芸能界の名言集
父親は子供が最初に出会う、人生の邪魔者でいいのだ。子供に嫌われることを、父親は恐れちゃいけない
ビートたけし
タイミングは自分で作るんだよな
自分はまだ未熟だと言い訳にしてる奴が多いが、君達は完璧な人を見たことあるのか?俺はここまでの人生で、まだ出会って無いし、これからも出会わ無いだろうよ
夢は、夢。目標とは違うんだけど、勘違いしてる奴が 「夢をもっていきなきゃ」なんてごちゃごちゃにしている
思う通りにやっ て駄目だったら それだけのことって納得できるけど、 他人の言うことを聞いて駄目だったらどうにもならないよ
「人生はカネと女」ってはっきり言ってしまおう。そうやって欲望に正直に生きれば、日本人の顔も少しは活力ある顔に戻るんじゃないかな
何も無くていいんだ。人は生まれて、生きて、死ぬ、 これだけでたいしたもんだ
本当の感動は、やった奴しか分からない
鳥のように自由に空を飛びたいというのは勝手だけど、鳥が飛ぶ為に何万回翼を動かしているかよく見てごらん
年齢は関係なくて、無茶を出来るスピリッツを持っているかが問題
将来はさ、将来はみんな不安なんだよ。でもそれをあえて出さないほうが、 男としては、かっこいいと思わない?
テロでは、5000人が死んだわけだけど、それを数だけで語ることは怖いこと
一生懸命アイディアをひねって、白い目で見られよう
自分を客観的に眺めて、生きていることを演出するとしたら、一番の理想は、いい映画を撮れたときに死ぬことだ。しかし、映画っていうものは完成した瞬間に、気に入らないところが次々に見えてくる。自分の映画に、満足することはない。満足するようじゃ映画監督なんて続けられない
俺はまだ、何かに喧嘩を売っている
オレはまだまだ変わっていくよ。ドキドキしたいからね、自分に
スポーツ新聞に「たけし、再起不能か?」なんて書かれた、あの原付バイクの事故からもう12年の歳月が過ぎている。あの事故を境にして、生きていることに、あまり興味がなくなった。あの事故でわかったことは、運命なんてものは、自分でどうにか動かせるものじゃないということ。どんな運命が待っていようと、それをそのまま受け入れるしかない
金より芸が欲しい、権力より感性が欲しい
おそらく脳には、節電モードみたいなものがついていて、ちょっと慣れてくると、すぐに楽をしようとする。絵でいうなら、描き慣れるということがある。たとえば、ゴリラの絵を描くとする。初めてだから上手く描けないんだけど、絵とし ては悪くない。ところが、調子に乗って同じゴリラの絵を何枚も描いていると、だんだん手が慣れてきて、すらすら描けるようになる。そうなると、絵としてはつまらない。描き慣れた絵は、見てもあんまり感動しない
世代が違うと話が合わないなんて言うのは間違い。話が合わないんじゃなくて、話を引き出せない自分がバカなのだ
俺は怒ったり、命令したりはしない。まずスタッフに聞く。「こういうふうに撮りたいんだけど駄目かな?」「このシーンはどうやって撮ればいい?」最終的には自分のやりたいようにやっているのだが、もしかしたらもっといい意見が出るかもしれないから、まず聞くんだ
友情というのはこっちから向こうへ一方的に与えられるもので、向こうから得られる何かではない。友情とは自分の相手に対する気持ちだ
クジラの保護を叫ぶんだったらまず動物園の動物の開放が先だろ
若いのが作法を学ばないのは、手本になる大人がいないからだ。少なくとも男にとっての作法は、ある種の憧れだったり、「あのときのあの人は格好良かったな」という記憶だ
俺ほどマザコンいないんじゃないかな、さみしくなるよなぁ
人生に幸せなんて求めること自体勘違いなんだよ
30過ぎて親を許せないやつはバカだ
最後まで押し通せなかったらやさしさではない。途中でくじけるなら悪人になればいい。優しさは根性です
夢を持て目的を持て、やれば出来る。こんな言葉に騙されるな
数学は哲学です。すべての事象・物事はすべて数字で説明できます。生きるもの全ては数字に支配されている
どうせ死ぬんだから、せめて生きている間は楽をしよう、という考えは僕の場合逆でさ、どうせ死ぬとき楽になるんだから生きている間はとことん辛く生きよう、というのが僕の考え
芸人の実力が人気に追いついてきて『いい芸してるね』『技術があるね』なんて批評されはじめた頃には、もうブームは終わりに向かってるってことなんだよな
(アウトレイジについて)人間はあまりに痛かったり暴力的過ぎると、つい笑ってしまうことがある。笑わせる気は全然ないのですが、極限状態で笑うしかないという部分のある映画
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ
よく「被災地にも笑いを」なんて言うヤツがいるけれど、今まさに苦しみの渦中にある人を笑いで励まそうなんてのは、戯れ言でしかない。しっかりメシが食えて、安らかに眠れる場所があって、人間は初めて心から笑えるんだ。悲しいけど、目の前に死がチラついてる時には、芸術や演芸なんてのはどうだっていいんだよ
生きる事に理由をつけるのは構わない。あそこの蕎麦が食いたいとか、来週のドラマの続きを見たいとか でも、死ぬことに理由をつけちゃいけねぇんだ
人間のやることは不思議で、不条理なのだ。俺だって、アフリカで何万人もの人が飢え死にしているっていうのに、映画なんか撮っている
(つまみ枝豆さん数百万の札束が入った紙袋を渡して)そのベンツ買えよ。本当にその車乗りたいなら今買わなきゃダメだよ。返せるときに返してくれればいいから
俺、海で泳いだことないんだよね。だってほらコースもゴールもないでしょ
ダンカンバカ野郎
世界には何十億と女がいる。一人にフラれただけじゃないか
勉強するから、何をしたいか分かる。勉強しないから、何をしたいか分からない
10代から仕事をしてきて、本当に「立ち止まる」「手を休める」ということがまずなかった
宮沢りえ(女優)
愛する存在がいてくれることはエネルギーの源のような気がします
役を演じるというより、役を生きる
こんな風に仕事を続けてこられたのは、出会いの運がすごくあるからだと思います
自分が好きになった脚本に対して、誠実に向き合う
(セリフの)行間で自分が何を感じるか
(母親について)「表現者・宮沢りえ」には未来を見据えた課題を与えてくれたし、「娘・宮沢りえ」には、ごく一般的な常識に基づいてアドバイスをくれました
演じた役は自分の人生の一つなんだって思うようになりました
私たちが過 ごしている日常は、当たり前のものじゃなくて、奇跡の瞬間の重なりなんだろうなって感じるんです
なんだか、常に劣等感があるんですよ
撮りたいものがはっきりしていることが、演じる上で何よりの原動力になります
太陽と月のモチーフは好きですね。よく自分でも買います
役作りをどうしてるんですか?って言われるのが一番困るんで…
(生活感が見えないことについて)特別なことなんて何にもないですよ
(女優は)大変だからねぇ…
わたしは、まだまだ、新しい引き出しを探すために苦悩する時間に
持っている言葉の中で、どれだけ自分が思っていることに近づける言葉を見つけられるかというのは、けっこう考えています
優しいお母さんでいることは大切だけど、お母さんが頑張っている姿を見せるってことも、すごく大切だと思う
演じているときは、現実の世界に生きている時よりも深く呼吸ができる
基本的に、立ち直りが早いというのかな……その苦い芯っていうのは、ポジティブなのかもしれないで