処女作『暖簾(のれん)』以来、長いあいだ小説を書いてきましたが、これまで長編小説の最終行を書き終えたときは、いつも書斎から飛び出し、『完結!』『万歳!』『出獄だ!』といって廊下をとびはねていたものです
山崎豊子
歌舞伎を本格的にはじめた18、19歳ぐらいの時に、最初はやっぱり「主役やってくことは難しいですよ」って言われたんですが、この年になって座頭やらせていただけるようになったということは感慨深いものがあるし、それは大変ありがたいことです
中村獅童
小学校のときの体験があるものですから、国語教師になったときから、生徒の記憶に残る授業をするためには、教科書ではなくて、何か一つの作品を使わなくてはだめだ、という考えがあったのです
橋本武
熱帯魚屋さんで働いた2年間、お魚との出会いと別れのサイクルの多さに、自分は最後まで慣れることはできませんでした
さかなクン
いつしか、僕らのライフワークになったので、年がら年中、この作品(フラメンコ曽根崎心中)のことが頭の中を駆け巡っています
宇崎竜童
自分が書かれる立場になってから、ほんとに週刊誌、スポーツ新聞に関しては、ほとんど信用せんようになりました
松本人志
植村直己が『冒険とは生きて帰ることだ』と言いましたが、これは『死を覚悟して』という言葉がカッコ付きで入っているのです
三浦雄一郎
高校生の頃から、自分が歌いたい歌を日記を綴るように紡いできました
小椋佳
以前書いた『その日のまえに』の死生観だって、十年後には変わっていると思います
重松清
寂聴先生と出会うまでは、やってみたいことがあっても、いつもできない理由を探していました
瀬尾まなほ