小説家の名言集
全ての小説で、「みんな」ってのが嫌い
重松清
文章を教えるって正解がないから、人を惹きつける文章を書いて欲しい
すぐにわかる後悔は単なる失敗だから取り戻すことができる
人生って、やらなければよかったことより、やっておいて良かったことの方が多い
初志貫徹もいいけれど臨機応変!ある程度のぶれる余地、しなやかさを持つ方がきっとうまく行きます
未完成のまま決めた夢に決めつけられてしまうのももったいない
どこか夢中になって周りが見えなくなるような状態は必要
直すということは、言い換えれば自分の作品を客観的に見るということでもあります
昔話の二次創作は、もの作りの最初のハードルを下げるのにとてもいいと思う
同じ題材を元に色々なバージョンが作れる ようになったとしたら、それは僕もすごいと思う
やはり僕にとっては、十八歳の春、上京。ふるさとと別れる、親と別れるというのが、ずっとベースにあります
プロの作家はガイドラインの無いところからオリジナルを作っているわけです
僕がフィクションを作るのは、何かを肯定するため
人は自信を持った時ほどね、ろくなことはないって気がする
僕にとっての時の流れというのは、やさしいものです
人は罪悪感を持ちながらも、どこかで折り合いをつけながらやっていると思う
以前書いた『その日のまえに』の死生観だって、十年後には変わっていると思います
僕は昔、新人賞の選考委員をやっていて痛感したんだけど、若い子たちの小説には同世代ばかりが登場する
自分は正しいと決めつけている人は俺、嫌いなんだよ
僕たちはどこからきてどこにいくんだろう
年を重ねていくと視野が広がるから、小学生から老人まで色々な世代が書けるようになります
想いがなかったら、人は生きていけないだろうと思う
格差社会という言葉はみんなが知っているけれど、じゃあそれは一体どんな社会なのか。その正体が見えないと、豊かに生きることも、貧しく生きることも、考えることができないと思う
(本当の小説というのは)ガーンと圧倒させて、絶句させなきゃいけないものなのかもしれないけど、僕の小説はむしろ読む人を饒舌にさせてしまう
後悔というのは、人間にしかできないことかもしれない
忘れていくことも含めて生きることなんだろうな
みんな、不完全
死に軽重はないし貴賤もない
子どもの頃、色鉛筆は12色しかなかったけど、大人になって色の種類が増えた
一つの世界をずっと追いかけていくのもすごく大変なことだと思う
敵を倒さなくてもいいから、例えば、落ち込んでいる子供がいたら「大丈夫だよ」と言ってあげる大人の方がヒーローだよなと思ったりする
現実はしんどくても、それを乗り越えるときにお話の力を信じたいなという気持ちがある
毎日真面目にコツコツやってれば、いいとがあるんだよっていうのをどこかで言い続けていかないと
勤勉さと従順さって、今の価値観の中では決して褒められないしれない
未来だけ奪われたらもう、後ろ向き、ノスタルジアでいいわけです
子どもの頃、引っ越しばかりしていたからか、「故郷ってなんだろう」というテーマを一貫して持っている
死については、「忘れる」というのが大前提だと思っています
結構多くの小説が、僕が子供時代に感じていた「勉強ってなんのためにするんだろう」とかがベースになってる
物を作る人は皆、自分のフィールドや土俵を持っていると思います
すごく転校が多かった
先生になりたかった(教員免許を持っているとのこと)
生きることは、忘れながら前に進んでいくことでもあると思っています
人々は実際には不自由が好きなんだ
村上春樹
死んだ人はずっと死んだまんまだけど、私たちはこれからも生きていかなきゃならないんだもの
秘密というのはそれを知っている人間が少ないからこそ秘密なのだ
僕は現実でもある日誰かが消えてもおかしくないと思って生きている。人というのは日常的に失われていくものだととらえているんです。猫を飼っているとわかるけど、動物というのはいついなくなっちゃうかわからない。そういうことって決して特殊なことではない
どんな言語で説明するのも難し過ぎるというものごとが、私達の人生にはあります
あの子を助けたいと思うんじゃなくて、あの子を回復させることによって自分も回復したいと望むのよ
日本の文壇システムからは、ほとんど黙殺されたような状態になっていました。多くの読者は僕の小説を熱心に受け入れて、本を出せばそれを買ってくれました。でも文芸 世界では僕はほとんど評価されなかったし、好かれもしなかった。攻撃を受けることも頻繁にありました
想像というのは鳥のように自由で、海のように広いものだ。誰にもそれをとめることはできない
誰も助けてはくれない。少なくともこれまでは誰も助けてはくれなかった。だから自分の力でやっていくしかなかった。そのためには強くなることが必要です。はぐれたカラスと同じです。だから僕は自分にカフカという名前をつけた。カフカというのはチェコ語でカラスのことです
本当に深く心が傷ついたときには、言葉なんて出てこないものだよ
おいキズキ、と僕は思った。お前とちがって俺は生きると決めたし、それも俺なりにきちんと生きると決めたんだ。お前だってきっと辛かっただろうけど、俺だって辛いんだ。本当だよ。これというのもお前が直子を残して死んじゃったせいなんだぜ。でも俺は彼女を絶対に見捨てないよ
汚れてもいい古い靴がひとつあると、何かのときにけっこう便利なものですよ
本当の自分というものがなくては、人はそもそも生きていくことはできないんだよ。それは地面と同じなんだ。地面がなかったら、そこに何かを作るということはできないんだよ
百のうち九十までは、自分では実際に体験したことのないことです。僕自身の実際の人生は、かなり退屈で、物静かなものです。しかし、どのようなささやかな、日常的なことからでも、大きな、深いドラマを引き出していくのは、作家の仕事であると思います
世の中には絶対ってことはないんだから
自分がやりたいことをやるのではなく、やるべきことをやるのが紳士だ
しかし歩かない。僕はなにも歩くためにこのレースに参加したんじゃない。走るために参加したのだ。そのために――そのためだけに飛行機に乗ってわざわざ日本の北端にまでやってきたのだ。どんなに走るスピードが落ちたとしても、歩くわけには行かない。それがルールだ
科学とは科学そのもののために存在するべきだと私は確信しておるのです
本当に本を大事にする人は、携帯電話で読める時代になったとしても、ちゃんと書物を買って読み続けていると思う。世間の大多数の人々は、そのときの一番便利なメディアに流れていくかもしれないけれど、どんな時代にもそうじゃない人が確実にいます
『グレート・ギャツビイ』を三回読む男なら俺と友だちになれそうだな
文章という不完全な容器に盛ることができるのは不完全な記憶や不完全な想いでしかない
親切さと心とはまた別のものだ。親切さというのは独立した機能だ。もっと正確に言えば表層的な習慣であって、心とは違う。心というのはもっと深く、もっと強いものだ。そしてもっと矛盾したものだ
どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ
洋服や装身具というのは、その人の内側にあるものを隠すものではなく、むしろ引き立たせるためのものだと考えています
誰にも進化を選り好みすることはできん。それは洪水と か雪崩とか地震とかに類することです。やってくるまではわからんし、やってきてからでは抗いようがない
経験そのものがひとつの意味です。その経験の連鎖を通して主人公は変化します。それがいちばん重要なことです。彼が見つけたものにではなく、彼が見つけなったものにでもなく、彼がくぐり抜けてきた変化にこそ意味があるのです
休暇と友だちは、人生においてもっとも素晴らしい二つのものだ
たぶんいろんな感情をもっともっと外に出した方がいいんだと思うね、君も僕も。だからもし誰かにそういう感情をぶっつけたいんなら、僕にぶっつければいい。そうすればもっとお互いを理解できる
人間は誰でも何かひとつくらいは一流になれる素質があるの。それをうまく引き出すことができないだけの話。引き出し方のわからない人間が寄ってたかってそれをつぶしてしまうから、多くの人々は一流になれないのよ。そしてそのまま擦り減ってしまうの
人生は考え抜くものじゃなく生きるものなのよ
宗教団体は接近するのがもっともむずかしい相手のひとつです
僕は性別からいえば間違いなく女だけど、乳房もほとんど大きくならないし、生理だって一度もない。でもおちんちんもないし、睾丸もないし、髭も生えない。さっぱりしているといえば、とてもさっぱりしている。それがどういう感じのものか、たぶん君には理解できないだろうけど
我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ
僕はずっと小説を書いているけれど、ものを書く上でも、そういう感情の記憶ってすごく大事だ。たとえ年をとっても、そういうみずみずしい原風景を心の中に残している人は、体内の暖炉に火を保っているのと同じで、それほど寒々しくは老け込まないものだ
現在、小説はむずかしい時期を迎えているとよく言われます。人は小説を読まなくなったということが世間の通説になっています。しかし僕はそのようには思いません。我々にできることは、我々しかできないことは、まだまわりにたくさんあるはずです。僕はそう信じています
日常に飲み込まれて、どれが傷なのかわからなくなっちゃうんだ。でもそれはそこにある。傷というのはそういうものなんだ。これといって取り出して見せることのできるものじゃないし、見せることのできるものは、そんなの大した傷じゃない
優れた音楽家は意識を音に置きかえることができるし、画家は色や形に置きかえる。そして小説家はストーリーに置きかえます
誰かのことを知ろうと長い時間をかけて真剣に努力を重ねて、その結果我々はその相手の本質にどの程度まで近づくこと ができるのだろうか。我々は我々がよく知っていると思い込んでいる相手について、本当に何か大事なことを知っているのだろうか
僕はむしろ文学というものを、他のものでは代替不可能な、とくべつなメディア・ツールとして、積極的に使って攻めていきたいというふうに考えるんです。だって文学っていうのは最古のメディアのひとつですからね
懲りるのは良いことだ。人は懲りると用心深くなる。用心深くなると怪我をしなくなる。良い樵というのは体にひとつだけ傷を持っているもんさ。それ以上でもなく、それ以下でもない。 ひとつだけさ
心というものはただそこにあるものなんだ。風と同じさ。君はその動きを感じるだけでいいんだ
僕たちはいつも、互いにすれ違っています。相互に理解しあうことはできますが、一般的に言って、距離は残る。交差し別れながら、前進を続け、出会いの素晴らしい記憶とともに生きつづけるんです
すばらしい本を読んだ時、誰かに伝えたいと思う。他者に語ることで感動をさらに確かなものにしようとする。そういう誰かと出会える場が、身近に一つでも多くあるような社会こそ、文化的に豊かだと言える気がする
人生なんてどう転んでもクソみたいなものなんだ
時々、泣くことができれば楽になれるんだろうなと思えるときもあった。でも何のために泣けばいいのかがわからなかった。誰のために泣けばいいのかがわからなかった。他人のために泣くには僕はあまりにも身勝手な人間にすぎたし、自分のために泣くにはもう年を取りすぎていた
差別されるのがどういうことなのか、どれくらい深く人を傷つけるのか、それは差別された人間にしかわからない
ただ、たんぽぽの花が咲くのに価値がなくても、あの花の無邪気な可愛らしさに変わりはありません。人の価値はないでしょうが、それはそれでむきになることもないでしょう
物事には然るべき時期というのがあります。潮の満干と同じことです。誰にもそれを変えることはできません。待つべき時にはただ待つしかないのです
よく育つものはゆっくり育つ
学校で僕らが学ぶもっとも重要なことは、「もっとも重要なことは学校では学べない」という真理である
警察ってとこは、来るときは車に乗っけてくれるんだが、帰りの足のことなんぞ気にもかけない
一番恐れなけりゃならんのは、これから先、移植手術が成功すればするほど、「俺の臓器は誰にもやりたくない」という者が白い目で見られる風潮ができあがっていくことだ
欠点の多い人間は同じような欠点の多い人間に対して同情的になりがちなものなのだ
相手が誰であっても、何であっても、話し合わないよりは話し合った方がいい
僕は絶滅危惧種の動物のようなんです。イリオモテヤマネコみたいな
一般論をいくら並べても人はどこにも行けない。俺は今とても個人的な話をしてるんだ
書くという仕事は毎日、10円玉を貯金箱に積み立てていくようなこと
2003年にサリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を新訳してから、06年には『グレート・ギャツビー』、07年には『ロング・グッドバイ』、08年には『ティファニーで朝食を』と古典の新訳を続けています。どれも、僕が10代に読んで好きだった本です。10代の読書というのは、すごく残るんですよね。それが、僕自身でも小説を書くときの滋養になってきました
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