いつでもなかなか醒めている連中がいて、ババ抜きゲームを興趣ゆたかに盛大にさせ、自分たちはいつのまにかあがって、ババを敗者たちに残していく。株では、今までいつも大衆がこの役割をさせられてきた
色川武大
色川武大は、日本のアニメ・マンガの作画家、イラストレーター、小説家である。1945年11月5日生まれ。彼は多くのアニメや漫画、小説の作画やイラストを手がけ、日本の少年漫画界では高い評価を得ています。特に『一騎当千』シリーズが有名であり、話題を呼び、ファンに愛されています。彼の描く話題は幅広く、時代劇から現代ドラマ、SFまで、個性的なキャラクターや鮮明な描写で知られています。
よくマンネリと言われたけど、僕は笑いにはマンネリは絶対に必要だと思う。お客さんにすれば、「たぶんこうするよ、ほらやった」と自分も一緒になって喜ぶ笑いと、「意表を突かれた、そう来たか」とびっくりする笑いの2種類あると思う。全部意表を突かれてしまうと、お客さんも見ていて疲れてしまうだろう
志村けん
(張り込みをしていると)われわれがこんな辛い思いをしているのはすべてアイツのせいなんだと、なんの根拠もなく、対象の人物を生理的に憎むようになってくるんですよ。その現象を仲間内で「フライデー・シンドローム」と呼んでいました
宮嶋茂樹
昔、大嫌いだったのは浅草のことを書いた小説だ。浅草に住んでも居ない人間が、ちょいとのぞきにきて、自分はインテリ、浅草は庶民、そんなふうな顔をしてどこか遠くの自分の家に帰っていく。ああいう小説は許しがたいと思っていた
どの人物もおおむね立派なことばかりやっている。幸せも不幸も浅い足跡しかつけず、人々の目標も、普通に生きられればそれでいい、というふうに変ってしまった
偽善者と言われるのを死より恐れている人達が多い。その気持ちはわからなくもない。しかしその恐れに屈してしまうと、手も足も出なくなる。そしてもっと良くないのが、屈した自分の不甲斐なさを正当化する為に、他人の偽善叩きにまわってしまう。この図式、ゾンビが増殖するのに似てる
紀里谷和明
今のテレビは、個人を尊重しているようで、完全に無視している。スポンサーやテレビ局の思想があって、それにそぐわないシリアスな話をすると「笑いでごまかしなさい」「お茶を濁しなさい」という暗黙の命令に従って、司会者が瞬間的に頭を使って上手くごまかしていく。それは、スポンサーがテレビという「御本尊」をコントロールする存在だからです
長 渕剛
勝つときにはいろんな勝ち方があって、相手が勝手にずっこけたり、勝手にミスしてくれたりして「ああラッキー」という勝ち方もあります。しかし、負けるときというのは、負けるべくして負けるものです。勝負の世界にいると、勝って反省というのはできないが、負けたときには反省する。敗戦の中にいい教訓があると思います
野村克也
正直、オレは毎週、舞台に上がる前はすごく怖い。考えてみれば当たり前のこと。たくさんの人の前に頭の中がほとんど空っぽの状態で出ていき、笑いを取らなければならないのだ
松本人志
どしゃぶりの雨の後、道のぬかるみを見て『俺はなんて不幸なんだろう』と思う人もいれば、空の虹を見て『俺はなんて幸福なんだろう』と思う人もいる。どちらも同じ状況にいるのに、解釈がまったく違う。どんな出来事でもプラス面とマイナス面がある
神田昌典
テレビは、現実の世界ではない。実際には、人はコーヒーショップにいつまでもいられるわけはなく、仕事に行かなくてはいけないのだ
ビルゲイツ
あらん限りの知能をしぼって、何かより良いもの、何かまったく新しいもの、従来の物事のやり方とはどこか違ったものをつかんでこなくてはならない。それが創造的経験というものだ。やることが創造的ならば、失敗すら経験という宝をひとつ増やしたことになる
ハロルド・ジェニーン
勝負は普段から人付き合いにどれくらいお金を使っているかだ。情報が欲しい時だけ「こんちは」と来るやつに、重要情報をくれる人間がいるか?その時とくに仕事がなくても、話をしに行ったり、一杯奢ったりする。情報網はそうやって作るしかないんだよ
岡野雅行
放送作家はみんな「人に話したくなること」が大好きなんです。映画を観ていても「あの映画のここがね」と話せることを探している。八百屋さんに行っても万能ネギを見て「ネギはもともと万能な食材なのに、なぜわざわざ万能とつけるんだろう? 面白いな」と人に話せることを探してしまう。それが発想の素になっているわけです
秋元康
幸福のために頑張っても幸福は逃げ、目の前の一人の人のために一生懸命になると幸福が訪れる。それが幸福の面白さなんですね
河合隼雄
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