高木ブーの名言集
元気で長生きすること。それが、僕の使命だと思っています(89歳時の言葉)
高木ブー
(2022年の3回忌の際)僕は今でも「志村は死んでない」と思ってるけど、生きている志村が心の中にいることと、お墓の前に立って「ここに志村が眠ってるんだな」と感じることとは決して、矛盾しないと思ってる
ホッとしたって言うとヘンだけど、3回忌の前にメンバーで志村 (けん)のお墓参りができた
志村は死なない、ずっと生きてる (2020年志村けんさん逝去後の特番にて)
ボクシングクラブにも通い始めて、試合にも四回くらい出ました。喧嘩が強くなれば、いじめられなくなると思ったから
ウクレレを弾くことでクラスの人気者になって友達が増えました
弱気な性格だったので、よくいじめられていました
(いかりやさんは)適材適所に人を配置する力がある人
全員集合の面白かったところは生放送だったということ
いかりやさんには「ドリフターズのメンバーを見ていて、ゲラゲラ笑ってんじゃないよ」とよく怒られていました。僕としてはメンバーと一緒にいて、面白いから笑っているのだけれども「自分たちは笑わしている立場なのに、おまえはここにいない、外にいる、おまえの気持ちは客席にある」とよく言われました
ウクレレはハワイアンだけではなく、演歌、ポップス、ジャズにだって使えます
ドリフターズの音楽活動の中で書き落としてはいけない事は昭和41年(1966年)にビートルズが来日した時に、前座を務めたこと
志村さんは、ああ見えて、実は神経質なところのある人
いかりやさんは面倒見が良かった
全員集合は美術に予算が非常にかかる番組だった
(ウクレレを始めたきっかけ)15歳の誕生日に兄貴がウクレレをプレゼントさてくれたことがきっかけ
全員集合の由来は、かつてジャズ喫茶で演奏した頃に遡ります。この頃やっていた音楽コントで、わざと外れた音を出して「なんかおかしいな、全員集合!」と、いかりやさんが言ってみんなを集め、音を確かめるというものがありました。それを「8時だョ!全員集合」に使ったわけです
全員集合は衣装替えの多い番組でした。一回の放送分で五回くらい着替えてました
ドリフの唯一のインテリは仲本さん
ジェリー藤尾さんが作ったポップコーンズというロックバンドを経て、ドリフターズに入りました
加藤は若いスタッフの面倒見も良かったし、いかりやさん以外で唯一コントのことが分かっていました
僕の好きな言葉は「和」です
仲本は、ドリフの中で「真面目役」をきっちり務めてた。眼鏡だって役作りで付けてたし、そういう真面目なキャラクターが似合うことを自分で分かってたんだよね
(全員集合について)土曜日は本番の日ですが、立ち稽古を前日の金曜日にやっていました
個性の違う人間が5人いると、ありとあらゆる絡み方ができ、様々なギャグができます
(全員集合について)あんなめんぐさい番組をよく作ったと思います
ドリフの笑いは加藤と志村が引っ張ってきたわけだけど、志村はどっちかっていうと努力型だった
加藤や志村にしたって、喋りが上手いわけじゃない。そういうグループを動きだけで、あそこまでもっ ていったのは、長さんの力
僕は途中から加入したメンバーで、ドリフとはジャズ喫茶で知り合いました
(ドリフを辞めたいって思ったことはある) ないです
加藤は、ひと言でいうと天才的なコメディアン
僕は6人兄弟の1番下
(実際あったハプニング)昭和59年6月、「8時だョ!」と言ったら電気が消えて10分後につきました。あまりにもタイミングが良過ぎたので、僕は誰かがわざとしたんじゃないかと思っています
中央大学に進んでからは、軽音楽研究会で音楽三昧の生活でした
僕らは全部、体を張ってやってきたからさ。どんな転び方したらいいのかって考えたり
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