タレントの名言集
夢を叶えた人は「どうしても諦められない理由」があった人
萩本欽一
僕は小さい時から色んな事で負けてきました
人を笑わせるのっていい気持ち
自分が言葉を磨いていれば、悲しんでいる人に力をあげられるかもしれない
僕のお葬式では誰がどんな事を言ってくれるのか。ともかく涙だけで終わる式ではなく、どこかにふっと笑いがある式であって欲しい
欠点というのは、その人の数少ない個性の一つなの
笑いって、ひょっとしたら作るものじゃなくて、その場で作られていくんじゃないか
中学に進んでも気弱な性格やあがり症はちっとも直りませんでした
夢って叶っちゃうとつまんない
人生で一回だけ「死んじゃおう」って思った事がありました。コント55号が急に売れた頃、週刊誌にデタラメな記事をいっぱい書かれてね
勉強ができるできないかなんて、その時の環境次第かもしれない
自分にできない事があったら、それより一歩下がったところから練習すればいい
人から嫌な言葉をもらっても恨まないで発奮材料にすればいいの
一生懸命やってれば、きっと誰かが影で見て、応援してくれてる
僕は夢を追っかけてる人生が好き
ダメな事は薄目で見てあげよう
気が滅入りそうになったら「運」のせいにしちゃえば楽になれる
「才能ない」「向いてない」って言われて土俵際に追い詰められても踏ん張る事が大事
人間の本質は困った時や失敗した時に見える
運はそんなに独り占めできるもんじゃない
正直に人生を送っていると向こうから正直な人がやってくる
思い通りにいかない道に、実は運が落ちてる
死にたいと思うことって、たいていの人は人生で一回ぐらいあると思う
負けた人の方が運は貯まる
困難を恐れると運も逃げちゃう
失敗は運の定期預金
人から好かれている人には、ちゃんと誰かが運を持ってきてくれます
(夢を)諦めちゃう人はそれでも生活できるからなの。ギリギリのところで夢を追っていないから「無理だな」と自分で判断すると「もういいか」と思っちゃう
悪い事ばかりが一生続く人生はありません。その代わり、いいことばかりも絶対に続かない
儲け話を持ちかけられたら「裏がある」と思って乗らない方が無難
小さい時から優れていると周りの大人はたいてい褒めるばっかりでしょ。でも誰かが礼儀とか作法を教えてあげたほうがいいの
人生の節目には必ず恩人に出会えた事も大きかった
仕事でいい運が来ている時は宝くじを買っても当たりません
40歳を過ぎてから、ふっと気付いたの。「自分には大人になる為の言葉が足りないや」って。それで40歳を過ぎてから予備校に通いました
期待されない子って褒められると、すごく嬉しいんだなって。いい子になろうと思って窮屈な思いをするより、期待されてないダメな子のほうが楽しい
才能って自分で決めることじゃない
辛い時って逃げたくなるけど、その気持ちを抑えて「この事を人生で一番楽しい思い出にするべきだな」って考えたほうがいい
気が弱かったり、いじめられた経験がある子のほうが人を見抜く力がつきます
苦手なものほどチャレンジしてみると「運」がついてくる
納得がいかなくても人に言われた事を素直に一生懸命やったほうがいい
夢って普通高いところに置くものだけど、あんまり高くて捕まえるのが不可能だったら途中で辛くなる
最高の相棒で、生涯のライバルだった(坂上)二郎さん、デッカイ運を持ってきてくれてありがとう
運の神様はちょっぴり気まぐれ
何かを決断する時は、これからの自分の生き方を見据えることが必要
人を怒ったり恨んだりしない人のほうが神様だって好き
辛い事があった人は必ず、その後に幸せなことがやってきます
大成功は危険な道にしかない
土俵際に立った時に「逃げない」っていうのが大事だ
コメディアンを目指したのは向き不向き関係なく「お金持ちになりたい」っていうのが大きな動機
家族って運のリレー
僕がテレビで人気者になったのは運
お金って使い方を間違えると人間を不幸にします
自分が大した努力もしていないのにお金をもらうのは気持ち悪い
僕はアドリブが得意と思われているけど、それも欠点から生まれたの。極端なあがり症だったから、決められたセリフがあると全然言えない。だからアドリブでその場をしのぐしかなかった
大事なのは逆転の発想。日本人って真面目だから一般論を大事にし過ぎ
努力してる人は、その努力に見合う運が必ず開けてますね
幸せになりたいと思うなら進んで損をしたほうがいいの。人と付き合う時は率先して損な役回りをすると、誰かが幸運を持ってきてくれます
運は塩の満ち引きに似てる
近くで誰かがいじめられていたら助けてあげると運が貯まります
僕は10代の頃から「運」の事を考えて生きてきました
たいていの事は努力すれば三年で達成できます
僕は自分の出ている番組を全く見ない
目には感情が丸見えになってる
今考えると向いてなかったのが良かったんだと思います。もし最初からうまくできて「俺はコメディアン に向いている」とか「司会だってできる」なんて思ってたら天狗になって成功しなかった気がする
人間の記憶って幸せだった時より「痛いっ」っていう思いの方を克明に残しておくんですから
大事なことの大半は、おっかさんから教わったなような気がします。いい母親の子どもとして生まれてくるって、それだけで幸せ
(人気者となって)デッカイ運が10年以上も続くなんて、僕の能力からすれば、完全に出来過ぎ
僕は初詣には行きません。どうしてかというと、僕には専属の運の神様がいるんです
僕は司会ってコメディアンにとって屈辱なわけね。人を立たせるという仕事だから
世の中はすぐに正解を作りたがる
夢には一直線に向かうな。回り道が大事なんだ
わざわざ可能性を自分で潰す必要はない
人生は死ぬまで修行
ダメな奴なりに、ダメじゃない人生を送ることは可能だと言いたい
運というのは、いつも後ろからやってくるんだよ
人生って全部が繋がっている
「どっちが得か?」みたいに目先のことばかり考えているとダメなんだよ。そこには未来なんてない
悪いことがあったら落ち込んで泣いて受け入れろ。人生とはそういうもんだ
人生は幸せと不幸せが50対50なんだよ
「フリ屋」が心がけることは、できるだけ曖昧な言葉を使って、「コナシ屋」をうろつかせること
フリは静かに、真っ直ぐに
コントは、抽象的な思考や理詰めで考えるよりも、動きから入って行くのがいい
コメディアンのアドリブというのは、如何に、演技を遠回りさせるかということ
人を笑わすというのは、まず、人を愉快にさせる、いい気分にさせること
笑いの生じる理由。意外性、誇張、飛躍、逆転の発想
「コナシ」を始めたら、「フリ屋」が止めない限り、自分から止めてはいけない
他のコメディアンの邪魔をしない
必然性がないと笑えない
台詞よりも、まず、動きを先行させる
舞台を袖から見て覚える
自分の欠点を突かれてニコニコしていられるってのはいいボケができるってこと
笑いで一番最初に覚えるのは"逆"ってこと
「曖昧で、切れがよくて、できるだけ短いセンテンス」の言葉を、選んで使う
音から入れば、間がいい
ちょっとでもあざとさが見えるとダメ
絶対聞き返すな
コメディアンの才能がないってわかってたけど、ぼくが子どもの頃、借金取りに土下座して、泣いていた母親のことを思うと、途中でやめるわけにはいかなかった。お金持ちになって、家を建ててやりたいと思ったからね
自分のためだけじゃなくて、誰かのためにやっていると、途中で投げ出さないよね。自分のためだけだと、つらくなると、やめてしまうでしょ。でも、たとえば命の恩人やお世話になった人にお返しをしたいと思ったら、途中で投げ出せ ないよ
振り返ってみると、ぼくの人生って、自分の思いもよらないところに広がっていってるんだよねころを探したほうがいいね
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