作家の名言集
どれだけ進行を遅らせたところで、老いは必ずその取りぶんを取っていく
村上春樹
退屈さの中に、固有の意味を見いだしていくことになります。意味というのは、一種の痛み止めなのです
夢の中から責任は始まる
退屈でないものには人はすぐに飽きるし、飽きないものはだいたいにおいて退屈なものだ
もしほんとうに自由を与えられたりしたら、たいていの人間は困り果ててしまうよ。覚えておくといい
世の中のほとんどの人は自由なんて求めてはいないんだ。求めていると思いこんでいるだけだ。すべては幻想だ
僕らの人生にはもう後戻りができないというポイントがある。それからケースとしてはずっと少ないけれど、もうこれから先には進めないというポイントがある。そういうポイントが来たら、良いことであれ悪いことであれ、僕らはただ黙ってそれを受け入れるしかない。僕らはそんなふうに生きているんだ
僕らはみんな、いろんな大事なものをうしないつづける。大事な機 会や可能性や、取りかえしのつかない感情。それが生きることのひとつの意味だ
トルストイが指摘しているようにね。幸福とは寓話であり、不幸とは物語である
幸福は一種類しかないが、不幸は人それぞれに千差万別だ
その砂嵐が終わったとき、どうやってそいつをくぐり抜けて生きのびることができたのか、君にはよく理解できないはずだ。いやほんとうにそいつが去ってしまったのかどうかも確かじゃないはずだ。でもひとつだけはっきりしていることがある。その嵐から出てきた君は、そこに足を踏みいれたときの君じゃないっていうことだ。そう、それが砂嵐というものの意味なんだ
君はじっさいにそいつをくぐり抜けることになる。そのはげしい砂嵐を。形而上的で象徴的な砂嵐を。でも形而上的であり象徴的でありながら、同時にそいつは千の剃刀のようにするどく生身を切り裂くんだ。何人もの人たちがそこで血を流し、君自身もまた血を流すだろう
ある場合には運命っていうのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている。君はそれを避けようと足どりを変える。そうすると、嵐も君にあわせるように足どりを変える。何度でも何度でも、まるで夜明け前に死神と踊る不吉なダンスみたいに、それが繰りかえされる。なぜかといえば、その嵐はどこか遠くからやってきた無関係な“なにか”じゃないからだ。そいつはつまり、君自身のことなんだ。君の中にあるなにかなんだ
想像力を欠い た狭量さ、非寛容さ。ひとり歩きするテーゼ、空疎な用語、簒奪(さんだつ)された思想、硬直したシステム。僕にとってほんとうに怖いのはそういうものだ。僕はそういうものを心から恐れ憎む
目を閉じても、ものごとはちっとも良くならない。目を閉じて何かが消えるわけじゃないんだ。それどころか、次に目を開けたときにはものごとはもっと悪くなっている。私たちはそういう世界に住んでいるんだよ
あなたさえ私のことを覚えていてくれれば、ほかのすべての人に忘れられたってかまわない
思い出はあなたの身体を内側から温めてくれます。でもそれと同時にあなたの身体を内側から激しく切り裂いていきます
死は生の対極存在なんかではない。死は僕という存在の中に本来的にすでに含まれているのだし、その事実はどれだけ努力しても忘れ去ることができるものではないのだ
私たちがもともな点は、自分たちがまともじゃないってわかっていることよね
孤独が好きな人間なんていないさ。無理に友だちを作らないだけだよ。そんなことしたってがっかりするだけだもの
他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる
僕はこれまでの人生で、いつもなんとか別な人間になろうとしていたような気がする
自分に同情するな。自分に同情するのは下劣な人間のやることだ
僕は違う自分になることによって、それまでの自分が抱えていた何かから解放されたいと思っていたんだ。僕は本当に、真剣に、それを求めていたし、努力さえすればそれはいつか可能になるはずだと信じていた。でも結局のところ、僕はどこにもたどりつけなかったんだと思う。僕はどこまでいっても僕でしかなかった
どれほどこっそり息を潜めていても、そのうちに誰かが必ずあなたを見つけ出します
信仰の深さと不寛容さは、常に裏表の関係にあります
死は生の対極としてではなく、その一部として存在している
流れというものが出てくるのを待つのは辛いもんだ。しかし待たねばならんときには、待たねばならん
制度は自己増殖してわたしたちを殺すようになったり、わたしたちに他人を冷酷かつ効果的、組織的に殺させる
今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になりま す。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです
月の裏側に一人残されていたような恐怖を自分のことのように想像しながら、その状況の意味を何年も考え続けた
小説を書く、物語を書く、というのは煎じ詰めて言えば、「経験していないことの記憶をたどる」という作業なんです
人は原理主義に取り込まれると、魂の柔らかい部分を失っていきます。そして自分の力で感じ取り、考えることを放棄してしまう
僕は逃げられないし、逃げるべきではないのだ。それが僕の得た結論だった。たとえどこに行ったところで、それは必ず僕を追いかけてくるだろう。どこまでも
人生でいちばんきついのは、心ならずも誰かを傷つけてしまうことであって、自分が傷つくことではありません
僕たちは一年ごと、一月ごと、一日ごとに齢を取っていく。時々僕は自分が一時間ごとに齢を取っていくような気さえする。そして恐ろしいことに、それは事実なのだ
深刻になることは必ずしも、真実に近づくこと…ではない
少しずつ向上する。少しずつだけれど、それでも向上は向上だ
過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合取りかえしはつく
孤独好きな性格を守るのに、誰にも迷惑をかけてないはずだという論理は逃げである。孤独は闘い取るものだ。闘い取られていない孤独は、いつか人の心を蝕む
何かを持ってるやつはいつか失くすんじゃないかとビクついてるし、何も持ってないやつは永遠に何ももてないんじゃないかと心配してる。みんな同じさ
遠くから見れば、大抵のものは綺麗に見える
目に見えるものが、ほんとうのものとは限らない
インターネットで「意見」があふれ返っている時代だからこそ、「物語」は余計に力を持たなくてはならない
どんなに壁が正しくてどんなに卵がまちがっていても、私は卵の側に立ちます
私が小説を書く理由はひとつだけです。個人的存在の尊厳をおもてに引き上げ、光をあてる事です
誰をも抜かないし、誰にも抜かれない。しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートをくりひろげているように見える
人は勝つこともあるし、負けることもあります。でもその深みを理解していれば、人はたとえ負けたとしても、傷つきはしません。人はあらゆるものに 勝つわけにはいかないんです。人はいつか必ず負けます大事なのはその深みを理解することなのです
ものごとがあまりに完全だと、そのあとに決まって反動がやってくる。それが世のならいだ
僕らはとても不完全な存在だし、何から何まで要領よくうまくやることなんて不可能だ。不得意な人には不得意な人のスタイルがあるべきなのだ
人々は闇の中から出てくる何かを見つけることで闇の中から救われることができる
多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐えられない。いろんな檻というか囲い込みがあって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる
「物語」は残る
物語は世界の共通言語
昔スティーヴ ン・キングが「ウンコ投げ競争の優勝者は、手がいちばん汚れてない人間だ」と言いました
人はどんどん変わっていくし、過去の発言に縛られたくありません
公正さというのは極めて限定された世界でしか通用しない概念のひとつだ。しかしその概念はすべての位相に及ぶ
ひとつを解くことはおそらく、もうひとつをより明快に解くことになるはずだ
例えば「壁と卵」の話をいくら感動的と言われても、そういう生(なま)のメッセージはいずれ消費され力は低下するだろう
非常に簡単な言葉で、非常に複雑な物語を語りたい
僕がエルサレム賞を受賞した際も、インターネットで反発が盛り上がったようだ。でもそれは僕が受賞するか拒否するかという白か黒かの二元論でしかなく、現地に行って何ができるかと一歩つっこんだところで議論されることはほとんどなかった
慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです
私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです
罪を犯す人と犯さない人とを隔てる壁は我々が考えているより薄い
小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります
完璧な文章などといったものは存在しない。 完璧な絶望が存在しないようにね
高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ
忘れたいものは絶対に忘れられないんです
人間は今も昔も執着の心に悩まされている
瀬戸内寂聴
祈りは答えを求めるものではありません。自分を投げ出し、自分を無にして、生まれたままの自分に戻ること
逃げることも勇気ですよ
人間の苦しみは、全て自分の心身から発したもの
死にたくないと、うろたえて泣く人間臭さを、誰に恥ずかしがる必要もありません
自分の命が惜しく大切なように、人の命もその持ち主にとっては大切な宝
すべての宗教の究極は、許すことを学ぶことに尽きるの
自分で老いを自分で感じた時、その年になる
近寄ってくる人の中には私を利用したい人が、たまにいるのよ。私はそれが分かっても利用させてあげているの
ただの一度も、一瞬も出家したことを後悔したことはない
いつ来るか分からない死の影に怯えきって暮らすより、取り返しのつかない愛する人との死別にいつまでも悲しみ嘆くより、たった今、自分の生きている今日、この時を精一杯生きるしかないのではないでしょうか
あなたがもし我が身の安全を願うならば、まず世界の平和を願うべき
わだかまりを捨てると、心に風が吹きます