1970年になって「ハイネマン賞」という賞をもらいました。私がもらった最初の賞で、これが一番嬉しかったですね
南部陽一郎
僕なんかがメダルを取っていいのかなと思いますね。本当に与えられたものが僕には大きすぎますし、少し裕福すぎるかもしれないです
村田諒太
私は、かくて“くれない族”の自分と訣別(けつべつ)しました。私から先に学生にあいさつし、ほほえみかけ、お礼をいう人になったのです。そうしたら不思議なことに、教職員も学生も皆、明るくなり優しくなってくれました
渡辺和子
通っていた学校がカトリック系だったこともあり、若い頃からボランティア精神を教えられていたので、以前から社会貢献への意識は強かったですね。「自分がよい演 技をして、少しでも人に楽しみや勇気を与えることができたら」と思いながら、演技をしてきました
村主章枝
私の人生はずっとスケートって決めていて、そこはフィギュアを始めたときから全然ブレていないです。見た方に救われたと言っていただけるような作品を作れるように頑張りたいです
ひとつの夢をつかんだと思ったら、次の夢が出てくる。夢にチャレンジしているから、俺はすごく若いわけです
星野仙一
私が部下に言うのは、三尺の踊り場を作れということなんです。先輩がこうやっていたから、いままでこうやってきたからというのが一番ダメな考えです。自分の考えで三尺の踊り場を作って案を持っていこうということなんです
武田豊
三谷幸喜さんは「嫉妬を覚えました!」、『のぼうの城』の犬童一心監督も「やられました」と。僕の潜在能力がここまで引き出されたことに、ある意味で口惜しさを感じてくださったようで
野村萬斎
留学中に二度、乗るはずだった飛行機が墜落したり撃墜された経験があります。それで『人生いつ何が起きるか わからないのだから』という覚悟が生まれました
小池百合子
表彰式の国旗掲揚は、すごく印象に残っています。だって日の丸の隣にブラジルとアメリカの国旗が上がっているんですよ。やっと、この2大強豪国の隣に来れたんだな、って
木村沙織
2013年度のボクシング年間表彰式が行われ、技能賞と年間最高試合賞をいただきました。関係者の皆さま、ファンの皆さま、ありがとうございました!今年も立派な賞をいただけるよう頑張ります
内山高志
一番怖いのは、「あいつは素質がないからダメだ」なんてあきらめてしまうことですね。みんな夢を持ってやっているんだから、指導者は少しでもレベルアップさせて、その夢に近づけてあげないと
小出義雄
スケートと出会えたことがまずは人生が一番大きく変わったことです。人生が変わったというより、そういう人生だと決められていたのかもしれませんけど
浅田真央
普通、他のタイトルを先ず取り、それから名人になるのですが、私の場合は、最初のタイトルが名人であったわけです。中原先生の時代が長く続き、新たな息吹を求める、時代の波とか、勢い、に乗れた名人獲得でもありました
谷川浩司
シニア世代の方たちを最初にお誘いしていたのですが、何とか次世代にも元気になってほしいと考えました。日本一に登ることが元気づけになるかなという思いで、被災した東北の高校生を日本一の富士山へという計画を思いついたわけです
田部井淳子
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