タレントの名言集
保守系メディアの役割とは、率先して左の「真ん中」寄りの人々への対話を呼びかけることではないでしょうか
モーリーロバートソン
岡潔は戦前の日本にすごい人たちがいたということの一つのサンプルであり、証人であると思います
これからは、インターネットに接点を持っている音楽家たちが、どのように社会にアピールしていくかが、音楽文化についての明日を決めるような気がします
音楽シーンに上手く富を分配するようなオルタナティブな音楽の送受信をするシステムを考えると、音楽を巡る社会的な仕組みを爆発させることができるかもしれない
浮世離れしている天才は、誰かが支えてあげなきゃいけないんだけど、その人の感受性が強いと、この世に生きること自体が傷つくことの連続になってしまうんです
個性って苦しんで勝ち取らなきゃいけないモノなんだけれども、そのための体力を日本がうまくいっていた時代に身につけられなかったのは残念です
テレビには容貌の可愛さやバラエティー的なリアクション芸の巧みさがマストになる場面が多い。したがって今後もハーフ・タレントは増え続け、時間帯によっては「ハーフづくし」で番組が構成されるだろうことは想像に難くない
私の音楽活動は日本のマーケットでは、ほぼ報われない。でも自分のインスピレーションに間違いはない
社会の中で中間的なコミュニティが育ってくると、その時には、非常に個性的でアクが強い文化が日本の社会の中に根ざして生まれてくるはず
新しいもの、盛り上がるものってお金がないと作れない
人間として大切なものを心で感じることができるようになっ た人間というのはある意味大人
どこまでも潔癖ではいられない。ぎちぎちに正しさを求めても、どこかで破綻する。だったら、「どこまで汚れられるか」を議論したほうがいい
終戦後の日本人の間では復興に伴い「分配を得られる夢」が共有されていました。それぞれの所得階層にそれぞれの向上心が芽生え、将来が明るかった。ところが、現在は将来が不透明で、人々も暗い
格差の広がりが不満を醸成しています
チベット問題を報道自粛で風化さ せたらならない。今日チベットで起きていることが明日の日本になる可能性もあります
何であっても激しさが臨界点を超えた時、正邪を超えてそれがロックとなる
一人一人が自分で好みを決定できることが健全な社会だと思います
局所の問題が、局所の問題でなくなってきています。あるエリアが危険だとそれが全世界の問題になる
自分たちが信じているルールや常識は、もしかしたら半分虚像かもしれない。そんな揺さぶりが生じたとき、ある種の"正義"に憑依したい人は、反対側の人々をひたすら潰しにかかります
クラブミュージック、特にテクノとドラッグは不可分な面があります
自分はお金は汚いものだという哲学をずっと持っていて、いろんな活動をほとんど無償でやっていました
社会的立場についてもっと認識する必要があると考えています
個人の中にリベラル的な傾向や保守的な傾向があること自体に問題はありません
アメリカは簡単に言うとディベート形式で、みんなで相談しながら、話し合いながら理解を深めていくんだけど、基礎研究は強くなるかわりに日本のように詰め込みで応用問題とか受験のレベル で言うと理数系は遅れているってことになった
攻撃性を和らげる策は「自己管理」しかありません
とにかくいろんなものに手を出してきた
自分の持っている若者特有の性質を自覚した上で、それを興味の方向に向けて欲しい
米国では思想の自由が重視され~中略~自由にディスカッションを行っていました。~中略~結果として自分の視点でものを見るトレーニングになっていたのでしょう。一方、日本では重力に関する数字や数式を使った、AIが得意な問題ばかり。~中略~それでは自由な発想の習慣を身につけることは難しいでしょう
たとえ不器用でも、自分の目的意識を持って突き進む人は格好良いですね
ポピュリズムを生む土壌に共通するのは「怒り」です
海外のニュースを原文で得られ、訳さずに読める。世界の中における日本を伝えられるし、それが今の自分の役目なのだと思っています
ジャーナリズムを専門的に学んだ経験はありません
興味のあることを見つけたら、周りの言うことを気にせずのめり込んでいって欲しい
従来の日本の教育は、決まった範囲の知識を完璧に習得することが目的の、いわば“線路に乗った”学習です
(大学時代はどんな学生だった?)爆発していた、という感じでした。ハーバード大には、強烈な個性を持つ学生や講師が世界中から集まるので、大学にいるだけで大きな影響を受けました
避けて通れないテーマから逃げるべきではない、逃げて最終的に困るのは国民だと正直に伝えることもメディアの役割だと思う
18歳を超えてから海外で暮らす人は、最初はネイティブの話をじっくり聞くのがいいと思う
アメリカ式のエスコートを日本で実践したら(女性に)モテモテ
中学生になるころにはとても日本人らしくなりました
(日本とアメリカの)言葉以上に考え方や文化の違いが大変でした
アメリカで生まれ、幼稚園ぐらいの頃に父の仕事の都合で広島市に引っ越しました
一番大切なのは憧れをきっかけにして自ら気持ちが動くということ
立川志の輔
歴史というのは自分がいる位置を確認させてくれる楽しい学問のはず
人と違うことをやる人は人と違うことを考えてる
悩んでる最中というのは思い切り心が狭くなる
テレビゲームが面白いなら、その面白いテレビゲームを作ってる人間こそが面白い
思い込みって怖いとつくづく思う
今、地球は便秘と下痢を続けてるんでしょう
数字でハッキリ優劣が決まる勝負事の世界はスターが出やすい
今、自分の感情をいか にコントロールできるかが立派な人間の条件とされているよう
聞くと見るのでは大違い
私が落語を覚えるのは、落語が好きだし飯の種になってるからだし、お客さんに笑ってもらって拍手もらうのが嬉しいから
人間がやる舞台は、やはり人間が守らなければ
ことやモノに対して、どんな物差しを使うかで見方は当然変わってきます
日本の中だけにいるとどうも快適過ぎてボケるような気がして、時々カルチャーショックを受けに海外へ行きます
お金だって持ちすぎると、うまい話を持ってくる人が後を絶たず、うっかり乗っちゃって大損こいたり、分不相応な高級バーに通って驚くほどの金額を請求されたり…
大人がボケて笑われる場面ばかりを面白おかしくテレビで見てる若い人たちが世の中をナメるのも無理はない
日本的には「ちっとも知らなかった」という無知の罪は「知っててわざと隠してた」悪意ある罪より許される傾向にあるよう
冬に風邪をひくのは当たり前なんだから、うまく付き合っていけばいい。そこで自然に体全体の免疫力を高める方法をお教えします。なんてったって笑いが一番。笑ってキラー細胞増やして風邪予防するのが一番安くつく
言葉は生き物なんだから刻々と変わっていくのが当たり前で、誰かが正しい使い方を決めること自体ナンセンス
ストレス解消に是非「志の輔落語」をどうぞ
お客さんがどう喜ぶか、これだけでいい
うちの師匠は落語の神様に選ばれた人
(談志さんについて)「どんどん行け。なんかあっても責任はオレがとってやる」が口癖だった
(人はそれぞれ)違うから鏡になる
(談志さん存命中)一度たりとも天狗にさせてもらえなかった
オレは入門したら、いきなりの寄席引退。あの時の過激な談志のそばにいたオレは、早々と「談志になれない」って悟ってしまい、過去を知らずに今日に至る
入門して二年目で師匠から「二つ目になれ」って言われた
オレと談春が最も違うなぁって思うのは、オレには「落語家?談志を見てるゆとりがなかった」っていうこと
病室で酸素吸入器をつけながら、師匠が最期にやった落語も「蜘蛛駕籠」だった
オレは結果的に師匠の真逆を行こうとした男
芸人たるもの、人たらしじゃなきゃね
(談志さんから)司会なんて仕事は誰でもできるけど、お前のところに、その番組が来るっていうのがすごいんだ※その番組…NHKのガッテン