芸能界の名言集
俺はね、一対一だと結構イイのよ。ただね、公になるとヤバイの
ザキヤマ
嫌なことがあっても寝れば忘れる。寝る前に解決策が思い浮かなければ、それで考えるのは終わり
だ~いじょうぶ、大丈夫。考えてもムダ、ムダ
遅刻したときは金縛りの一点張り
人に対しても、自分に対しても、言い訳していこう
言い訳こそ人生
見たと思えば見たことになる。だから公開前の映画でも、夢で見たことにしてる
オチを忘れちゃったあの瞬間、もう何の欲も、何もないよね。もう、笑いが欲しいとか無いの。僧侶だよ、無我の境地
スベってチャラ、ウケてラッキー
仕事で嫌なことがあったら、“これは後で話のネタにできるな”と考えるようにしてる
頭を下げるのなんて、なんとも思わないからね
格好いい人には、尻尾振っちゃうよね…おこぼれもらえるんじゃないかと思って…明るい負け犬だよね
プロフェッショナルを求めて、これからもまた歩いて行く
吉永小百合
すごく不器用だから、一つの役をやると、パッと次に移ることができない
今日を生きる。今日を精一杯生きれば明日につながる
疲れたっていうのは絶対言わないようにしてる
自分でどこまでやれるか分からない
(74 歳時のインタビュー)素人とプロの狭間にいるかもしれない
(33歳の時に出演した『動乱』という作品で高倉健さんと共演した際)高倉さんの受けの芝居、それを受け止めて、私がまた喋って、そういうキャッチボールをやっていて震えるような感動があった
(1973年、母の反対を押し切っての結婚について)名前が変わらないとダメなんだということを強く思ってたので、名前が変わるってことは人間に戻るっていうことなのかもしれない。そんな気がして、それで強行
(20代の頃に急に声が出なくなったことについて)過労とストレス、ストレスの方が大きかったかもしれないですけど、ホント辛くて、毎日泣いているような、そういう生活でしたね。強い自殺願望とかじゃないんですけど、そういうことを思ったこともあって…
(10代の頃の日記)私は生きている限り、演技している。生のままの自分などというものは、とうの昔にどこかに葬られてしまったのだ
色々な役をやってその中で学べるというのが、一番私の仕事のいいところ
体験していないことを伝える、私の職業というのは常にそういうことをしている
(自分自身でメイクを行ってきたが、メイクを人にやってもらうことにしたことについて)自分でやってると、やっぱり吉永でしかないようなメイクアップの仕方をしてる。全く自分ではつけるはずがないような口紅の色をつけていただいて、やっぱりそういう事って必要
映画というもので、人の心を熱くしたり感動させたりしたい
今までコンタクトをとってない新しい監督さんとかスタッフとやって、その中で自分が何ができるかって、ある意味トライというか挑戦
映画が好きだから映画の現場にいたい
演じる人を好きになれないと演じられない
自分には子どもがいないので、映画が子供のようなもの
映画には国境が無い
(出演作を選ぶ時の決め手は何?)その役を好きになれるかどうか
どこかで自分は、いつ幕を引くかっていうことも考えてる
(仕事への意欲が落ちないのかなぜ?)楽しいからです。映画が好きだからというのが一番の理由
あまり自分の昔の作品を観たりはしません
努力しないとついていけない
満足したら、次の日からお休みですよ。そこで終わっちゃう
(待ち時間に椅子に座らないことについて)立ってる方がリズムが取れるっていうか、座るとなんか、そこで(気持ちが)切れちゃう
自分に正直に生きたい
私はプロじゃないから
あんまり褒めるといい気になると思ってる自分のことね、のぼせたら終わる
演じているけど演じてないように見えるのが、やっぱり最高なんですかね…
こうしよう、ああしようっていうと、作った感じになっちゃう
もう少し成長したい
色んな事に感動することとか新しいものに出会った時に、あっというような喜びを持つこ ととか、そういうことに関しては素人でありたいと思うんですけど、仕事の現場ではプロフェッショナルになりたい
(自身をアマチュアと評する理由は?)不器用で一つずつ役を作っていくしかできなくて、最後、終わった頃に、そうだったんだなぁって気づく、その連続で
私は自分のお芝居や役柄をガチっと固めて演じるのでなく、1シーンずつやりながら、わかってくるところがある
私はその人のルーツというか、その人がどこで生まれて、どうやって育ったのかっていうのを知らないと、なんか自分の栄養にならない
映画は麻薬かもしれない。自分を酔わせてくれるもの
今なら自信を持ってこう言えます。今日までね人生、上出来でございました。これにて、おいとま致します
樹木希林
(肉体を)借りていたものをお返しするんだと考えると、すごく楽
見本になるのも一つの生き方
言葉ってものは、傷つけもするし、幸せにもする単純な文法です
(手相を鑑定した。人生の中で困難を乗り越えてきた人にできる“障害線”が沢山あると言われて)それを障害と見るか、自分が乗り越えて人間として豊かになると見るか...ですよね
内田裕也の全てが、好きです。全てが
もし生まれ変わったら、内田とはもう逢いたくない。もし次逢ったら、また好きになってしまってまた大変な人生を送ってしまうから
期待されないっていうのが一番いいものができ るの
内田がね、ここ最近、会うたびに「体調が悪い」ってうるさいの。でも私が「それは辛いわねぇ、分かるわよ、私なんか全身がんだもの」って言うと、ピタっと黙る
死ぬまでの間に、残したくない気持ちを整理しておく
人として生まれたからには善も悪も欲も全部ひっくるめて、ちょっと削ぎ落としたところで着地したい
(やり残した事は?)私は別にないわよって。でも、じゃああると言えば果てしなくあるんですよ
私は20代の頃、人生に飽きちゃった事がありました
60歳を過ぎたら60歳を過ぎたなりの、何かいい意味での人間の美しさっていうのがあるような気がする
「もっと、もっと」という気持ちをなくす
宗教とは関係なく、これからの世の中は目に見えるものしか信じないか、目に見えないものを受け入れるかで、随分歩いていく道が違ってくると思う
子どもの時に他人と比較する無意味さを知った
私なんて、家族でいる時が一番緊張するんだから
無傷だったら人間として生まれてくる意味がない
覚悟っていうのをすると気楽ですよ
私は何でも面白がれるの
やっぱり世の家族が崩壊しないのは女の粘り強さですよ
若い事に私は非日常だったけれども、今は死ぬ側にいるということを嘘っぽくなく思える
あの夫(内田裕也さん)でなければこの人生、面白がれなかった
病気をすると分かるんですよ、人生ってそんなに長くないんだなぁって
やり残したことなんて死んでみないと分からない
誰かに添って生きるって人間が成熟していく為に必要な事だと思うの
彼(内田裕也さん)と一緒にいると自分 は意外とまともなんじゃないかと楽な気持ちになれた
人間の裏側を見ちゃう、そういうところが人と和を保っていけないところ
モノを作るっていうのは、モノを壊して作っていくことなのね
(乳がんになってから)月に一度くらい一緒にご飯を食べに行ったりして、「離婚しなくて良かったなぁ」と言ってもらえましたし※内田裕也さんとの会話
自分にとって不都合なもの、邪魔になるものを全て悪としてしまったら病気を悪と決めつけるのと同じで、そこに何も生まれてこなくなる
(主人は)なかなか出会える人ではありません。向こうも、これだけ、へこたれない女はいないっあ。お互いに中毒なんです
人生が全て必然のように、私のガンも全く必然だと思います
私は弱い人間だから自分で命を絶つ事だけはやめようと生きてきた
(年齢を重ねると)終わりが見えてくるという安心感があります
不幸な思いをしちゃった時に反省して自分が憂鬱になっちゃったらマズイ