立川談志の名言集
落語を上手くやるってのは訳ないんだ、いかに下手にやるかが大変なんだ
立川談志
(師匠である柳家小さんのお葬式に出なかった理由)小さんは心の中に生きている
我が立川流は自己申告制です。真打になりたい と志らくが云ってきたので認めただけのことです。なりたい奴はなればいい。アタシの基準を満たせば、いつでも真打にしてやる
前座とは落語家になる為の修業中の身であって商品ではない
こいつが毎年ここで1万人を集める落語をやっているっていうから嘘だろうと思って来たら、まあ、これなら客も来るわな※立川志の輔さんの落語を観に来た時の言葉
現代においては命をかけて名誉を守るという精神は自明のことではなくなっている
人間なんて嘘という名の虚の中で生活している
矛盾に耐えることが修行
私は自分の事を二流だと思ってるんです。二流の定義っていうのは、物事を論理的に考えて、自己を外せない人間
落語とは人間の業の肯定である
自分は立川談志という心意気だけは持っていたい
嫌なこともやらされるのが人生の修行
千人の客に嫌われてもいいから、この一人の客に認められればいいんだ
立川流を作ったとき、もちろん形式的には形はない。だけど内容的にはあるだろうと本質を見極めようよ、落語に、または世の中に対してとね
子どもの時から喋ることが好きで落語をやりたかった
人間には異次元の感情があるんだ。それを常識、非常識と割り振って誤魔化して生きている。そこで出てくる矛盾を、昔は落語を聴いたりしてたんだね
人生は何が幸いするか分からない
不幸だ不幸だと愚痴るだけの生真面目さというのは、視野が狭い
酒は人間をダメにするものじゃなくて、酒は「人間というものは元々ダメなもんだ」と教えてるんだよ
逃げもする、反撃もする、反則もする。でも防弾チョッキは着ない。なぜなら格好悪いから
(オレは)落語家に帰属しているんじゃない んだね。オレは落語じゃなくて立川談志に帰属しているんだ。だからこれは大変
落語家を分類したら、オレはやっぱり志ん生師匠の部に入りますね
物事や世間に対して、常に客観的な評価を持っている人を爛熟と言う。客観的な評価を持たない奴を退廃と言うのだ。矛盾するようだが、この「客観的な評価」の根拠が私の言う情念である
今のオレの落語はイリュージョン
どうやって笑わすかと笑いの大きさを求めていけば、当然過敏になろう
落語家というのは着物という重宝な、ちょっと人目を引く衣装があるから外からは、それらしく見えてしまう
人間ってのは不完全な生き物だから、どこかでまとめなきゃいけないと思ってしまう
落語ってのは己の持ってる色々な部分を役に投影した自分そのもの、分身みたいなもの
程度こそ違え、自分のレベルや力量を知らない人間が多すぎるんじゃないか
仕事をするっていうのは社会と繋がること
(志の輔さんへの言葉)テレビやラジオに出る為に弟子を育てたんじよないんだ。落語をやれ落語を
私の落語だって自分のアイデアを次々に試し、笑いのセンスをぶつけている。努力してるんじゃなくてやらずにいられないの
テレビを観る人はどこかで非常識を求めている
テレビというのは落語家が少しでも非常に傾くと受け入れないメディアですから、基本的に私にはお呼びはかからない
文学は分かりやすくなきゃダメ
寄席に通ううちに「毎日ここで暮らしたい」と思いました
とりあえず「乱暴」と「怠惰」で生きてみようと思っているんです。そんなこともあってサインには「狂気と冒険」と書く。これが信条だからだ
立川談 志
落語というのは、最初は作家の趣味の会のようなものから始まったと思う
オレの落語を継承しない奴はダメだ
落語もね、体力が全てなんですよ。知性なんて嘘です
落語を一つか二つしか話せなくても、あとは大衆受けする趣味の一つもネタにすれば、ずっとテレビに出られたりする。そういう連中が大勢いますよ
これからの芸人はプレイングマネージャーでいなきゃダメなんだ。どう世間に自分を理解して客観視もして、どう世間に自分をアピールして客を楽しませていくか、要は芸術と商売とのバランスだ
(志の輔さんに)覚える気になりゃ、二年で五十席ぐらい覚えられるだろう(笑)
私が落語家として育って今日までの四十四年間においても笑わせないことを上品とする落語家は、「笑わせる」落語家に追いやられてしまった感がある
オレの芝浜を観に来るんじゃない、オレを観に来るんだ
(書き残されていた遺稿の一部)誰かが昔言った。談志さんは何も言わなくていいのですよ、高座に座っていてくれればネ。昔、俺も同じことを志ん生に言ったのだ。勿論本気で言ったのだが。てめぇがそうなるとはつゆ思わなかった
天才とはレオナルド・ダ・ヴィンチと手塚治虫のことをいう
(自身の持論)お笑いに才能は絶対、必要だ
(晩年、テレビで語った言葉)死ぬつもりでいたからね。(でも)自殺ができないってことになって...。本当の話だもん
師弟とは価値観の共有である
江戸の風が吹くものを落語という
己に自信の無い奴が常識に従う。不安を持つから動き出す。人生なんて食って、寝て、やって、終わり
(「未来とは何か?」について)修正できると思っている過去
落語はイリュージョンである
型ができてない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。どうだ、わかるか? 難しすぎるか。結論を云えば型をつくるには稽古しかないんだ
一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する
(爆笑問題の太田光に言った言葉)田中というのは日本の安定です。だから日本の安定の田中を切るんじゃない
(談志師匠が弟子たちにだした大量の用事のひとつ)家の塀を偉そうな顔して猫が通りやがる。不愉快だ、空気銃で撃て。ただし殺すな。重傷でいい
クソを喰らって西へ飛べ
結婚とは永久売春契約である
(弟子全員に入門前に語っていた言葉)修業とは矛盾に耐えることだ
馬鹿とは状況判断のできない奴のことをいう
煙草をやめるなんてのは、意志の弱い奴がすることです
(学問とは何かについて)貧乏人の暇つぶし
(がんを公表した「ひとり会」の高座での言葉)おれが死んだら、喜ぶやつがいっぱいいる
人間は自分を安心させるためにいろんなところに帰属するし、他人を見る時どこかに帰属させることで安心します
死とは個の消えることへの恐怖
なにしろ老いの初心者だから
小言というのは、己の『不快感の瞬間的発散』であって、『教育』とは違う
快適さを精神において追求するのが文化で、物質に頼って求めるのが文明である
努力して良くなるなら、世の中みんな良くなってるはずですよ
落語は人間の小ささを大切にする。始末の悪さ、愚かさをそのまま語る。こういう人間の業(ごう)を肯定してしまうところに、落語の物凄さがある
何もわからないんだから。3年先輩の横山ノックのとこに相談に行った。『夜も寝ないで勉強した』と言ってたね。(ノック氏は)勉強したことはしたけど、わかったか、わかってなかったは知らないよ
上品=欲望にたいして動作がスローモーな奴
人間関係は良い誤解か、悪い誤解
落語は忠臣蔵の(討入りした)四十七士じゃなく、逃げちゃった残りの赤穂藩士二百五十三人が、どう生きるかを描くもんだ
賢い奴は何も言わなくても解ってる。馬鹿は言っても解らない
己に自信の無い奴が常識に従う
天狗になるくらいでなきゃあ駄目じゃないかと思ったね。青臭いかもしれないけど、天狗になってるときの芸は威勢がいいんですよ
鳥もちとへ理屈は、どこにでもひっつく
イイ奴とは自分に都合のいい奴である
(1971年、参院選で最後の議席で初当選した時の言葉)勝負はこうでなくちゃ面白くねえ。長かったなあ。さあこい、これからが男のスタートだ
文化レベルの低い所ほどこういう立派な会館建てるんだよな
よく「芸を盗む」とかいうが、あれは嘘だ。盗む方にもキャリアが必要だ。時間がかかるんだ。教える方に論理力がないから、そういういいかげんなことを言うんだ
酒は人間を悪くするものではなく、人間がいかにダメなものかを教えてくれるものである
勝手に生きよう
人間という不完全な生物が生まれ、知恵を持っていたから火をおこし、雨風を防ぎ、絶滅せずにきた。そのうち好奇心が芽生え、いい好奇心を文明と呼び、悪い好奇心を犯罪と呼んだ。いいも悪いもそれが人間の業じゃねえか、しょうがねえじゃないと肯定してくれる非常識な空間が悪所といわれる寄席であった
「怒りとは共同価値観の崩壊」 怒りは、相手の寛容さに対する誤認
癌は未練の整理にいい
このまま行くと落語が能や狂言と同じ道を辿るのは確かなようである
幸運な人生の人には敗者、弱者の心情はわからない
考え抜いてやることを悪知というんだ...そして感じたものをそのまま実行するのを英知という
死刑廃止論者から殺せ