芸能界の名言集
子どもの時から喋ることが好きで落語をやりたかった
立川談志
人間には異次元の感情があるんだ。それを常識、非常識と割り振って誤魔化して生きている。そこで出てくる矛盾を、昔は落語を聴いたりしてたんだね
人生は何が幸いするか分からない
不幸だ不幸だと愚痴るだけの生真面目さというのは、視野が狭い
酒は人間をダメにするものじゃなくて、酒は「人間というものは元々ダメなもんだ」と教えてるんだよ
逃げもする、反撃もする、反則もする。でも防弾チョッキは着ない。なぜなら格好悪いから
(オレは)落語家に帰属しているんじゃないんだね。オレは落語じゃなくて立川談志に帰属しているんだ。だからこれは大変
落語家を分類したら、オレはやっぱり志ん生師匠の部に入りますね
物事や世間に対して、常に客観的な評価を持っている人を爛熟と言う。客観的な評価を持たない奴を退廃と言うのだ。矛盾するようだが、この「客観的な評価」の根拠が私の言う情念である
今のオレの落語はイリュージョン
どうやって笑わすかと笑いの大きさを求めていけば、当然過敏になろう
落語家というのは着物という重宝な、ちょっと人目を引く衣装があるから外からは、それらしく見えてしまう
人間ってのは不完全な生き物だから、どこかでまとめなきゃいけないと思ってしまう
落語ってのは己の持ってる色々な部分を役に投影した自分そのもの、分身みたいなもの
程度こそ違え、自分のレベルや力量を知らない人間が多すぎるんじゃないか
仕事をするっていうのは社会と繋がること
(志の輔さんへの言葉)テレビやラジオに出る為に弟子を育てたんじよないんだ。落語をやれ落語を
私の落語だって自分のアイデアを次々に試し、笑いのセンスをぶつけている。努力してるんじゃなくてやらずにいられないの
テレビを観る人はどこかで非常識を求めている
テレビというのは落語家が少しでも非常に傾くと受け入れないメディアですから、基本的に私にはお呼びはかからない
文学は分かりやすくなきゃダメ
寄席に通ううちに「毎日ここで暮らしたい」と思いました
とりあえず「乱暴」と「怠惰」で生きてみようと思っているんです。そんなこともあってサインには「狂気と冒険」と書く。これが信条だからだ
落語というのは、最初は作家の趣味の会のようなものから始まったと思う
オレの落語を継承しない奴はダメだ
落語もね、体力が全てなんですよ。知性なんて嘘です
落語を一つか二つしか話せなくても、あとは大衆受けする趣味の一つもネタにすれば、ずっとテレビに出られたりする。そういう連中が大勢いま すよ
これからの芸人はプレイングマネージャーでいなきゃダメなんだ。どう世間に自分を理解して客観視もして、どう世間に自分をアピールして客を楽しませていくか、要は芸術と商売とのバランスだ
(志の輔さんに)覚える気になりゃ、二年で五十席ぐらい覚えられるだろう(笑)
私が落語家として育って今日までの四十四年間においても笑わせないことを上品とする落語家は、「笑わせる」落語家に追いやられてしまった感がある
オレの芝浜を観に来るんじゃない、オレを観に来るんだ
(書き残されていた遺稿の一部)誰かが昔言った。談志さんは何も言わなくていいのですよ、高座に座っていてくれればネ。昔、俺も同じことを志ん生に言ったのだ。勿論本気で言ったのだが。てめぇがそうなるとはつゆ思わなかった
天才とはレオナルド・ダ・ヴィンチと手塚治虫のことをいう
(自身の持論)お笑いに才能は絶対、必要だ
(晩年、テレビで語った言葉)死ぬつもりでいたからね。(でも)自殺ができないってことになって...。本当の話だもん
師弟とは価値観の共有である