作家の名言集
私のように長く生きると、さまざまな坂を越えますが、「まさか」の坂もその一つ
瀬戸内寂聴
この世の形あるものはすべて滅び、一寸先は闇なのです
仏教では人間の胸の奥に無明という闇があって 、そこから全ての煩悩が起こると説いている
自分の死ぬ日が分からないというのが、仏の罰か、慈悲か、不問のところが、やはり仏の慈悲なのであろうか
人間の無力さに気づいたとき、わたしは出家しました
小説を書き続けるのは自分のしてきたことに対する懺悔
人間は、人も自分をも裏切ってしまうもの
長生きして良かったことは、多くの「面白い人たち」に逢えたこと
人を怨み憎むのも、欲しいものが手に入らないのも、執着というものから起こります
物事は変わる、時間は移ります
人間は生きている以上、自由であるべきよね
簡単に自分を見限ってはいけません
煩悩の起こる心を自分の理性と智慧で制御していくことが大切
出家とは感傷的な甘い気持ちで衝動的にするものではありません
苦を苦として長く持っていることがさらに苦痛
若い人と付き合うことが若さを保つことといわれますが、それは全く常識的なことです
今の若い人たちは自分の心を伝える言葉がありません
少なくとも一日五回は笑うこと
どうやら、自分の体は自分のものとはいえないようです
死ぬまで欲望というのはあるんじゃないかしらね
瀬戸内 寂聴
勝負の世界は好きでは無い。勝敗であまりにもクッキリと選手の運が示されるので、見ていて辛い
暗い気持ちでいれば、不幸や不運が集まってくる
信じる能力は文明の進化とは逆行する
財産が多いと、かえって自分をダメにしてしまう
耐え難い苦しみを受けることを「代受苦」といいます
誰かの犠牲になる義務などない
人は誰しも自分の心を守る権利があります
私は日記が続かない
自分だけ幸せであれば他人はどうでもいいという自我心だけが、戦後の日本を支配して以来、日本は実に情けない国に成り下がってしまった
人間はホントに懲りない凡夫である凡夫(ぼんぷ、ぼんぶ)… 煩悩にとらわれて、悟りの境地に至れない人
小説というものは、作者が意図したものとまったく違う、とんでもない方向に進むことがあります
自分がいい思いをしたければ、当然、それなりの報いを受けるのは覚悟の上でなければなりません
運が来たなと勘が働かなきゃダメ。これは運だなと思ったら逃さない
愛する事は許す事、自分も許されて生きてる事を忘れないで
自分が幸運な時、運が向いてる時は、必ず悪口を言われる
チャンスは人の一生に何度も来ない
女性でもね、男性でもね、自分が幸運な時ね、運が向いている時はね、必ず悪口を言われるの。悪口を言われるということはね、悪口を言いたくなるほどね、その人が幸運なのよね
独りでいる覚悟を決めている人は、誰かに期待しない分、寂しくないわよ
そういう時(落ち込み時)は楽しいことを一生懸命考える努力をした方がいい。嫌なことが多い世の中に負けてはダメ
持って生まれた才能だけでは、もはや文学の理想を究めることはできません。バックボーンというのでしょうか、確固たる信念と哲学がなければ、本当に書きたいものは書けない。何か、人間よりも大きな存在に助けてもらいたいという気持ちが非常に強くなったのです
小説を書くことは私にとって快楽なのです。この快楽を手放したくないという欲望が、私にはあります。煩悩は捨てなくてはなりませんが、私はいい小説を書きたいという煩悩だけは、いまも捨て去ることができません。死ぬまで煩悩を抱えて生きるのが、人間というものです。煩悩を完全になくせばブッダ(悟った人)ですが、世の中はブッダばかりになってしまったら、ちょっと困るでしょう。だから私は、そん なに立派なお坊さんではないのです
人間はみんな死にます。川端康成さんも、三島由紀夫さんも、遠藤周作さんも、つい最近は北杜夫さんも、みんな死んでしまった。私のように90まで生きてごらんなさい。親しい人間は全部死んだということが、よくわかります。だからもう、私は死ぬことも怖くないし、病気も気にしません
60歳ぐらいのころ、ちょっと心臓の存在を感じるようになって、東京で3本指に入るという心臓のお医者さんに診てもらったことがあります。お医者さんが、「講演旅行などとんでもない。年寄りらし く庭で草むしりでもしてなさい」とおっしゃるので、「どうせ心臓が悪くて死ぬのなら、もっと仕事をしてやれ」と思って、仕事を倍に増やしたことがありました。そうしたら、私は死ななかったのに、そのお医者さんが亡くなってしまいました
お釈迦様は「この世は苦だ」とおっしゃいました。お釈迦様は国が戦争するのも、自分の国が滅ぼされるのも見ました。人間の嫌なところを見て、自分が可愛がっていた弟子がどんどん死んで孤独を味わいました。それでも、最後の遊行の旅に出られたとき「この世は美しい。人の命は甘美なるものだ」とおっしゃいました。この世に対する全肯定、人に対する全肯定です。お釈迦様がこうおっしゃったのだから、この世は美しく、人の命は甘美なのだと私は信じます。私たちはもっともっと楽観的に生きていい。私はそう思っています
私は、いい母になる才能、いい妻である才能、そうした才能をひとつひとつ摘み取ってきました。そして、小説を書く才能だけを残したのだから、これだけたくさんの才能を犠牲にしたのだから、せめて小説を書く才能だけはちゃんとしてくださいとお釈迦様にお願いしています
世の中は常に変化し、人生には予期せぬことが起こり、そして、人間は必ず死ぬ。こう覚悟しておけば、度胸が据わります。大変な災害に遭おうと、会社をリストラされようと、「ああ、これこそ世の習い」と感じることができれば、慌てふためくことはありません
大きな椿の花を咲かせるには、どうすると思いますか?まだ、つぼみが小さいうちに、ひとつだけを残してみな摘んでしまうのです。そうすれば、大輪の花を咲かせることができるのです
自分の愛情をどんどん相手にプレゼントすれば、増えたの減ったので悩むことはありません。
同床異夢(どうしょういむ)とは、同じ布団で寝ていても同じ夢は見られないことです。愛の情熱は三年位しか続きません。夫婦は苦楽を共にして愛情を持ち続けるのです
男女の恋の決算書はあくまでフィフティ・フィフティ
とにかく人のことが気になって気になってしょうがない、これが物事にとらわれている心です。そういう心を無くさない限り、心は安らかになりません
与えられた限りある時間に、思い残すことなく人をたっぷり愛しておかなければとしみじみ思います
みんなのために良かれと思ってやっていることを、冷たい目で見る人たちがいます。そういう人は、"縁なき衆生(しゅじょう)"と思って放っておきましょう。あなたはあなたで正しいことを、自信を持ってすればいいのです
最近、自分の酒を飲む仕草(しぐさ)が父に似ているとふと気づきました。あの世へいったら、どの縁のあった男よりも一番早く父に逢い、ゆっくり二人で酒を酌(く)み交わしたいと思います
私は、全ての苦労を喜びに変えてからこなします。それが一番の健康法と美容法です。ストレスがたまらなくなりますよ
人生とは出会いと縁と別れです。出会ってから別れるまでの間に嬉しいことや悲しいことがあって、それを無事に越えていくことが生きるということなんです
夜の熟睡を死んだように眠ると譬(たと)えるのは、適切な表現かもしれません。人は夜、眠りの中に死んで、朝目を覚ます時は死から甦(よみがえ)るのだと考えられるからです。「日々これ新たなり」ですね
愛する者の死と真向きになったとき、人は初めてその人への愛の深さに気づきます。「私の命と取り替えてください」と祈る時の、その純粋な愛の高まりこそ、この世で最も尊いものでしょう
妻は、やさしくされることを望んでいるだけではない。やさしい心で理解されることを望んでいる
あなたはたった一つの尊い命をもってこの世に生まれた、大切な存在です
人間として生まれると、他の動物にはない誇りが心に生じるのだと思い ます。学校の成績より、他者の苦しみを思いやれる想像力のある人間こそ素晴らしいのです
世の中は大きな編み物である。編み物の目が次から次へとつながっているから、あたたかいマフラーになったりする。あなたは、その編み物の一目である。虫に食われたりしたら、上下左右たくさんの編み目に迷惑をかけてしまう。あなたは小さくても大切な一目なのだから
人間は、元々そんなに賢くありません。勉強して修行して、やっとまともになるのです
いろんな経験をしてきたからこそ、あなたの今があるのです。すべてに感謝しましょう
年を取るということは、人の言うことを聞かないでいいということだと思います。あとちょっとしか生きないんだからと好きなことをしたらいいんです。周りを気にして人生を狭く生きることはありません
私は自分の手で探り当て、自分の頭で考えて、納得したことでないと信じない
戦争はすべて悪だと、たとえ殺されても言い続けます
あらゆる戦争は悪だと思っています。戦争にいい戦争なんてありません。私たち老人は、そのことを語り継がなければなりません
お子さんに「何のために生きるの?」と聞かれたら、「誰かを幸せにするために生きるのよ」と答えてあげてください
学校の成績なんて気にすることはありません。何か好きなことが一つあって、それを一生懸命できるということが人生の一番の喜びなんです
本当に苦しんでいる子どもに、いろんな理屈を言っても駄目。まずは、子どもを抱きしめてやることが大切なんです
私は物心ついた時から職人の娘でした。盆暮れしか休みが 無いのが当然でしたから、人間は働くものだと思って育ちました。これは無言のしつけだったのでしょう
病気は神さまの与えてくださった休暇だと思って、ありがたく休養するのが一番いい
別れの辛さに馴れることは決してありません。幾度繰り返しても、別れは辛く苦しいものです。それでも、私たちは死ぬまで人を愛さずにはいられません。それが人間なのです
人間に与えられた恩寵に「忘却」がある。これは同時に劫罰でもあるのですが。たとえ恋人が死んでも、七回忌を迎える頃には笑っているはず。忘れなければ生きていけない