとってのゴールが一体どこなのか、それは自分自身でもよく分かりません
僕は変わり者ですが、大自然の中、さかなに夢中になっていたら嫌なことも忘れます
(学生の頃)お魚が大好きな気持ちと絵を描くのは誰にも負けなかったですよ
お魚に会えたらそれだけで嬉しいですし、食べることができたらその味わいにも感動します
卵を一生懸命に守っているときは、小さなアイナメでも人に対して威嚇してくるんですよ。そんな姿を見ると、自分も頑張らなければと思います
夢中になって一つのことに打ち込んだという経験は決して無駄になりません
お魚への感動が大き過ぎて、あるとき爆発しそうになった
魚から感動をもらって感謝の気持でいっぱい。それを還元するには、絵を描いて本にすることだと思いました
魚の方がはるかに命の危険に出合うことが多い
人もお魚も個性があるから魅力的なのだと思います
無我夢中になれる何かを持つことは大事
小さな時から母から言われてきた、礼儀や言葉遣い、思いやりの心など、人と人との信頼を深める為の礼節を重んじる教えが、自分のチャンスを広げてくれた
お魚から広がる人の輪、それに伴って感動の輪も広がりました。お魚から広がる「ギョ縁」には感謝いっぱいです
将来的には自分一人ではなく、お魚を研究されている先生方と、ギョ一緒に学術的な図鑑を作成して、お魚の魅力をさらに広げていきたいでギョざいます
(今まで挫折経験ある?)東京水産大学には進学できませんでしたし、熱帯魚店でアルバイトをした時は、大好きなお魚たちが次々と買われていく度に悲しい気持ちになっていました
高校でも吹奏楽部に入りましたが、練習が終わると鮮魚店のアルバイトに直行していました
タコ好きになってからは、学校から帰ると自転車で2駅も離れたお魚屋さんに毎日通いました
お魚の種類だけでも世界で約3万種、日本だけでも4200種以上いる
お子さまの「好き」をギョギョギョ! っと応援してあげましょう!
高1のときは登山部でした
自分が夢中になったものに対して、父は否定することもなく、これが好きなんだな~って、見てくれていました
(夢中になったものを)自分だけで感動しているうちは、やっぱり自己満足の領域だと思うんですね。「好き」を周りに伝えることが大切
絵を描くということは、誰かに見てもらうためでも誰かのために描くものでもありませんでした。
ただただ絵を描くのが好きで、大好きなものを描きたい。そんな自己満足だけで描いていた
自分が好きになったものは「トラック→妖怪→タコ→お魚」と順番があるんです
中学生のときは吹奏楽部に水槽があると思って入部しました(笑)
お魚のことを知るたびに感動するので、飽きるわけがないです
母はいつも紙と鉛筆を用意してくれ、トラックが好きになったらトラックがいっぱい止まっているところに、魚が好きになったら町で一番大きな魚屋に連れて行ってくれました
もともと絵を描くのが大好きな少年でした
小学2年生のときに、クラスメートがノートにタコを書いていて、飛び出てきそうな迫力いっぱいのタコだったんです。その子が描いていなかったら、海の生き物に引かれていなかったです
すギョーく感動しました
ギョギョギョ!!
(大好きな魚をどうして食すの?)人は他の生物の命を食べないと生きていけません。僕もお魚を食べます。食べられる所は全部食べます。残しません。食べる時は感謝し「いただきます」と言います
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかイジメが始まるのです
好きな言葉「一魚一会」
大変、ギョ心配をおかけいたしました
夢中になったものの一つ一つには何一つ無駄なことはギョざいません
中学に入ったころから“男らしくしない”と、いじめられるようになりました
はるな愛
大西賢示という過去があるから、今のはるな愛がある
(LGBTが)自分の個性だって気がつくと歯車が回って、人生が動きだすかもしれません
(アメリカを一言で言うと?)夢を実現させる場所
みんないろんな悩みを抱えているんだという事を知るのが、LGBTを理解する何よりの一歩だと思います
LGBTというカテゴリではなく、その人の個性に目を向ける。受け入れることは時間がかかるかもしれないけれど、まずは相手の個性を知ることが、性の違いを理解する一歩だと思う
みんな違う人間なんです
「LGBT」という言葉の意味を理解することが本質ではないんです
(ダイエットについて)痩せたら着たい服を飾っておくと頑張ろうという気持ちになる
「失礼かな?」と配慮する、思いやりのような気持ちが偏見につながってしまうことがある
(中学時代)本当の自分でいられないのは辛かったですが、学校では仮の姿でいようと決めました
私は今「生きていて良かった」と心から思っています
私は子どもが大好きです
生きていれば、生きているだけでよかったと思える日が来る
(LGBTの事を)無理にカミングアウトしなくてもいいと思っているんですよ
学校に行きたくなければ行かなくていい、人に会いたくなかったら会わなくていいから、死のうとする前に、今の場所から動いてみて欲しい
(LGBTについて)初めて話したのは高校一年生のとき。父に言いました
(学生時代)通学路にあった歩道橋で、あのトラックが来たら飛び降りようと、柵に足をかけたこともある。紐を首に巻いたことも、頭を壁に打ち付けたこともある。誰にも相談できず、真っ暗闇にいた
誰に(LGBTについて)相談したらいいのかわからなくてずっと悩んでいたし、もし周りに知られたら「変態」と言われるんじゃないか…と思っていて
ターニングポイントは私が中学2年のとき。あるオネエとの出会いです。彼女のお店にいった時、~中略~ 観客の注目を浴びながら歌っている。その時に自分もこうやって生きたい!と思えたのがきっかけ
性同一性障害、ニューハーフ、ゲイ……いろんな言葉がありますけど、最近にやっと私っていうのは“一人の人間の個性”かなと思えるようになってきました
女性に生んでくれなかった親を恨んだこともありました。でも、自殺を考えた時、思いとどまったのも家族との楽しい思い出があったから
一度きりの人生を自分らしく生きてたら皆さんが興味を持って下さったっていうのが正直なところ
(学生時代)自分が男でいなければいけない現実ってどうしてもあって
物心がついたときには違和感を感じていました。女の子のおもちゃがずっと好きで「自分は女の子だ!」と思いながら生活をしていた
一度きりの人生なので最後に目をつぶる時には「大西賢示という人生は最高だった」と思えるように、悔いのない1日を生きています
誰にも言えない性の悩みだけでもしんどいのに、そこにイジメが加わった
(芸能界を目指したきっかけは? )物心ついた頃からアイドルが大好きだったので、かなり以前からカラオケ大会とかに出演したりしてました
誰もが好きな人と当たり前のように一緒になれて、批判を受けることなく幸せになれるような社会になることを願って…
私はそれまでの悩みは体が男なのが全ての原因だと思ってたんですね。女になったら全部解消するし、悩みもなくなると思ってたんです。手術してから男性と恋愛するんですけど、でも問題はそういうことじゃないところにも多々あるし、人間関係や人生の悩みは性のせいではなかった
心は女性だけど、男として通わないといけなかった中学校は、暗黒でした
まだまだ世界には貧しかったり大変な地域の子供たちがいたり、その中に私と同じようにLGBTの子供たちがいたり、子供の時って過酷な環境でいろいろな事を悩んでいると思いますが、何かそういう方たちの為になればと思います
上京してきたときに住んでいたのが池尻大橋なんです
日本人は「一緒が当たり前」という風潮があるので、自分とは違う格好や考え方の人に対して、過敏に反応してしまいがち
(CDデビューした心境は?)大西賢示くんだった時からの夢が実現しました
(ボランティア活動の)子ども食堂は、子どもはもちろん、私たち大人もつながることができるコミュニティです。
育児に疲れたり、子育てに悩んだり、近所のコミュニティで本音を言えなかったりと、つい頑張りすぎてしまうママやパパが知り合える場でもあります。
1人でも多くの方に立ち寄っていただいて交流できたら、これほど幸せなことはありません
(脳梗塞・くも膜下出血を経験して)人生観は変わった
田中裕二
漫才師って何をもって引退なのかが分からない
ゼロに何をかけてもゼロ
怒ることより笑うことが多い世の中が良いですよね。結局はみんなが笑っていったら、幸せなのは変わらないですから
ちょっと笑える、共感できる。そういうことがあるから、精神的に健全な方向にいくと僕は思っているんですよね
正論をぶつけたって、それぞれの正論が違うから、ただ対立するばっかりだし、ごまかしごまかしやるしかないと思うんです
家事に関しては奥さんが監督みたいなもので、良かれと思ってやったことが逆にダメだったということもしょっちゅうあります
こういう風な人間でありたいとか今後こういう風に生きていきたいとかっていうのがなくて、点のまま生きてる
悩むって自分の胸の中から自然と出てくることでしょ。僕、悩めと言われても悩めないんですよ
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