芸能界の名言集
(2022年の3回忌の際)僕は今でも「志村は死んでない」と思ってるけど、生きている志村が心の中にいることと、お墓の前に立って「ここに志村が眠ってるんだな」と感じることとは決して、矛盾しないと思ってる
高木ブー
ホッとしたって言うとヘンだけど、3回忌の前にメンバーで志村(けん)のお墓参りができた
志村は死なない、ずっと生きてる (2020年志村けんさん逝去後の特番にて)
ボクシングクラブにも通い始めて、試合にも四回くらい出ました。喧嘩が強くなれば、いじめられなくなると思ったから
ウクレレを弾くことでクラスの人気者になって友達が増えました
弱気な性格だったので、よくいじめられていました
(いかりやさんは)適材適所に人を配置する力がある人
全員集合の面白かったところは生放送だったということ
いかりやさんには「ドリフターズのメンバーを見ていて、ゲラゲラ笑ってんじゃないよ」とよく怒られていました。僕としてはメンバーと一緒にいて、面白いから笑っているのだけれども「自分たちは笑わしている立場なのに、おまえはここにいない、外にいる、おまえの気持ちは客席にある」とよく言われました
ウクレレはハワイアンだけではなく、演歌、ポップス、ジャズにだって使えます
ドリフターズの音楽活動の中で書き落としてはいけない事は昭和41年(1966年)にビートルズが来日した時に、前座を務めたこと
志村さんは、ああ見えて、実は神経質なところのある人
いかりやさんは面倒見が良かった
全員集合は美術に予算が非常にかかる番組だった
(ウクレレを始めたきっかけ)15歳の誕生日に兄貴がウクレレをプレゼントさてくれたことがきっかけ
全員集合の由来は、かつてジャズ喫茶で演奏した頃に遡ります。この頃やっていた音楽コントで、わざと外れた音を出して「なんかおかしいな、全員集合!」と、いかりやさんが言ってみんなを集め、音を確かめるというものがありました。それを「8時だョ!全員集合」に使ったわけです
全員集合は衣装替えの多い番組でした。一回の放送分で五回くらい着替えてました
ドリフの唯一のインテリは仲本さん
ジェリー藤尾さんが作ったポップコーンズというロックバンドを経て、ドリフターズに入りました
加藤は若いスタッフの面倒見も良かったし、いかりやさん以外で唯一コントのことが分かっていました
僕の好きな言葉は「和」です
仲本は、ドリフの中で「真面目役」をきっちり務めてた。眼鏡だって役作りで付けてたし、そういう真面目なキャラクターが似合うことを自分で分かってたんだよね
(全員集合について)土曜日は本番の日ですが、立ち稽古を前日の金曜日にやっていました
個性の違う人間が5人いると、ありとあらゆる絡み方ができ、様々なギャグができます
(全員集合について)あんなめんぐさい番組をよく作ったと思います
ドリフの笑いは加藤と志村が引っ張ってきたわけだけど、志村はどっちかっていうと努力型だった
加藤や志村にしたって、喋りが上手いわけじゃない。そういうグループを動きだけで、あそこまでもっていったのは、長さんの力
僕は途中から加入したメンバーで、ドリフとはジャズ喫茶で知り合いました
(ドリフを辞めたいって思ったことはある) ないです
加藤は、ひと言でいうと天才的なコメディアン
僕は6人兄弟の1番下
(実際あったハプニング)昭和59年6月、「8時だョ!」と言ったら電気が消えて10分後につきました。あまりにもタイミングが良過ぎたので、僕は誰かがわざとしたんじゃないかと思っています
中央大学に進んでからは、軽音楽研究会で音楽三昧の生活でした
僕らは全部、体を張ってやってきたからさ。どんな転び方したらいいのかって考えたり
談志か認めてくれなくて何の為の真打か
立川談春
古典落語には冬の噺に名作が多いと云われている
談志は 所属している落語協会の旧態依然としたあり方に疑問を持ち続けていた
落語家の前座はどんなに生活が苦しくてもアルバイトは許されない
落語って、常にその時代が求めてる正解の間とかテンポがある
最善を尽くしたかどうかは、自分で分かりますよね
学ぶ楽しさ、師に誉められる喜びを知ることが第一歩
(立川談志さんについて)神様に選ばれたのかどうかは分からないまでも、あそこまで落語が好きで、あそこまで落語と添い寝してるのを見せられ るとしょうがない
超一流の人ってご多分に漏れず闘争心がすごい
負ける喧嘩はするなが我が家の家訓
目先のことに流されるのはラク。うろたえて悩むだけでも1日は終わる。でも行動を起こさなければ何も手に入らない
無駄な努力をしてください。100個見つけたら1個ぐらい手応えあるでしょう
よく芸は盗むものだと云うがあれは嘘だ。盗む方にもキャリアが必要
談志を喜ばす知恵を絞れない弟子は、それはやっぱり罪だ
(弟子を育てることについて)良いのが育てば自分のライバルを作ってるようなもの
(談志さんについて)弟子が自分に対して刺激となる芸や理論、そこまでいかなくても、せめて情報だけでもいいから発信してこないかと望んでいるフシすらある
博打の才能はいくら儲けたかではなく、いくら買えたかだと思っている
落語家である以上、落語ができなければお話にならない。当たり前の話だが落語ができれば、それで良しというものでもない
近頃の落語家を目指す若者の親なんていうのは信じられないような甘ちゃんで、子どもより先に親を修業させた方がいいんじゃないかと思う
本当は競輪選手になりたかった
(立川談志さんは)褒める時は褒める
(志らくさんについて)同じ談志の弟子で同世代、キャリアも同じくらいなら、いつかはきっと勝負する時が来る
悩み続けて何もしないまま人生を終えるより、『あれもダメだし、これもダメだったけれど色々やれたから、まあいいか』と思いながら死にたい
弟子の奥にいる親の顔も見えてくる
競艇選手になるという夢が叶わず行く道を閉ざされて、結構マジで落ち込んだ僕は高校で落研をつくり、人前で話す楽しみを覚えた
落語家になるにはどうしても弟子になるより手がない
談志は揺らぐ人だから試験の基準が毎回変わるんで、どうしていいか分かりません
覚悟を決めて云うなら、オレが見返してやりたいのは立川談志、オレより先に志らくを真打にした立川談志にけじめをとらなければ、オレはスタートラインに立つことも、そこから一歩も先に進むことはできない
落語家になった、談志の弟子になれたということで満足している奴らばかり
全部聞いて覚える
落語という芸能に対して、どう考えても己より立川談志の方が執念を持って努力している現実を、弟子たちが一番知っている